その2日本語教育隊員が見いだす活動成果

松野千夏子さん
松野千夏子さん

日系/ドミニカ共和国/日本語教育/2021年度3次隊、日系短期/ドミニカ共和国/日本語教育/2024年度9次隊・京都府出身

新卒から小学校教員として長年勤務。仕事や家庭の一段落を機に日本語教師の資格を取得し、早期退職して大学時代から興味のあった協力隊員としてドミニカ共和国へ。日系人協会が運営する日系日本語学校で、日系の児童・生徒たちに日本語を教えた。任期を終えた現在も役に立ちたいと、短期間ながら再度現地の日本語学校で働いている。

ルーツを知り、日系移住者の思いをつなぐ
日本文化を伝え続けた意義

〝ニッポン〟を伝える意義とコツ
現地の複数の日本語学校と京都府の学校をつないだ交流授業。「日本や日本の文化の中で生活している子どもたちと話をすることができて、とても面白かった」といった感想の声があったという

   小学校の教員として長年勤めた松野千夏子さんは、2022年に協力隊員としてドミニカ共和国へ赴任。首都サントドミンゴにある首都校と、ダハボン、ビセンテノブレ、ハラバコアにある地方校の計4つの日系日本語学校で、6歳から18歳までの日系の児童・生徒に日本語を教えた。彼らのほとんどは親などに非日系人のルーツも持ち、普段はスペイン語を話す。

   授業では、こまやすごろく、けん玉といった昔遊びや、風呂敷の使い方などを取り入れ、日本語と同時に日本文化にも多く触れられるようにした。上級生が下級生に日本語で教えるやり方を取り入れると、得た知識を誰かに伝える経験が理解を深め、日本語を話すことへの自信にもつながったという。

   教壇に立って直面したのは、日本の教育現場との「当たり前」の違いだ。皆、時間どおりに行動する習慣がなく、遅れても気にしない。さらに掃除は清掃員の仕事とされ、平気で食べ物のごみや消しゴムのカスを床に落としていた。そこで「消しゴムのカスは集めてゴミ箱に捨てるんだよ」と伝えると、返ってきたのは「どうして?」という素直な疑問。「教室を気持ちよく使うために皆できれいにしよう」と伝える一方で、松野さんの価値観も揺れた。なぜなら、子どもたちも日本語学校の外に出れば、普通のドミニカ共和国人としての生活があるからだ。

〝ニッポン〟を伝える意義とコツ
日本語学校での授業の様子。児童・生徒は基本的に現地の一般校に通っていて、週に1日ほどの頻度で日本語学校へやって来る

「例えば、現地ではバスが時間どおりに来ませんが、それが当たり前の社会では10分や15分遅れても支障などありません。時間を厳守する日本と、時間を気にしないドミニカ共和国。どちらが正しい、正しくないではなく、それぞれがその国の暮らしであり、文化なのだと思っています」

   とはいえ、せめて日本語学校にいる時間内は日本的な礼儀や思いやりを学んでもらおうと、「整理整頓」「時間を守る」などの目標を掲げ、伝え続けた。

「1年半ほど続けると、進んで掃除をしてくれる子がだいぶ増えました。自身の希望というより親や祖父母の勧めで通っている彼らが、自らのアイデンティティに誇りを持ち、価値観や文化をつないでいく上でも重要だと思います」。授業後、迎えに来る親とも言葉を交わし、「こんなことを頑張っていたよ」と子どもの様子を伝えた。

   ドミニカ共和国の日系人社会は、かつて移民した人々が土地を開拓し、築いてきた歴史の上に成り立っている。日系1世や2世が大切にしてきた日本人としての良さを次世代に受け継ぐため、子どもたちが日本語や日本文化を学ぶ意義は大きいだろう。そして現地社会への同化が進んだ“ドミニカ共和国人”としての彼らにとっても、日本らしさに触れることは新しい刺激となり、わずかずつでも行動に変化をもたらしてきたようだ。

