知られざるストーリー

協力隊OGと「ポポンS」がつなぐ日本とアフリカ~Mother to Mother SHIONOGI Project~

患者と向き合いたいと参加した協力隊


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東アフリカ地域の経済をリードするケニアだが、都市部から離れた地域では保健医療施設が不足し、2013 年の妊産婦死亡率は10万人当たり400人と、依然としてその数値は高い。また同年に5歳未満で命を落とした子どもの数も1, 000人当たり71人に上る(注1)。こうしたケニアの状況を改善するため、2015年10月に塩野義製薬株式会社が「Mother to Mother SHIONOGI Project」を開始した。プロジェクトを立ち上げたのは同社海外事業本部の土田愛(つちだ・あい)さんだ。背景には2009年から2年間、ケニアで青年海外協力隊としてエイズ対策に取り組んだ経験から生まれた"ある思い"があった。

土田さんがHIV/エイズに関心を持ったのは小学生のころ。テレビでHIV感染者のドキュメンタリー番組を見たことがきっかけだった。HIV/エイズがまだ不治の病として捉えられていた1980年代、エイズを発症した米国の黒人男性が、社会から差別を受けながら亡くなるまでを描いた番組に衝撃を受けた。「医療で人を救いたいと思ったのと同時に世の中の矛盾のようなものを感じた」という。そんな土田さんは、高校生のとき目にした通学電車の中吊り広告で青年海外協力隊のことを知った。何度か見ているうちに「いつか参加してみたい」という気持ちが芽生えた。将来は医療に携わりたいと地元高知県の大学で化学を学び、卒業後は大阪の大学院に進み有機合成化学を研究した。

大学院を修了した土田さんが就職先に選んだのは、日本の感染症薬開発の先端を歩んできた塩野義製薬株式会社だった。2004年に入社した土田さんは、CMC(Chemistry, Manufacturing and Control)開発研究所に配属された。CMC開発研究所は、創薬研究所が探し出した薬の種の実用化に向けて、効率的な生産方法や品質の安定化を図る技術を開発する部門だ。やりがいのある仕事に没頭する日々を過ごしていたが、次第に「一度、本当に薬を必要としている患者と向き合いたい」という思いが強くなっていった。そして入社5年目を迎えた2008年、土田さんは青年海外協力隊に応募した。

ケニアの医療現場で見た現実


HIV診療に訪れる女性たちと協力隊時代の土田さん

協力隊に合格した土田さんは、2009年3月から2年間、ケニアでエイズ対策に取り組んだ。JICAはケニアに対し、土田さんが派遣される以前からエイズ対策分野の協力隊を派遣してきたほか、2006年から2009年までHIV感染率の減少を目的とした技術協力「エイズ対策強化プロジェクト」を展開。2010年から2014年まで後継プロジェクトを実施するなど、ケニアのエイズ対策を支援している。

土田さんはケニア西部に位置するニャンザ州ニャミラ県の保健事務所に配属され、地域の感染症対策を担当していた同僚らとともに、HIV感染者を専門に治療する県立病院で医療サービスの向上、患者への教育、地域住民への啓発活動などに取り組んだ。

「薬さえあれば患者は救われる」

長い間、段ボールの中や棚の上に放置されていたHIV感染者のカルテ

赴任して間もなく、これが単なる幻想だということが分かった。ケニアではHIV検査はもちろん抗HIV薬も無料。支給された薬を正確に飲めばHIVに感染していても長く健康な生活を送ることができる。しかし、土田さんが活動していた県立病院には4,800人のHIV感染者が登録されていたにもかかわらず、その半数に近い人々が途中で治療をやめてしまっていたのだ。こうした状況はケニアだけではなく、アフリカ全土で起きており、エイズ対策が進まない要因となっている。「一度投薬治療を開始した人が途中でやめてしまうと、HIVが耐性化し、薬が効かなくなってしまいます。耐性化したHIVを他人にうつすと、うつされた人は最初から抗HIV薬が効きません。耐性HIVを広めないためにも、そしてHIV感染者の命を救うためにも、治療から離脱してしまう患者を出さないこと、病院から遠ざかった感染者を支援していくことが大切なのです」と土田さんは話す。

