公益財団法人全日本柔道連盟(以下、全柔連)に勤務する小林幹佳(こばやし・みきよし)さんは2011年3月から2年間、パナマに派遣され、柔道の普及促進と競技力向上に尽力した。配属先の同僚だったブラウリオ・インセンシオさんは、現在パナマ代表チームのコーチを務めている。2016年1月、東京都文京区にある講道館で行われた国際柔道連盟(IJF)主催の「審判・コーチセミナー2016」に参加するため来日し、小林さんと3年ぶりの再会を果たした。
ブラウリオさんは「柔道の創始者、嘉納治五郎師範が大事にした柔道の『形(かた)』は日本の心。パナマではミキヨシがそれを教えてくれました。柔道の『形』を大事にして、練習に励んでいます」と近況を伝えた。続けて「今でも道場に行くとミキヨシが生徒に教えている姿が目に浮かびます。できるなら、また一緒に柔道をしたい」と訴えると、小林さんは「自分もあの頃をよく思い出します。短期間でもまたいつかパナマで柔道をしたい」と笑顔で応えた。ブラウリオさんは「2020年の東京オリンピックまでには選手を強化して、東京に来たい」と語り、二人は固い握手を交わした。
パナマは南北アメリカ大陸と太平洋、大西洋の接点に位置し、太平洋とカリブ海を結ぶパナマ運河が通っている。北海道よりやや小さい国土に、約386万人が暮らす。中米諸国の中では高い社会経済レベルを誇るものの、第1次、第2次産業が未発達のため、都市と地方との経済格差がある。スポーツはボクシング、野球、バスケットボールやサッカーが人気で、柔道人口は数百人程度だが、国際大会にも積極的に参加している。
小林さんが柔道に関心を持ったのは小学1年生のころで、柔道を始めていた姉の影響だった。その後、中高一貫校に進んで柔道部に入部し、本格的に柔道に取り組み始めた。そして高校1年生の時、後に小林さんの人生を変える恩師と出会う。現役を引退して母校に戻ってきた柔道部の顧問だ。「いつも生徒と向き合い、本気で叱ってくれる先生。大学に進んでからも、よく会いに行きました」と小林さんは言う。
大学卒業を控えて、柔道の経験を生かせる仕事に就きたいと考えた小林さんは、警察官か消防士を目指して公務員試験を受験したものの不合格となる。就職浪人して再挑戦したが、願いは叶わなかった。就職浪人中、高校の道場で指導する場を与えてくれた恩師は、折に触れ青年海外協力隊への参加を勧めてくれていた。これからの柔道家は海外を知るべきとの考えからだ。小林さんは海外には興味がなかったが、「いま日本を飛び出して何かを経験しなければ、このまま日本にいても必要とされない人間になってしまう」との危機感から、青年海外協力隊の説明会に参加した。すると小林さんの気持ちは一変した。堂々と体験談を話す協力隊経験者に引き付けられたからだ。「内向きだった自分が変われるきっかけになるかもしれない」と感じたという小林さん。そして恩師の「行ってダメだったら帰ってくればいい」という一言も小林さんの背中を押した。
柔道を普及するためパナマに派遣された小林さんだったが、最初の配属先では生徒が集まらず、やるせない日々を過ごすことになってしまう。不安な気持ちを抱えて、新しい配属先であるパナマ大学に出向いた小林さんを温かく迎えてくれたのが、今回再会したブラウリオさんだった。ブラウリオさんは、現在のパナマ柔道連盟会長が2000年に開催されたシドニーオリンピックに出場した時、コーチを務めたほどの人物だった。
パナマ大学の柔道場は体育館の片隅にあり、狭い場所に畳が敷き詰められているなど恵まれた練習環境ではなかった。それでも子どもから社会人まで柔道好きな人たちが平日は毎日、20人ほど集まって練習に励んでいた。小林さんはこの道場で、試合に出場する選手を中心に柔道の「技」を教えた。スペイン語のコミュニケーションには苦労したものの、練習でともに組み合い、実践を通して教えることで言葉の壁を越え、徐々に信頼されるようになっていった。パナマ大学で指導を始めてから、充実した日々を送っていた小林さんだが、もっとパナマで柔道を広めたいという思いから、本来の活動以外にも月2回、パナマ市内の体育館で子どもから大人までを対象に柔道の指導をした。また、経済的な理由から柔道衣を買えずにいた子どもたちに、講道館の「柔道衣支援事業」を活用して、柔道衣50着を寄贈。小林さんは「初めて柔道衣を手にした子どもたちが照れくさそうにお礼を言っていた姿が印象的でした」と振り返る。
