JICA海外協力隊(民間連携)制度 イオンタウン株式会社 JICA海外協力隊(民間連携)制度 イオンタウン株式会社

肩書きの通用しない世界で、想像を超えた人生が開けた

※文章内の制度名、派遣名称は派遣当時のものです。

イオンタウン株式会社
営業本部 関東事業部
営業統括部 マネージャー

西 瑠美子さん

西 瑠美子さん

縁がないと思っていた協力隊がその後の海外赴任へのきっかけに

民間連携ボランティア制度(現「JICA海外協力隊(民間連携)制度」)を通じて、2015年から1年間、インドネシアで活動しました。青年海外協力隊のことは知ってはいましたが、明るくはつらつとした人が行くイメージがあり、自分には縁がないと思っていました。しかし、海外事業部で働きたいと思っていたこともあり、グループ会社全体の公募を見て、「帰国後のキャリアを考えると最後のチャンスかもしれない」と、思い切って応募。面接では思いの丈をぶつけ、帰国後の夢を具体的に語った結果、当社初の隊員に選ばれました。

すぐに動かず、まずは観察して配属先のニーズを見極めた

配属先は、ジョグジャカルタ市の観光局でした。しばらくは周囲の人を観察する日々。動いている同僚を見つけては、後をついて回りました。そこから現地のニーズを資料にまとめ、現地スタッフを集めて、1年間のスケジュールとともにプレゼンテーションを行いました。観光については門外漢でしたので、自分が得意なことで活動しようと、日本語の観光マップを作ることにしたのです。言葉は不得意でしたが、建築を学んできたので、ものを作ることは得意でした。写真やビジュアルを中心とした資料を作り、自分が考えていることを「見える化」することで、相手から意見を引き出しました。マップの作成では、現地の人を巻き込むことを重視し、調査に協力してもらいました。また、現地の大学生と仲良くなり、ワークショップも実施。そこで得た生の観光情報をマップに反映させました。

私が派遣された意味を考えたとき、イオンが大切にしている「地域に根ざした会社」と、JICAが目指している「現地の人たちとの協働」が重なり、そこに自分の活動方針があると思ったのです。

西 瑠美子さん

何者でもない裸の自分になり、周囲の優しさに気がついた

日本では社名や肩書きがありますが、現地で私の会社を知っている人はいません。何者でもない自分がポツンと立っているのを感じた時、絶望感から思わず笑ってしまいました。真っ白になったけれども、絵は描けるし、文字も書ける。そう思い「できることからやっていこう」と開き直り、皆に協力を仰いで、何とかゴールにたどり着くことができたのです。

現地では、ホームステイ先の家族にも恵まれました。ある時、不安を抱えながら家を出て、ふと振り返ると、お母さんがずっと手を振っているのが目に入りました。ここに来て3ヶ月。その日までそのことに気づかなかった自分に唖然とし、いかに周りが見えていなかったかに気づきました。渡航するまでの私は、仕事は一生懸命でしたが、「自分しか見えていない」と言われることも多かった。しかし実際には、周囲の助けがあって活動できていたのです。ホームステイ先では、落ち込んでいるときにホストファミリーが私の好物を買ってきてくれたり、私の服を作ってくれたこともありました。そんな日々の出来事が嬉しく、心にもゆとりが生まれ、現地では自然といつも笑顔でいられたように思います。もし、あのまま日本にいたら、仕事はできても、心が不細工になっていたでしょう。周囲への感謝を教えてくれたのは、インドネシアでの日々でした。

活動終了後、人事部の担当者は「あんなに大人しく見えた子が、こんな経験をすると思わなかった」と、送り出してくれた上司は「行く前は不安しか見えなかったけど、二本足で立って、ちゃんと歩いて帰ってきてくれた」と、喜んでくれました。それを聞き、自分が少したくましくなったのだと実感しました。

帰国後は念願の海外赴任
JICAから人の輪が広がった

帰国後は、念願叶って、マレーシアに赴任となりました。人事総務部という未経験の分野でしたが、インドネシアの経験で自信がついていたので、落ち着いて取り組むことができました。また、マレーシア語はインドネシア語と似ているので、言語を通じて現地の輪に入っていくことができました。あの時、言葉を武器として持たせてくれたJICAには、感謝をしています。

もし協力隊の経験がなかったら、現地のやり方に一方的に苛立っていたかもしれませんが、海外赴任では、相手が答えを出しやすいように、先回りして動くことができました。「どうしたら皆が活躍できるか」を考えるようになり、今まで遠い存在だったマネジメントにも自然と関心が向かいました。また、開発途上国では、すでにできあがっている状態ではなく、これからつくるところに立ち会えるのが大きな経験です。日本を離れてみてこそ、単なるローカライズではなく、「日本より良いものを作ろう」という発想が生まれるのだと思います。

マレーシアでは、JICAの繋がりから、企業や年齢を超えて知り合いの輪が広がっていきました。皆が何かの専門家ですので様々な情報が入ってきますし、皆が集まると一つの物事を多角的に見ることができ、非常に刺激的です。インドネシア赴任当時はひとりでいることが多かったのですが、何年か経ってから輪が広がるとは思ってもみませんでした。

振り返ってみれば、あの時、ためらわずに飛び込んで本当に良かったと思います。私が会社に貢献できるのはこれからです。今後の自分を見ていただきたいと思っています。

西 瑠美子さん