派遣国の横顔

ソロモンソロモン諸島

大戦中の戦跡が多く残り、日本との関わりが深い島国
長らく続く農業・水産分野の活動は、流通や資源管理のフェーズへ

ソロモン

ソロモンの基礎知識

面積28,900㎢(岩手県の約2倍)
人口819,198人(2024年、
アジア開発銀行)
首都ホニアラ
民族メラネシア系約94%、
その他ポリネシア系、
ミクロネシア系、
ヨーロッパ系、中国系
言語英語(公用語)のほか、
ピジン英語(共通語)を使用
宗教キリスト教(95%以上)

※2026年7月15日現在
出典:外務省ホームページ

派遣実績

派遣取極締結日:1978年7月7日
派遣取極締結地:東京・ホニアラ
派遣開始:1979年6月
派遣隊員累計:504人
※2026年7月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)

ソロモン諸島
お話を伺ったのは
平良晃洋さん
平良晃洋 さん

ラオス/小学校教育/
2016年度1次隊・福岡県出身

JICAソロモン支所・企画調査員(ボランティア事業)。大学卒業後、小学校の教員として約4年間勤務。大学時代から関心があった国際協力に取り組むため、2016年に協力隊員としてラオスに赴任、現地の小学校で活動した。帰国後、小学校教員を経て、25年9月より現職。

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ガダルカナル島にあるビル村の戦争博物館では、ゼロ戦のエンジンやアメリカの戦闘機などの残骸がかつて激戦の舞台となった歴史を伝えている

   ソロモンの人々の印象はとにかく温厚で、明るく、オープンです。街を歩けば、初対面でも気軽に挨拶してくれて、日本人に対してとても好意的に接してくれます。

   ただ、時間の感覚は日本と大きく異なり、予定通りに物事が進まないことは日常茶飯事。公共交通機関や銀行窓口などで何時間待っても誰一人文句を言わないところを見ると、「待つことに抵抗がないようだ」と感じます。仕事でも予定変更や遅延はしばしばあり、計画を立てるのが苦手な傾向があるようです。活動では丁寧に予定を確認し、小まめにリマインドすることがポイント。加えて寛容な気持ちで向き合うことが信頼づくりへの第一歩だと思います。

   協力隊の要請は教育と保健医療分野が中心です。近年はニーズが多様化しており、農業や水産分野では、生産技術の向上に加え、資源管理や加工、商品開発、販売・マーケティングを含めた支援への期待が高まっています。また、UXO(不発弾・爆発性戦争残存物)対策分野では、住民へのリスク回避教育や関係機関との連携を支援できる隊員へのニーズも生まれています。

   ソロモンを理解する上で欠かせないのが、「ワントーク(Wantok)」と呼ばれる文化です。同じ言語や地域、血縁を持つ人々が支え合う「助け合い」や「分かち合い」が暮らしに深く根付いています。ソロモンは大小約900の島々から成り、80以上の言語と多様なコミュニティが存在します。隊員として赴任する方は、地域の礼拝や行事に参加したり、現地の言葉で声を掛けたりすることで、少しずつ受け入れられ、困った時に支え合える関係を築くことができると思います。

   第2次世界大戦の激戦地でありながら日本人に好意的なのは、現地の人々と共に、経済・社会面の発展に向け、協力を続けてきたからだと確信しています。ぜひ歴代隊員の工夫と努力に思いをはせながら、活動に取り組んでください。

道なき目的地へはボート移動、情報や物資も十分でない状況で、
現地の人と共に活動した隊員たち

渡辺督郎さん
渡辺督郎さん

ソロモン/冷凍機器/
1983年度2次隊・長崎県出身

大学で環境工学を学び、空調機器メーカーの水処理部門に就職。退職して1983年から協力隊員としてソロモンで活動。帰国後は故郷・長崎県西海市の雪浦に戻り、学習塾経営や無農薬有機農業を行う。その後、ソロモン、フィジーでの企画調査員(ボランティア事業)をはじめ、2007年から3年半ほどソロモン支所長を務めた。東日本大震災時には救援活動に携わり、13年より西海市議会議員。現在、地域づくりNPO法人雪浦あんばんね理事長を務めるほか、雪浦ゲストハウス森田屋を営んでいる。

