知られざるストーリー

伝統と生きる村~JICAボランティアたちがユネスコ賞獲得に貢献~

「文化財の保存」と「観光開発」


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水田に囲まれて建つ温寺。ドンラム村を象徴する建築物だ

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の世界自然遺産に登録されているハロン湾に近いことなどから、観光地として日本でも人気の高いベトナム・ハノイ市。近年、市郊外のある農村が観光スポットとして人気を高めている。市街地から約50キロにあるソンタイ地区ドンラム村だ。村巡りをハロン湾クルーズなどとセットにしたツアーを組む日本の旅行会社も増えている。
同村の観光の目玉は歴史的な建築物である。200~400年前に建てられた木造の寺、廟、集会所、門、家屋などが現在も使われており、水田や池とともにベトナム北部の農村の伝統を今に伝える集落群を形成している。

ドンラム村が観光地化の道を歩み始めたのは2005年。歴史的建築物の保存をはかるため、ドンラム村にある9つの集落のうち、計1,500世帯が暮らす5つを同国政府が「国家文化財」に指定したのがきっかけだった。そこからにわかに村を訪れる国内外からの観光客が増え始め、8年後の2013年には年間10万人を突破する。観光客の増加とともに、それまで農業だけを収入源としていた住民たちの中に、観光ガイドや民家レストラン、ホームステイといった観光サービスの提供に挑戦し始める例も増加。世帯によっては収入が10倍以上にもなっている。
ドンラム村のこうした劇的な変化を促す一翼を担ってきたのが、2008年から同村に派遣されてきた延べ十数人にのぼるJICAボランティア(青年海外協力隊員とシニア海外ボランティア)たちだ。いずれも派遣先は、歴史的建築物の保存や観光開発を担当する同村の「遺跡管理事務所」である。

「文化財の保存」と「観光開発」。この二つが、今や住民の生活向上を支える両輪となっているドンラム村。文化財を保存できなければ、観光客を呼び込むことはできない。反対に、観光振興による収入の向上がなければ、文化財の保存もおぼつかなくなる。歴史的建築物である家屋に暮らす住民にとって、「便利なものへの改築」をあきらめて「保存」に協力するためには、「収入向上」というモチベーションが必要だからだ。
同村に派遣されたJICAボランティアたちが取り組んできたのは、この両輪への支援である。「建築」の専門性を持つボランティアは、文化財としての価値を損なわないで歴史的建築物を修復する技術を現地に伝えてきた。「ビジネス」に関する何らかのノウハウを持つボランティアは、観光開発に向けたアイデアの提供や技術指導に携わってきた。

ドンラム村へのJICAボランティアの派遣の発端となったのは、2003年に日本とベトナムの政府間で結ばれた国際協力協定だ。ベトナム国内の文化財の維持を目的に、そのパイロット地域として選ばれたのがドンラム村だった。JICAのほか、昭和女子大学や奈良文化財研究所などの「日本チーム」が、ベトナム政府や関係機関とともに同村で文化財の保存とそれを支える観光開発への技術協力を進めてきた。そうした取り組みのうち、歴史的建築物の保存への貢献に対しては、文化遺産の保全・修復への功績を顕彰する「ユネスコ文化遺産保全のためのアジア太平洋遺産賞」が2013年に授与されている。

建築職人と住民の双方への啓発活動


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集落を訪問する山口さんと(後列中央)と井上さん(前列中央)

「建築」の職種でドンラム村に派遣されたJICAボランティアは延べ7人。その一人、2009年から2年半にわたって協力隊員として活動した山口依子さんが保存技術の指導にあたったのは、「温寺」「ザンバンミン廟」という二つの宗教建築。山口さんは派遣前、大学院で歴史的建築物や町並みの保存について学んだ経験を持っていた。そこで身につけた専門知識を生かし、特に力を入れて伝えたのは、歴史的建築物を修復する際にとるべき大原則だ。
「現地の職人の方々には、『よりきれいにしよう』と考えて、柱など建築物の部材を新しいものに交換してしまおうとする傾向がありました。しかし、部材の交換は構造上どうしても必要なものに限り、長い年月残ってきた古い部材はなるべく多く残すというのが、歴史的価値を失うことなく修復するための基本的な考え方です。『部材を部分的に交換する』というのは難しい作業ですが、彼らの技術そのものは決して低くなかったので、この考え方を絶えず伝えるようにしていきました」

山口さんは職人を相手とするこうした活動を進めるかたわら、同じ時期に「村落開発普及員」の職種で派遣されていた協力隊員・井上あい子さんと共同で、住民を対象とした歴史的建築物の保全に関する啓発活動にも取り組んだ。その一つが、国家文化財の改変を規制する条例の解説や、ドンラム村の観光資源の情報などをまとめた冊子の製作と配布である。国家文化財に指定された5集落の民家の中には、不便さを嫌って違法な改築を行ってしまう例もあり、その対策として行った活動だ。配属先のスタッフたちに意見をもらいながら二人で全体の構成をまとめたうえで、彼らに原稿の執筆を依頼。出来上がると、配属先の所長のかけ声により、配属先スタッフたちとともに5集落の計5〜600軒にのぼるすべての家を回り、配布した。

