小原嘉文 会長
小原嘉文 会長

佐賀県協力隊を育てる会

協力隊を育てる会の各県組織の一つとして2008年に設立された団体で、募集・広報への協力や帰国隊員支援など、JICAボランティア事業を支える活動を行う。小原嘉文会長は、1983年に県の認定NPO法人地球市民の会の発起人に名を連ね、国際交流団体として協力隊事業への支援にも長年携わってきた経験を持つ。

黒岩春地 理事長
黒岩春地 理事長

SV/セントルシア/コミュニティ開発/2016年度2次隊・佐賀県出身

公益財団法人 佐賀県国際交流協会(SPIRA)

1990年、県の国際交流を促進するための組織として設立された。近年は佐賀県内の在住外国人支援や多文化共生などの事業に力を入れる。2018年に就任した黒岩春地理事長は県庁職員時代にSPIRA設立を後押ししたほか、県庁の職員採用に協力隊OV特別枠を設けることに尽力。自身も県庁を定年退職した後の16年より協力隊員を経験している。

───佐賀県での国際交流・国際理解の取り組みの特徴を伺えますか?(※聞き手は編集室)

小原30年ほど前は佐賀県庁に国際課さえなかったのを、ゼロから部署を立ち上げて盛り上げてきたのが、当時県庁職員だった黒岩さんです。そして全国の都道府県で初めて職員採用の際に協力隊OVの特別枠を設けることにも尽力しました。

明石それはすごいことじゃありませんか。

小原私たちが佐賀県協力隊を育てる会としても残念に思っていたのは、せっかく県出身の協力隊OVの中に有為の人材が大勢いるにもかかわらず、やる気があればあるほど帰国後の就職先を県外に求めて去っていってしまうことでした。そうした中で県庁での採用枠ができたことは大きな動きでした。

明石どうして佐賀県でこうした試みが実現したのか、ぜひ伺いたいです。それがわかれば全国いろいろな場所で同じことができるかもしれないと思うのですが。

黒岩佐賀県の特色としては、県庁と佐賀市、われわれ国際交流協会、各種の市民社会組織、NPOに至るまで、かなり一体感を持って働ける風土があります。一つのきっかけは、2004年に地方交付税が大幅にカットされた時、全ての行政サービスについて民間への委譲や共同運営の可能性を徹底的に検討した「協働化テスト」でしょう。数年間の限定的な社会実験のようなものでしたが、県内のNPOなど多くの団体と侃々諤々の議論をすると、私たち行政マンが把握できない情報を民間団体がよく知っているのだとわかってくる。それが、官民で上下の関係なく協働する意識の土台になったのだと思います。

明石今、県内でSPIRAがこれほど活躍できている背景が理解できました。佐賀県協力隊を育てる会とSPIRAはかなり交流を持って活動しているわけですか?

小原昨日も募集説明会で一緒でしたね。ベースにあるのは、当県の認定NPO法人である地球市民の会が約40年にわたって取り組んできた国際交流活動かと思います。過去には夏休み中の留学生に九州の地方へ来て過ごしてもらう「小さな地球計画」や韓国の学生を佐賀県でのホームステイに招く「かちがらす計画」などを行っています。

明石協力隊だけが特別なのでなく、佐賀県下では長年にわたる国際協力の種まきがあるわけですね。この事例はまさに数十年の歴史の土台があって、簡単によそでマネできるものでもなさそうに思えますが、他の地域などでどう紹介できるでしょう?

黒岩一番大切なのは土台で、それは県と市、国際交流協会、NPO・NGOなどが横並びになった状態です。先日、地球市民の会の旗振りで能登半島の復興支援に行きましたが、私たちSPIRAや、佐賀県庁、大学などからも参加しています。石川県国際交流協会の方には、そのようにバラバラなメンバー構成で来たことに驚かれましたが、そうしなければ多様な主体の協働・共生は難しいと考えています。肝要なのは行政側が偉ぶらず、民間と一緒に泥だらけになって取り組む姿勢です。組織づくりに対する意識の問題であって、どの都道府県でも同じことができるはずです。

───県庁でのOVの採用を後押しした背景は何だったのでしょうか?

黒岩県庁職員として毎年1人はOVを採用できないかと考えた時、私は県庁の総務部長でした。県内には大きな企業がなく、主たる就職先の一つが県庁になります。優秀な人が大勢やって来るのですが、一人ひとりの県民に向き合って泥くさく働くことは、ただ頭が切れるだけでは難しい。きちんと相対して話し合い、相手の心を動かして協力を得る底力を持つ人材が必要だと感じていました。いわば、エリート集団の中に“野生児”を入れようと考えたわけです。
私は県の国際部門に勤めていた時期が長く、表敬訪問や壮行会を通じて隊員たちと交流を持っていたのですが、活動の成否はともかく、誰もが言葉も文化も違う土地で必死になって会話を試み、信頼を得ようと努力している。その姿勢が県庁の職員に必要だと思いました。

明石特別枠で入庁したOVのその後も気になりますね。

黒岩総合職で9人採用され、転居により退職した1人以外は今も県庁に勤務しています。ほぼ全員が係長になっていて、今の国際係長もOVです。当時、人事課に頼んで、入庁してくるOVを3年間は国際部門に配置しないようにしていました。県庁のキャリア職員として働くには法律をはじめとして他にも学ぶべきことが山ほどあるので、そうした経験を積んでもらいました。
皆それぞれ頑張ってくれていますが、いわゆる“県庁マン”とは雰囲気が違いますよね。特に、何が県民にとって良いことかという方向に意識が向いていて、良い仕事をしています。

───帰国後の協力隊経験の生かし方についてご意見をいただけますか?

小原やはり協力隊経験というものは特別視されることが少なからずあるでしょうから、誇りを持って日本社会の中でガンガン話してほしいと思います。話さないと周りにもわかりませんから、多少厚かましいと思われても、遠慮せず周りに経験談を伝えるのもよいのではないでしょうか。聞く側も、案外嫌ではないと思いますよ。

黒岩私も、経験談は積極的に話してほしいと思います。必ずしも活動が思うようにいかなくても、現地で信頼関係を築こうと2年間努力した精神は立派なものです。胸を張り、そして目を輝かせて「自分はこんな所に行った。うまくいかないこともあったけれど頑張った」と自分の経験を語ってほしい。そうすると、それを見聞きした誰かがまた、協力隊にチャレンジしようと思ってくれるかもしれません。

小原“青年”海外協力隊からJICA海外協力隊へと改称されたことも影響しているのか、最近では県内の募集説明会などに年配の方も多く来ていただいている印象です。県庁を定年退職してから協力隊に参加した黒岩さんもそうですが、長年の社会人経験の中で培った知識・技術を途上国で生かそうという方々に対して“育てる会”というのは少しおこがましい気もしますね。“応援団”などと団体の名前を変えなければいけないかな、と思ったりもしています。

日本でも、世界でも─協力隊と共にある〝応援者〟たち

Text&Photo=飯渕一樹(本誌)