セネガル/コミュニティ開発/2014年度2次隊・岡山県出身
大学卒業後、マンチェスター大学大学院修士課程で貧困と開発について学び、2014年に協力隊員としてセネガルに赴任。帰国後、地元の岡山県で働きながらjam tunを始め、現在はオンライン店やポップアップ店、その他の非常設店でアフリカ布製品を日本に紹介している。jam tunとは、隊員時代の任地で話されるプラール語で「平和だけ」という意味。
コミュニティ開発隊員としてセネガルで活動した田賀朋子さんは、帰国後、同国の色鮮やかな生地を使ったアパレルブランド「jam tun」を設立・運営している。セネガルの生産者と共に行うものづくりを現地で統括するビジネスパートナーは、隊員時代から共に取り組んでいる仕立職人のクイエ・コンテさん。まさに隊員本人が離任した後も任地での活動に関わり続けているケースだが、実は田賀さんにとって、隊員時代の活動を継続すること自体が念頭にあったわけではない。
「協力隊に合格した当時、将来の進路として興味があったのは国連関係の仕事でした。ただ、実際に途上国で活動してみると、現場ではきめ細やかな支援ができていないと思える状況も目にしました。自分には大組織の枠組みは合わないと感じながら帰国し、一方的な援助ではなく、対等に関わり合える形を考えて行き着いたのがjam tunなのです」
そんな田賀さんが隊員としてセネガル東部、タンバクンダ州シンチューマレム村に赴任したのは2014年10月。配属先は広大な村域を統括する役場だったが、選挙の影響で人員が代わっていて、協力隊員が来ることも把握されていなかった。全くの手探り状態ながら、域内を回って自分にできることを模索した田賀さん。試行錯誤の中、街路にごみが目立っていたことから、端切れやビニール袋から物を作ることで環境意識の啓発ができないかと考えた。
「初めから商品化を目指していたのではなく、『ごみから何かの作品ができれば、ごみに対する人々の意識が少しでも変わるかな?』という意図で始めました」
赴任以来、地域のさまざまな人を訪ねて人脈を広げていたおかげで、仕立業を営む人たちともなじみとなっていた田賀さん。端切れをもらったり、ミシンを持っている人に小物の制作を頼んだりして、年が明けた4月ごろ試作にこぎ着けた。そして、取り組みに興味のある仕立職人に集まってもらおうとミーティングを開催した。
「結局、来たのは数人だけでしたが、その中でも唯一遅れずに来てくれたのがクイエさんでした。当時、出稼ぎの仕立職人として村に来たばかりで常連客もなく、私の話に乗ってみようと思ったようです」
クイエさんをはじめ、数人の職人の協力で端切れやビニール袋でポーチなどを作り始めたところ、早々に主婦などが興味を示した。その時点でも田賀さんの意図は環境意識の啓発だったが、品物を欲しいという人が現れるに至り、「私から仕立屋さんに謝礼も出せないので、販売して収益にしてもらおうと思いました。そして、お客さんを彼らのところへ連れていくことが私の活動の一部になりました」。
こうして田賀さんが発案した商品は地域でも人気が出ていったのだが、任期を終える時は心残りもあった。
「顧客が増えたとはいえ頻繁に売れる商品ではなく、継続的に注文が入る仕組みを作って帰りたかったのですが、そこまでは完結しませんでした。作り手の連絡先を書いたポスターを貼るなどできるだけのことはしましたが、私がいなくなったら廃材で物を作る取り組みはどうなってしまうか分からない…という気持ちで任地を離れました」
田賀さんは「大組織によるトップダウン的な国際開発からこぼれてしまう部分を補填できるような活動がしたい」との思いから、ひとまずは地元で働きながら、自分が進むべき道を模索した。かつ、セネガルとの関係を隊員時代の2年間でおしまいと割り切る気にはなれず、愛着のあるシンチューマレム村にまた関わりたいとの思いもあった。
「活動を最後までやり遂げられなかったという感覚もあり、村と関わりながら何かできないかという気持ちが大きくなっていきました。とはいえ、いきなり起業しようとは思っておらず、まずは日本での仕事の傍らで週末に商品を売ってみることから始めようと考えました」
帰国から数カ月がたった頃、クイエさんらに再び連絡を取った田賀さん。セネガルから荷物を送る方法、日本から送金する方法など、何も分からないところからのスタートでもあった。そもそも、当時スマートフォンを持っていなかったクイエさんに直接連絡を取ることも容易ではなく、現地にいる共通の知人を介して、その人のスマホでビデオ通話するなどして調整を進めていった。
隊員時代と大きく変わったのは、商品の品質管理だった。日本で売ることを想定すると、柄の向きや仕立ての具合などにまだまだ粗があると感じたという。また、ポーチやバッグなどでは単価を上げにくいため、より“大物”のセネガル布を使った洋服を考案したが、実際に制作してもらう際には自ら再渡航して指導しなければならなかった。
「働きながら休暇でセネガルへ行き、サンプルとして日本で売られている衣類も持参して、気を付けるべき点を伝えるなどしました。仕立屋さんたちに対してフェアな取引になるよう、『売り上げの何%かを還元する』などではなく商品を買い取る形で始めたので、いかに現地でしっかり仕上げて送ってもらえるかが重要ですね。今も、私が現地に渡航している時はできるだけ検品しますし、もし届いたものにダメな箇所があれば、その都度写真を送って伝えています」
田賀さんはこれまでの取り組みを振り返り、「最初に大きな目標を立てず、仕事で収入も得ながらぬるっと無理なく始めたから、楽しく続けてこられたのだと思います」と笑う。協力隊員としての活動が終わっても任地の人々とつながり続けたいという気持ちが土台となり、帰国後10年にわたって続く活動を形作っている。
Text=飯渕一樹(本誌) 写真提供=田賀朋子さん