知られざるストーリー

対ウイルスの最前線で〜バングラデシュのポリオ根絶を
支えた青年海外協力隊員たち〜

WHOの「ポリオ根絶宣言」


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青年海外協力隊員が支援したバングラデシュにおけるポリオワクチンの一斉投与

世界保健機関(WHO)は 2014年3月、「南東アジア地域」と区分される国々での「ポリオ根絶」を宣言した。同地域に含まれるバングラデシュでは、1999年からこれまでに延べ約70人にのぼる青年海外協力隊員たちが、ポリオ根絶に向けた取り組みの一翼を担ってきた。その最初のグループの一員として1999年から2年間、予防接種の促進などに取り組んだ大竹洋子さんは、「根絶宣言」への感慨についてこう話す。
「派遣当時、活動していたエリアで『予防接種率が上がった』という結果が出ても、それで果たしてどれくらい『根絶』に近づけたのか、実感するのは難しかった。『根絶宣言』を聞いたことで、明確な手応えが得られない中でもがんばって活動したことの意義を改めて確認することができ、とてもうれしかったです」

ポリオは、治ることのない急性弛緩性まひを主に手足にひき起こすウイルス感染症。おもに5歳未満の小児が感染することから、かつては「小児麻痺」とも呼ばれていた。野生株のポリオウイルスを弱毒化したワクチンの接種によって予防できるが、ひとたび感染すれば治療法はない。
ポリオウイルスが宿るのは人間の体内だけだ。通常、一人の人に持続感染することはなく、1〜2ヵ月で便に排泄。それをほかの人が経口で体内に取り込んでしまうことで、新たな感染が発生する。感染者が一人でもいれば感染拡大のリスクが消えることのない疾患であり、人類にとって共同戦線を張ることが欠かせない脅威の一つだ。

地球上のポリオの「根絶」に向け、WHOが野生株のポリオウイルスを絶滅させる取り組みを始めたのは1988年。その柱となる方法は、定期予防接種のシステム確立や、急性弛緩性まひの患者を発見してポリオの診断を行うサーベイランス(監視)の徹底などである。WHOが各国政府や援助団体などとともにそれらを進めてきた結果、1988年には世界に約35万人いると見られていた感染者が、2013年には約400人へと減少した。2015年現在、野生株のポリオウイルスの常在国はアフガニスタン、ナイジェリア、パキスタンの3ヵ国のみとなっている。日本では1964年には定期予防接種が開始され、1980年を最後に野生株のポリオウイルスによる感染者は出ていない。
そうした流れの中、WHOの区分による世界6地域の中で4番目に「根絶」が宣言されたのが「南東アジア地域」だった。各国で「根絶」されたかどうかを認定する基準は、「3年以上野生株のポリオウイルスの伝播がないか」や「急性弛緩性まひのサーベイランスがきちんとなされているか」などとなっている。

協力隊員が果たすべき役割


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村落部におけるワクチン一斉投与の実施状況を確認する大竹さん

全国の5歳未満の子どもに対して同じ日に一斉にポリオワクチンを投与する取り組みがバングラデシュで開始されたのは1995年だ。それにより、臨床的に(症状から)ポリオと判断された患者数が1994年には約2300人だったのに対し、ポリオ対策に取り組む協力隊員の派遣が開始された1999年には約300人へと減少。2001年には新たな感染者はゼロとなった。しかし、ポリオの感染リスクは国内での感染の発生が止まったからといってなくなるものではない。他国で感染した人が野生株のポリオウイルスを国内に持ち込んでしまう可能性があるからだ。ポリオの場合、感染者の大半が症状を示さない疾患であることから、その可能性はとりわけ高くなる。2001年以降もバングラデシュで定期予防接種や急性弛緩性まひのサーベイランスが継続されてきた意図はそこにある。協力隊員たちが同国で担ってきたのは、そうした対策の質向上に向けた支援だ。

前述の大竹さんが配属されたのは、同国保健家族福祉省の首都にある予防接種拡大計画事務所。WHOやNGOなどさまざまな援助機関が同国のポリオ対策にかかわる中、大竹さんは着任当初、協力隊員として果たし得る役割を見出だすことの難しさに直面した。「主な役割は急性弛緩性まひのサーベイランスの補強」と聞いて赴任したものの、同国には援助機関が派遣する医療の専門家が大勢集結していたため、医療以外を専門とする大竹さんに回ってくる仕事ははなかなか見つからなかったのだ。「人の役に立ちたい」。そう意気込んで協力隊に参加した大竹さんにとって、何より辛い事態だった。