土田さんが放置されていた4,800人のカルテを引っ張り出し、受診記録を分析した結果、一度だけ病院に来て戻ってこないケースが多数を占めていることが分かった。というのも、県立病院にはHIV検査を担当する医師1人、看護師2人と、HIV感染者へのカウンセリングを担当するケニア人の保健ボランティアは多い時でも3人ほどしかいない。この体制で毎日100人以上の患者に対応しているため、常に県立病院は人手不足。検査を受けて陽性と診断されても、十分なカウンセリングも受けられずに薬だけをもらって帰ることが常態化していた。そうすると、伝統的な医療や祈祷師に頼っている村の人たちと信頼関係を築くことができず、「あの病院を信用するな」という身内の言葉に従ってしまう。薬でエイズの発症を抑えられることが理解されていないため、身内からHIV感染者が出たことを隠したがる風潮も、これに拍車をかけていた。また、地域を巡回してHIV感染者に病院での投薬治療を促す重要な役割を担っている県の村落保健員も、基本的に給料は支払われていないためモチベーションが低く、十分に機能していないのが現状だった。

「薬だけで病気は治せない」

HIV/エイズで苦しむ患者と向き合うため医療の現場に携わりたいと飛び込んだ協力隊。そこで目にした、検査や薬が無料であっても必要な患者に届いていないという現実。製薬会社で「病気から多くの人を救うために」と新薬の研究に携わってきた土田さんにとって、大きな衝撃だった。

「ポポンS」がつなぐ日本とケニアのお母さん


診療所の待合室で順番を待つ人のほとんどが女性だ

2011年3月に帰国した土田さんはもといたCMC開発研究所に復職。帰国から2年が過ぎたころ、希望が叶い海外事業本部へ異動した。ちょうどこの海外事業本部に異動したタイミングで、社内の経営幹部候補育成プログラムである「サクセッションプラン」に推薦された。

サクセッションプランには管理職前の職員の中から毎年10人程度が選ばれ、3年間の研修を受けながら「経営課題と解決に向けた取り組みを提案する」という課題が与えられる。各メンバーは所属部長の指導を受けながら企画をブラッシュアップし、最終的に社長の前でプレゼンテーションしなければならない。そこで承認されれば事業化の道が開かれる。土田さんが所属部長に最初に提案したのは「アフリカでHIVのジェネリック薬を販売する」というものだった。しかし部長からは「ジェネリック薬を扱うのは会社の経営方針に合わない」「リスクが高いアフリカよりも、今取り組んでいる中国や東南アジアでビジネスを確立していくことが先決ではないか」といった理由から、見直しを求められた。

「部長から指摘されたとおり、日本や先進国を主な市場としてきた塩野義製薬にとって、いきなりアフリカでビジネスをするというのは現実的ではありませんし、社長プレゼンまで持って行ったとしても事業化は難しかったと思います」と土田さん。それでも「感染症薬で多くの人々を救ってきた塩野義製薬だからこそ、感染症薬に苦しむアフリカに安価な感染症薬を届けられるはず」という思いは変わらなかった。しかし同時に、安価なジェネリック薬を届けるだけでは、協力隊経験から生まれた「薬だけで病気は治せない」という思いを満たすことはできないと感じていた。

将来的に会社がアフリカでのビジネスを手掛けるきっかけになり、薬を提供するだけでなく、患者を取り巻く環境を変えていくための取り組みにしていきたい。そんなことを考えていたある日、協力隊時代に活動していた診療所の待合室を写した写真に目が留まった。

M to Mプロジェクトの告知ラベルが貼られた「ポポンS」。日本全国の薬局などで販売されている

「そうだ、お母さんにフォーカスしよう」。土田さんは、母親は子どもに病気をうつしたくないという心理的作用から、比較的、母子感染予防の活動は成果が出やすいという研究結果があることを思い出した。そう、活動していた診療所を訪れるのは、圧倒的に子どもを持つ母親が多かったのだ。

