派遣国の横顔

ナミビア共和国ナミビア共和国

独立から36年、これからの発展が期待される若い国
特に厳しい社会環境にある若者への支援が求められる

ナミビア共和国

ナミビアの基礎知識

面積82.4万㎢(日本の約2.2倍)
人口303万人(2024年、世界銀行)
首都ウィントフック
民族オバンボ族、カバンゴ族、ヘレロ族、
ダマラ族、混血、白人ほか
言語英語(公用語)、アフリカーンス語、独語、
その他部族語
宗教キリスト教、伝統宗教

※2025年9月17日現在
出典:外務省ホームページ

派遣実績

派遣取極締結日:2004年12月24日
派遣取極締結地:プレトリア(※1)
派遣開始:2006年3月
派遣隊員累計:177人
※2026年4月30日現在
出典:国際協力機構(JICA)

ナミビア共和国

※1 プレトリア(南アフリカ共和国)…派遣取極当時、ナミビアには日本国大使館が開設されていなかったため、プレトリアの在南アフリカ共和国日本大使館で締結が行われた。

お話を伺ったのは
星野明彦さん
星野明彦 さん

リベリア/村落開発普及員/
1988年度2次隊、ザンビア/
村落開発普及員/
1990年度8次隊・大阪府出身

JICAナミビア支所長。民間企業を経て協力隊に参加し、リベリアの熱帯雨林の村で橋や小学校の建設などを行ったが、内戦により日本に一時退避後、ザンビアへ振り替え派遣となった。1996年にJICAに入職し、パプアニューギニア事務所員、マラウイ事務所次長、ボツワナ、サモアの各支所長などを経て、2024年4月から現職。

派遣国の横顔
大西洋岸に沿って南北の幅1,288km、東西は48~161kmと細長く広がるナミブ砂漠。高さ300mに達する赤い砂丘が連なり、その絶景を目的に世界中から観光客が訪れる

   ナミビアは1990年に南アフリカ共和国から独立し、人口の約半数が21歳以下という、国自体も人々も若い国です。独立後は民主的かつ安定した政治と健全な財政運営の下、鉱物資源や牛肉などの輸出によって、国全体の経済状況はアフリカの中でも比較的高いレベルにあります。一方で都市と農村部の格差が非常に大きく、若者の失業率は40%超(2023年時点)と大変厳しい状況です。

   また、南アフリカ共和国統治時代のアパルトヘイト政策の影響が残る上、さらにさかのぼった19世紀末から20世紀初頭のドイツ植民地時代にはヘレロ・ナマ虐殺(※2)があり、人々が100年余りも抑圧の中で生きてきた苦難の歴史があります。ナミビアはようやく平和を手に入れたところで、真の発展はこれからといえるでしょう。

   協力隊派遣は2006年に始まり、今年で20周年を迎えます。当初は土木、建築、道路、電気・電子設備といった技術分野の隊員が国造りに貢献し、近年は小学校教育、数学教育、環境教育など教育分野の隊員を中心に派遣しています。今後は国連機関やNGOと連携して新しい分野を開拓し、青少年活動やコミュニティ開発などの隊員を増やしていく方針です。

   ナミビアは多様な文化を持つ民族が共存していることが特徴で、総じて明るくつき合いやすい国民性です。ナミブ砂漠や野生動物に象徴される自然のほか、ヨーロッパ風の美しい街並みなど観光資源も豊富で、治安や道路状況も良いため、日本から家族連れで任地へ“里帰り”するOVが多くいます。

   25年には初の女性大統領が就任し、経済の多様化と雇用創出拡大を目指しています。閣僚の半数が女性で、ジェンダー平等の達成度は世界8位(世界経済フォーラム、2025年)、政治はアフリカの中でも比較的クリーンに行われており、こうしたガバナンスの良さにも発展の可能性を感じます。

   この国の将来を担う世代にとってはまだまだ厳しい社会状況が続いていますが、地域社会やNGOなどを通して、自分たちで社会を変えようとチャレンジしている若者たちも多数います。隊員として赴任している、あるいは今後この国で活動する皆さんは、ぜひそんな若者たちと対話し、協働し、その意欲と活動を後押ししていってください。


※2 ヘレロ・ナマ虐殺…1904~08年にかけてドイツ軍が先住民族のヘレロとナマの人々を組織的に虐殺した。当時のヘレロの約8割(約6万5,000人)、ナマの約半数(約1万人)が亡くなり、20世紀最初のジェノサイドとされている。

若者支援、インフラ整備、学校教育などで
ナミビアの人々と共に活動した隊員たち

坂本未生(旧姓 加賀谷)さん
坂本未生
(旧姓 加賀谷)さん

ナミビア/村落開発普及員/
2007年度4次隊・宮城県出身

大学の国際交流学部で学んでいた時、ルワンダでの識字ボランティアに参加、そこである男児から「日本の支援は嬉しいけれど、僕の生活は変わっていない」と聞き、彼らに届く草の根のボランティアを志すようになる。卒業後は4年ほど旅行会社で働いてから協力隊に参加。赴任中に隣町で活動していた隊員と帰国後に結婚、2023年には2人の娘を含む家族でナミビアを再訪し、かつての協力者たちと再会を果たした。

黒人居住区の公園整備をきっかけに
若者たちが新たな活動へ前進

派遣国の横顔
廃タイヤを集めてペンキを塗ったり、土管と組み合わせて公園の遊具を作った坂本さんたち。「最初の頃は数名だけの作業でしたが、地域の若者や住民たちが次第に集まってきて、多くの人が手伝ってくれました」