自給のための漁から市場で売るための漁へ
鮮度を保つ冷凍機器の保守技術を伝えて貢献

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当時の村では、住民たちはパンダナスという樹木の長細い葉を編んだ屋根材などで造られた「リーフハウス」と呼ばれる家に住み、自給自足の生活を送っていた

   渡辺督郎さんは、1983年、ソロモンに5人目の隊員として赴任した。首都ホニアラのあるガダルカナル島から30分ほど軽飛行機に乗り、降り立ったのはマライタ島。飛行場から配属先の水産局がある州都アウキへ向かう車は、熱帯のジャングルを走り抜けた。

   渡辺さんの活動は、小規模零細漁民を育てるプロジェクトの一環として、製氷機の維持管理の方法を現地スタッフに教えること。当時の村の人々は、自給自足の暮らしを営んでいたが、村人が収入を得るためには、自給のための漁から、市場で売るための漁に転換する必要がある。売るためには鮮度を保つ氷が欠かせない。

   しかし、渡辺さんの前職は排水処理場の設計など水処理部門で、冷凍機器は専門外。そのため、冷凍機器メーカーに頼み込み、自主的に研修を受けてから赴任していた。また、同期の漁具漁法隊員と共に配属され、技術を伝えるカウンターパート(以下、CP)は共通した職員1人という状況。隊員2人が同時並行でCPと協働するのは難しいため、渡辺さんは先に同期隊員に活動を譲り、自身は任期を1年延長して対応することにした。

   同期の活動が一段落した後、渡辺さんは本格的にCPとの活動を始めた。水産局の製氷機は電気で動いていたが、島内の各支所には発電機やエンジンで動かすものもあり、それぞれに応じたメンテナンスや修理方法を教える必要があった。

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メンテナンス方法などを教えた製氷機のうちの1つ。冷媒を圧縮し、膨張、蒸発などいくつもの工程を経て冷やす仕組み

   本来は、冷凍サイクルの科学的な仕組みや機器の構造を理解してもらう必要があったが、CPはなかなか理解してくれず、さらなる基礎に立ち返って教えるには任期が足りない。

「これでは時間が過ぎていくだけだと焦りました。最後は切り替えて、『冷えなくなったら冷媒ガスを補填する』といった、対処療法的な方法を教えることにしました」

   一方、教える側だと思っていた渡辺さんが、現地の人の知恵に驚かされることも多かったという。移動に使うボートの船外機のゴム製パーツが破れ、スペアがなく諦めかけた時、ソロモン人スタッフはレインコートの裾を切って代用し、再び船を動かした。村の人々は山刀1本でジャングルに入り、木を切り枝や葉で屋根を作ったり、火をおこして料理したりした。「ソロモン人は、我々にはまねできない、生きる術や知恵を持っていると感心しました」。

   休暇中も、村々で住民と寝食を共にした。カヌーに乗って魚を釣って食べた。魚と野菜をココナッツミルクで煮た料理は今でも忘れられない味だという。「現地の食事を一緒に『おいしい』と言い合って食べられるかどうか。それが、その社会に溶け込めるかどうかの鍵になると思っています」。

   帰国後、20年以上がたち、渡辺さんはJICAソロモン支所長に就いた。首都の市場でカツオを買ったところ、船上ですぐに氷で締めた鮮度の高いものであることが渡辺さんには分かった。「漁船に多くの氷を積むことがままならなかった80年代から進歩し、漁民が育ってきていると感じて感慨深かったですね」。

Text=秋山真由美 写真提供=平良晃洋さん、渡辺督郎さん