また小林さんの活動は、国内での普及や強化だけでなく、パナマ柔道の国際化にも大きく貢献している。その一つは、2012年11月にペルーで開催された研修にミゲル・アルマンサさんとアダン・デ・ウリオラさんの2人を連れて参加したことだ。この研修は柔道の「形」を普及させるため、中南米地域に派遣されていた協力隊員らが中心となり、ペルーの「第40回日本文化週間プログラム」に合わせて開催された。7日間に渡った研修の成果として、プログラムに来場した1,000人以上の聴衆を前に、パナマから参加した2人の若手指導者は、緊張した趣ながら最後まで堂々と柔道の「投の形」を披露した。「研修後にミゲルさんが、『形』を覚えることで柔道の価値観が変わったと話してくれたことが嬉しかったことを覚えています」と小林さん。
もう一つは、任期終了直前にパナマ代表選手を指導したことだ。コスタリカで開催される「2013中米競技大会」の出場に向けて合宿中だった代表チームの中に、当時はまだ無名選手だったクリスティン・ヒメネスさんがいた。「練習が終わってからも残って、組手や打ち込みの仕方などを聞きにきたのでよく覚えています。この選手は将来、国際的にも通用する選手になると感じました」と小林さんは語る。クリスティンさんには技術的な面に加え、試合前の体重調整やメンタルトレーニングの方法などを指導した。
帰国を控えた小林さんは、知人の紹介で全柔連への就職を打診されていた。海外の選手を招へいして国際大会を開催したり、日本代表選手団を海外へ派遣する際にサポートしたりと、国際的な業務が多い全柔連では、海外経験を持つ柔道家が多く活躍しているからだ。小林さんは協力隊での経験を生かして、大好きな柔道にかかわる仕事ができると考え、快諾した。帰国後、配属されたのは大会事業課で、全柔連が主催する国内の柔道大会を運営する部署だった。現在は競技部強化課に所属し、選手や監督が競技に専念できるよう、大会会場までの交通手段や現地宿泊施設の手配を行うなど、男子日本代表チームを陰で支えている。
2015年8月、小林さんがカザフスタンの首都アスタナで行われた世界柔道選手権大会に同行したとき、うれしい出来事があった。パナマ派遣中に代表選手合宿で指導したクリスティンさんに再会したことだ。クリスティンさんはその後、フランス、韓国、そして日本で開催された大会にも出場。日本ではクリスティンさんを引率してきた、あのミゲルさんとも再会を果たした。「協力隊での活動が、今のパナマ選手の成長につながっていることがわかり、本当にうれしい」と小林さんは語る。
全柔連は、学生の人間的成長と途上国での柔道普及を目的に、学生ボランティアの海外派遣を開始しており、2015年8月には中国とブータンに、そして2016年3月にはモンゴルとインドネシアに派遣した。小林さんは、本来の業務ではないものの、海外での指導経験を評価され、派遣に伴うさまざまな事務作業を手伝うことになった。
小林さんは帰国後、高校柔道部の後輩に協力隊への参加を勧めている。「自分でもできたから大丈夫」と言って背中を押す。これまで3人が合格し、ペルーとタンザニアで、それぞれ柔道の普及に励んでいる。「青年海外協力隊に参加したいと思ったら、迷わず行動に移すべき。語学の選考試験などハードルが高いと感じても、本気で取り組めば合格できるはずです。それが人生を変えるチャンスになります」と力説する。同僚であったブラウリオさんをはじめ、パナマの人々との間に生まれた絆を胸に、内向きだった柔道家は今、日本柔道の国際化に積極的に貢献している。
JICAではこれまで、体育教育の普及や競技スポーツの指導を通じて、健全な青少年の育成、健康増進、社会的弱者の社会参加とエンパワーメントなどを目的として、世界約90ヵ国、のべ3,500人以上のスポーツ分野のボランティアを派遣している。そのうち、柔道では世界約60ヵ国、のべ400人以上が派遣されている(2016年2月現在)。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、日本政府は、2014年からの7年間で100ヵ国以上、1,000万人以上を対象とした国際貢献事業「Sport for Tomorrow(SFT)」に取り組んでおり、JICAもコンソーシアムの一員として、柔道に限らず、体育、水泳、陸上競技、野球、サッカー、ラグビーなどの指導のために積極的に協力隊を派遣していく計画だ。