   南アフリカ共和国による統治時代、ナミビアの市街地はアパルトヘイトによって居住区が分けられ、現代もその影響が続く。当時の白人居住区「タウン」にはスーパーやレストランなどがある繁華街やドイツ植民地時代の面影を残すヨーロッパ風の街並み、高級住宅街があり、経済的に豊かな人々が住む。一方、多くの黒人が住むのはタウンから離れた「ロケーションエリア」で、政府が無料で貸している区画にトタンや木材で造られた簡素な家が並び、水道や電気といったインフラの整備が進まず、トイレのない家も多い。

「仕事がなく、何もすることがないため、家や路上で水より安いお酒を飲んでいる大人が多くいました。ロケーションエリアでも中心部から遠くなるほど人々の生活も厳しい様子になっていくんです。あまりの貧富の差に驚きました」

   そう話すのは坂本未生さん。2008年から村落開発普及員の職種でナミビア北東部の人口約2万9,000人のフルートフォンテインで活動した。配属先はフルートフォンテイン町役場。同役場の拠点は白人居住区と黒人居住区の2カ所に分かれ、坂本さんが配属された地域開発課は後者に属していた。「職員もサービス対象の住民も黒人で、要請は失業中の女性や若者への就業支援や地域の特性を生かした小規模ビジネス育成を同僚と共に行うという内容でした」。

派遣国の横顔
坂本さんが任期後半に共に活動した若者グループのメンバー。「彼らは地域に貢献しようと、子どもたちにHIV/エイズ対策のワークショップを自発的に行っていて、私は協力隊員として、彼らこそ支援すべきだと思いました」

   坂本さんは地域の状況を知るために、世帯調査を行う同僚に同行した。当時、住民のうち独立後に公用語となった英語を話せるのは小・中学生がほとんどで、それ以上の世代になるとアフリカーンス語(※)と各部族の言葉が多かった。

「大人とは英語で直接やりとりするのは難しく、住民側には役場は訴えても動いてくれないという不信感があり、ニーズを探りにくい。さらに、日本人が珍しかったため、アジア人は皆同じ国の人で、『黒人よりも下だ』という意識で接してくることもあるのが特につらいことでした」

   そこで考えたのが、現地の人たちと協力隊員が交流するサッカー大会だった。ナミビアではサッカーが人気で、他の隊員や地元の若者、役場の職員がそれぞれチームを組んで開催すると、予想以上に観客が集まって盛り上がり、日本のことや坂本さんの存在を知ってもらうきっかけになった。

   そこから坂本さんは人脈を広げ、若者が職に就くための履歴書作成やビジネス基礎を学ぶワークショップ、女性を対象にした洋裁やアクセサリー作りなどの小規模ビジネスの起業支援、特産のトマトを加工する料理教室などを行った。坂本さんが提案すると、講師や場所は同僚が手配してくれた。

   しかし、「参加者にはやる気が長続きしない傾向があり、役場の同僚は困っている人には物やお金を配ればいいという発想で、楽に仕事をしたい彼らにとって、私の提案は仕事を増やすため歓迎されなくなっていきました。現地の方々の意識を変えることの難しさを痛感しました」

   そんな中、坂本さんはロケーションエリアの公園が使えないまま10年以上放置されていることを知った。地域には他に遊び場がなく子どもたちの姿は少ない。子どもたちが外で思い切り遊ばず、親の姿をまねて家で寝ている状況は良くないと思った坂本さんは、配属先に公園の改修を相談したが、予算不足を理由に取り合ってくれなかった。

   そこで坂本さんは親しくなった若者グループと公園の修復に取り組むことにした。彼らは首都を拠点とするNGOの活動を見習い、地元でHIV/エイズの予防・啓発活動をしていて、坂本さんと世代が近く英語で意思疎通ができた。

   改修のための資金は、一般社団法人協力隊を育てる会の「小さなハートプロジェクト」に申請して得ることができた。若者や公園近くに住む人々と共に、廃タイヤにペンキを塗って組み合わせた遊具や、利用ルールを掲示する看板などを作った。役場も協力的になり、重機を出して土木作業を進めてくれた。公園再生は住民と役場の協働で成し遂げられ、華々しい完成披露式典も行われた。

「子どもたちがたくさん遊びに来てブランコがすぐ壊れてしまうほどの人気でした。実はそれ以上に嬉しかったのは、その後の若者グループの意識の変化です」と坂本さん。

「バスケットボール大会を開催したい」と相談に来たのだ。若者グループはスポンサー集めの手紙作りから電話での交渉、地元のお店への協力依頼などの準備を、坂本さんのアドバイスを受けながら自発的に進めていった。役場にコート改修を申請して提供された資材で整備し、大会を成功させた。公園改修を通じて活動のヒントを得た若者たちが、意欲と自信を培うことにつながった。


※アフリカーンス語…南部アフリカの一部を植民地化していた入植者たちのオランダ語から派生した言語で、現地の諸言語やほかのヨーロッパ言語の影響を受けて独自に発展した。南アフリカ共和国の公用語の一つとなっている他、ナミビアでは南部を中心に使われ、黒人異民族間の共通語としての機能も持つ。


Text=工藤美和 写真提供=星野明彦さん、坂本未生さん