そうして生まれたのが、日本のお母さんとケニアのお母さんをつなぐ「Mother to Mother SHIONOGI Project」(以下M to Mプロジェクト)。塩野義製薬が発売する総合ビタミン剤「ポポンS」シリーズの売り上げの一部(注2)と同社社員からの寄付で、ケニアの母子保健を改善していこうというものだ。塩野義製薬がアフリカでのビジネスに取り組むきっかけや、薬だけではなく病気を取り巻く環境の改善につながること、加えて、日本のお母さんをはじめ「ポポンS」を購入してくれる多くの人たちもプロジェクトに参加することで、アフリカの現状に関心を持ってもらうきっかけにもつなげていきたいという土田さんの思いが込められている。

3年間で地域保健医療の基礎をつくる


支援対象地域の人たちに歓迎を受けるM to M プロジェクトのメンバー

2015年3月、土田さんは社長をはじめ塩野義製薬の経営陣を前にM to Mプロジェクトの構想を発表し、事業化が決定。協力隊時代の思い、新薬開発の研究員としての思いが会社を動かした瞬間だった。これまで同社は、開発途上国の最貧困層が必要とする医薬品やワクチン、診断薬の研究開発と製品化を推進するため、日本政府が主導し設立された「グローバルヘルス技術振興基金(GHITファンド)」(注3)に参加したことはあったが、開発途上国の人々に直接的な支援を行った経験はなかった。

M to Mプロジェクトを展開していくためには、現地で活動してくれるパートナーが必要だった。土田さんは提案が承認された直後にプロジェクトを立ち上げ、パートナーとなるNGOの開拓を始めた。関心を示してくれた数団体のうち、さまざまなアドバイスや具体的な提案をしてくれた国際NGO「ワールド・ビジョン・ジャパン」と連携していくことになった。ワールドビジョンは長年、ケニアで保健医療分野の支援活動を続けてきた団体だ。

対象地域となったのは、ケニア全体からみても5歳未満の死亡率が高いナロク県イララマタク地域。具体的な支援内容は、①妊産婦・新生児・幼児向けの診療所の建設、②巡回診療による基本医療の提供に加え、③医療従事者への教育と住民への啓発活動にも取り組む。これらを現地の保健省と連携して進めていくことで、地域保健システムを強化し、地域の母子の健康向上に貢献していくというもの。計画では、第1期工事として1年後に診療所を完成させ、第2期工事として入院施設の建設を開始し、3年後には診療所全体の完成を目指す。また施設建設と並行して、巡回診療への支援やエイズ対策の鍵となる村落保健員の教育などを始める。

支援対象地域にあるナロク県のチュナイ知事(写真左)にM to Mプロジェクトを開始することを報告する土田さん(写真右)と海外事業本部長の竹安正顕(たけやす・まさあき)さん(写真中央)

2015年11月、土田さんら塩野義製薬のプロジェクトチームはケニアを訪れ、支援地域で計画実施に向けた最終調整を行った。「わが子に予防接種を受けさせるために巡回診療に集まってきた母親たちが、日本の支援でつくられた現地版母子手帳を持っていたのが印象的でした」と土田さん。またプロジェクトチームはナロク県知事とも面会。診療所の建設予定地から一番近い病院が90キロ以上も離れている遠隔地ということもあり、知事は「ここに診療所をつくることはとても意味のあることで、心から感謝しています」と話す一方、「新設される診療所の建設と運営に行政としても協力していきたい」と、積極的にプロジェクトをバックアップしてくれることになった。

土田さんは今後3年間、リーダーとしてM to Mプロジェクト全体を統括していく。「まずはプロジェクトの意義を社内や販売店に浸透させていきたい」と話す背景には、「ポポンS」を売る側の私たちがその意義を理解し合わなければ、日本で「ポポンS」を購入するお客様にもその想いは伝わらないという考えがある。

「日本のお母さんがポポンSを手に取ったとき、アフリカのお母さんのことを思ってもらえるようになればうれしい」

土田さんの挑戦はまだ、始まったばかりだ。

(注1)出典:World Health Statistics 2015, WHO
(注2)1日摂取量あたり約1円が寄附される
(注3)参考:https://ghitfund.org/general/top/jp

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