永田裕貴さん
永田裕貴さん

モロッコ/日本語教育/2022年度3次隊・岡山県出身

ライブハウス勤務やワーキングホリデーなどを経て、日本語教師の道を志し、ベナンなどで日本語教育に携わる。30代で大学の文学部に入学。卒業後はフィリピンで日本語教師として働くつもりだったがコロナ禍で頓挫。先行きに不安を感じる中で協力隊に応募し、2023年から25年1月までモロッコの首都にある大学で日本語を指導した。帰国後の現在は沖縄で在住外国人に日本語を教えている。

“同好の士”の交流拠点としての日本語教室
他者を認める力は国際人の第一歩にも

〝ニッポン〟を伝える意義とコツ
日本語クラスの教え子たちとの一枚。配属先の事情もあって思うような活動ができなかったものの、同僚や教え子との人間関係には非常に恵まれたという

   モロッコの首都ラバトにあるモハメッド5世大学文化人類学部で日本語講座を担当した永田裕貴さん。前任の隊員はコロナ禍で緊急帰国したため、その後は現地の日本語教師5人が土曜日クラスのみを継続していた。「やっとネイティブの先生が来た!」と歓迎された永田さんは、平日の昼・夜2回と土曜日の授業に加え、ピクニックや漫画展の見学などの課外活動も企画して活動に臨んだ。

   初級クラスではフランス語やダリジャ(モロッコ方言のアラビア語)を交えることもあったが、モロッコ人は語学習得が早く、動詞の活用もすぐに上達。その一方で、文化や習慣に関わる分野ではイスラム圏ならではの難しさにも直面した。豚肉を食べることやお酒を飲むことについてなぜかと聞かれ、「おいしいから」「楽しいから」といった説明は通用せず、「でもコーランでは違うのに」とため息をつかれることもあった。日本の童謡「お正月」を皆で歌うことを提案した際は、後から「(他の宗教・文化に根差した歌なので)ムスリムとして歌えない」と受講者からのメールが届いたこともある。

「日本も含めて、文化のベースには宗教が介在していると改めて気づかされ、まずは相手の宗教観を理解しなければいけないのだという学びになりました。他方、とても尊敬している同僚に相談したところ、『私はムスリムとしての信念があるからこそ、他の文化を認められる。日本へ旅行に行った時も神社の建物などは美しいと思った』と言われ、はっとしたことを覚えています」

〝ニッポン〟を伝える意義とコツ
おにぎり作りや茶道などを取り入れた体験型の文化イベントを行ったところ、新入生に対して先輩が自ら日本文化を紹介できるようにもなった

   そのような全くの異文化の中で、永田さんが日本語教育の一つの意義として感じたのは“場”としての価値だった。

   授業は大学の学生だけでなく一般にも開放されていて、高校生から60代まで幅広い層の人が学びに来ていた。近隣の大学の日本語クラブからも「日本人の先生に習いたい」と学生がやって来ていて、受講者の多くは、子どもの頃に日本のアニメを見て日本に興味を持った人だった。同僚からは「コロナ禍でも日本語講座が継続できたのは、皆が集まる場であり、家族のような存在だったから」だとも聞いていて、「共通の趣味や目的を持つ人同士が知り合い、交流できる場があることの大切さを感じました」。

   また、受講者の中には、かつて日本語学習を挫折した人や、子育てが一段落してから学び直す人などもおり、その背景はさまざま。授業内の会話で人生の後悔や将来の夢などを語ってくれる人もいて、永田さんも含め、皆にとっても学ぶことが多かったという。

   関わる相手への尊敬の念を欠かさないのと同時に、精神的に頼り過ぎない距離感で活動したという永田さん。「悩むことも多かったですが、最後に教え子から日本語で手紙をもらった時、2年間でちゃんと種をまけていたのだと感じました。日本語教育は、さまざまな文化や宗教をベースに生きる人々の存在を知ってもらい、他者を受け入れて認めることができる“国際人”を世界で育てる一歩だと思います」。


Text=秋山真由美 写真提供=松野千夏子さん、永田裕貴さん