活動の方向性が見えてきたのは、援助機関の手が回っていない田舎の村へと足を運ぶようになってからだ。村に到着するやいなや、村中の人々が興味津々で集まってくる。大竹さんがベンガル語が話せるとわかると、「外国人がこんなところまで何をしに来たんだ」と質問攻めに。そこでポリオや予防接種のことを話してみると、みな真剣に耳を傾けてくれた。そうして村の人たちとの距離が縮まり、彼らの生活の様子がつかめてくると、ポリオ対策に関して自分の果たし得る役割が見えてきた。彼らは病気になった際、設備の整った都市部の病院に行く経済的な余裕はないため、地元の祈祷師や伝統的産婆、行政が村々に配置する保健ボランティアなどに相談をしていた。そこで大竹さんは、村における保健・医療のそうしたキーパーソンたちを対象にポリオに関する啓発活動を行い、予防接種率の向上などへとつなげることにしたのだ。
以後、「医療の専門家が来ないような田舎の村に足を運び、現地の人と同じ言葉を使いながら啓発を行う」というのが、ポリオ対策に携わる協力隊員たちの基本的な活動スタイルとなった。

「現場」の視点でプログラムの改善を提案


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ポリオと麻疹(ましん)のワクチン一斉投与の実施状況を確認する中川さん

協力隊員たちは年に1~2回実施されるワクチン一斉投与の運営支援にも携わったが、「現場」に張り付いている者の視点に立ってその運営の改善策を提案することも、協力隊員たちが果たしてきた役割の一つだ。
ワクチン一斉投与では事前にまず、担当行政官が村々を回って、接種を担当するボランティアスタッフたちに実施要領を説明。さらに、当日も各接種所を回って、きちんと実施されているかどうかをチェックする。2010年にバングラデシュ第2の都市、チッタゴン県に派遣された中川真吾さんがほかの協力隊員とともに行ったのは、ワクチン一斉投与の作業手順を記載したボランティアスタッフ向けリーフレットの刷新だ。彼らはみな、医療の専門性を持たない一般の住民。中には字が読めない人もいた。そのため、事前にリーフレットを配布しても、不正確な方法で接種したり、接種の済んだ子とそうでない子の区別ができなくなるなどの混乱が生じたりといったことが起こっていた。そこで中川さんたちは、絵や写真を多用し、作業手順が直観的に理解できるようなリーフレットを作成。チッタゴン県で使用したところ好評だったことから、翌年からはNGOの資金援助により全国で配布されるようになったのだった。

「木登りの名人」で警鐘を鳴らす


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ワクチン一斉投与の実施を知らせる旗

2005年、バングラデシュ政府は最後の感染の発生から5年経ったことから、ワクチン一斉投与をやめることを検討し始めた。それに対して警鐘を鳴らし、警戒を緩めることを押しとどめたのも協力隊員だ。2003年に派遣された泉田隆史(せんだ・たかし)さんである。泉田さんが政府の担当者によるミーティングの場で紹介したのは、『徒然草』にある「木登りの名人」の話だ。高い木に登って仕事をする植木職人と、それを下で見ている木登りの名人。職人が木の上の方にいるときには何も言わなかった名人が、下の方に降りてきたときには「気をつけろ」と声をかけた。「誤って落ちるのは、安心できる高さにいるとき」との考えからだった----。
実際、泉田さんが帰国した翌年の2006年には、まだ感染の発生が続いていた隣国・インドから野生株のポリオウイルスが持ち込まれたことが確認された。そうしてバングラデシュ政府の担当者たちは泉田さんが鳴らした警鐘の意味を理解し、あらためて兜の緒を締めたのだった。

ともに汗を流すことで生まれる絆


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村落部で定期予防接種の実施状況について聞き取りを行う中村さん

82パーセントから96パーセントへ。協力隊員たちがポリオ対策への協力に携わってきた2000年から2012年の間に、バングラデシュにおける定期予防接種の接種率は14ポイントの上昇を見せた。彼らの活動の成果はこのような明確な数字で表れているが、彼らの活動がもたらしたものはそれだけにとどまらない。現場で現地の人たちとともに活動することにより、彼らとの間の絆が深まっていったのだ。
2010年から2年間、同国東部のブラモンバリア県に派遣された中村佳永(なかむら・よしなが)さんは、県の男性スタッフと二人三脚で活動を行った。彼は中村さんより一回り以上年上であるにもかかわらず、中村さんの懸命に活動する姿勢に共感し、労を厭わずに協力をしてくれるような人だった。定期予防接種の実施状況をチェックするために村を訪れる際、交通の便が悪い地域の場合には帰宅が深夜になってしまうということもあった。それでも男性スタッフはいつも中村さんに同行してくれたという。「生涯残る麻痺で苦しむ人を出さない」。そんな志を共有し、一緒になってハードな作業をこなしていく経験がもたらす絆は固い。それは、「現地の人とともに」を活動の本質とする協力隊員だからこそ生み出せる絆でもある。

「根絶宣言」から1年。現在バングラデシュでは、ポリオ対策で培った感染症への対応のノウハウを、HIV/エイズや結核などほかの感染症への対策に生かしていこうという動きが始まっており、それに携わる協力隊員の派遣も開始された。ウイルスや細菌など、人類に共通の害悪に対する国境を超えた人々の協働が、また一つ始まっている。

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