実はそれ以前にも、二人は同じ趣旨の冊子の製作を試みたことがあった。そのときは、企画から原稿の執筆、印刷の手配に至るまで、すべて二人だけで行った。注いだ労力は少なくなかったが、出来上がってみると配属先の反応は薄く、活用されないままになってしまった。たとえ村にとって良かれと考えて取り組んだ活動であっても、現地の人たちに関与してもらわなければ、成果に結びつけるために必要な協力を彼らから引き出すことはできない----。これを痛切に実感したことから、2度目の製作では主役を配属先のスタッフたちに担ってもらうことにしたのだった。結果、冊子に対する彼らの愛着は高いものとなり、全戸への配布が実現したほか、副所長は冊子を肌身離さず持ち歩き、違法建築を行っている家に指導を行う際に活用するようになってくれた。

専門性を生かした観光開発への支援


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宗さん(右端)とカムラム茶クッキーづくりにともに取り組んだ婦人会のメンバー

ドンラム村の観光が急激な伸びを見せた2012年から2014年にかけて、民間企業を休職して赴任した二人の協力隊員が村の観光開発への支援に取り組んだ。いずれも、日本の所属企業で携わってきた業務の経験を生かした活動を展開した。
その一人は、外食チェーンを運営する企業から派遣された男性。レストランにおける接客や調理、衛生管理などの技術指導に取り組んだ。
もう一方の協力隊員、宗陽香(そう・はるか)さんは、化粧品メーカーから派遣された女性。日本で「商品開発」に携わってきた経験を生かして取り組んだのは、地元の農産物を使ったみやげ物用の菓子の開発だ。

宗さんが商品開発の準備として村内の農産物の調査を行ったところ、農産物の多様性が失われつつあることがわかった。コメやトウモロコシ、ピーナッツなど、高値で売れるものばかりがつくられるようになってきているのだ。品目の減少は、文化財としての価値を持つ「伝統的な農村風景」の変容にもつながってしまう。そうして宗さんが着目した農産物は、国家文化財に指定されている5集落のうちの一つ、カムラム集落の特産品であるで「カムラム茶」だ。生の葉に湯を注いで飲むもので、かつては集落内で盛んにつくられてきた伝統的な茶だが、現在では茶葉そのものは高値で売れないことからごくわずかな農家が生産するだけになっている。その結果、集落では「カムラム茶の森」の風景までもが失われつつあるのだった。

そうして開発に取り組むことにした菓子は、カムラム茶を混ぜ込んだクッキー。日本では抹茶の粉を入れたさまざまな菓子がつくられているが、ベトナムには茶を使った菓子はない。試作品をつくったところ、味も現地の人に好評だった。売れる見込みを感じたことから開発に着手したが、当初は思うようにはかどらず、苦労した。自分とは価値観も経験も異なるベトナムの人たちと歩調を合わせることが容易ではなかったのだ。
「日本で一つの化粧品を開発する場合には、100にのぼるバリエーションをつくって吟味を重ねます。その経験から、私はクッキーの開発でも手間ひまをかけて、よりよい味や食感のものをつくりたかったのですが、現地の人たちにはそうした手間をかける意義がなかなか理解してもらえなかったのです。サンプルが一つできると、『もうこのレシピで十分だ、さあ売り出そう』と言われてしまうのでした」
当初は彼らとぶつかり合うことも多く、「ひとりで開発すれば、どれほどスムーズに進むことか」と思うこともあった。しかし宗さんは、彼らと共同で開発することにこだわった。どれほどおいしい商品が出来上がっても、それまでのプロセスを現地の誰かに共有してもらっていなければ、その後、生産や販売は持続されないだろうと考えたからだ。そうしてしばらくは宗さんの粘り腰が続いたが、やがて状況の変化が訪れる。ベトナム語がつたないにもかかわらず、面倒な作業を増やしてばかりいる自分に付き合ってくれている現地の人たちこそ、忍耐を強いられているはずだ----。宗さん自身に相手の心の内に目を向ける余裕が出てきたことで、彼らとの価値観の違いを乗り越えることが苦でなくなってきたのだ。
そうして無事にカムラム茶クッキーの開発を完了すると、カムラム集落の婦人会を対象に生産や販売の技術を伝える研修を実施。自主的に生産・販売を開始するメンバーが現れるのを見届けてから任務を終え帰国することができたのだった。

よそ者の支援が終了した後、現地の人たちがみずからの力で村の発展に取り組んでいってもらうためには、どのように活動すればいいのだろうか?こんな自問自答を繰り返しながら、JICAボランティアたちが真摯な支援を展開してきたドンラム村。集落群はユネスコの世界文化遺産への登録も有力視されており、ベトナム政府もそれを目指す。世界文化遺産への登録には、現地の人たちが自力で文化財を守り続ける力を持つことが不可欠。それこそ、JICAボランティアたちが目指してきたものにほかならない。

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