石川県白山市にある行善寺(ぎょうぜんじ)は、1418年(応永25年)に開かれた由緒ある寺だが、地元では一風変わった寺として知られている。この寺には地下1,340メートルから湧き出る天然温泉があり、高齢者のデイケア施設もある。さらには、ブータン産のそば粉を使ったおいしいそばや団子が食べられる食事処や地元で採れた野菜などを売る店もあり、そこでは高齢者や障がいのある人たちが生き生きと働いているという。実際に2016年7月のある日、行善寺を訪れると、畳敷きの食事処に設置された大型テレビの前で、高齢者も障がい者も、子どもも大人も、みんな一緒にわいわいとラジオ体操を楽しんでいた。
行善寺にはこうした温泉や藪そば店に加え、配食サービスや高齢者デイサービスのほか、訪問介護や障がい者福祉サービスの事業所があり、その周辺5キロには、10軒のグループホームが整備されている。今後、サービス付きの高齢者住宅、学生向けのシェアハウスなどが整備される予定だ。これらはすべて行善寺を母体とする社会福祉法人佛子園(ぶっしえん)が運営するもので、こうした施設を活用して、障がいや疾病の有無、世代や性別などに関係なく、地域の誰もが生涯活躍できるまちづくりを目指す「B'sプロジェクト」が動き出している。また、行善寺の隣では、プールも併設された地域住民の健康維持・促進のための施設が、2016年10月のオープンを前に急ピッチで建設が進められている。
プロジェクトを主導する佛子園の理事長、雄谷良成(おおや・りょうせい)さんは、青年海外協力隊の経験者だ。1986年から約2年間、ドミニカ共和国の第二の都市サンティアゴにある特別支援学校で、障がい者教育の指導者育成に当たった。「この時の経験が、佛子園を通したコミュニティづくりの原点になっています。当時、社会保障制度がまったく整備されていなかったドミニカ共和国では、隣近所の人と人のつながりがとても強く、互いに助け合って暮らしていたのです」と振り返る。
例えば、脚の不自由な子どもの通学に毎日往復4時間かけて付き添う隣人がいたり、離婚した妻の連れ子を当たり前のように育てていたり。障がい者教育の全国大会で基調講演をするはずだった配属先の同僚が、隣の家の奥さんが風邪をひき、その看病を理由に、会場に現れなかったこともあったという。「ドミニカ共和国の人たちはとにかくおおらかで、コミュニティの連帯意識が強い。私にとってとても居心地がよく、住み続けたいと思ったほどです」と雄谷さんは懐かしむ。
一方で、隊員としての活動は最初から順調とはいえなかった。行ってみると、配属先の学校には電気も水も通っていなければ、椅子や机も、黒板もなかった。そこで、まず学校の設備を整える資金を得るために、ほかの地域に配属されていた養鶏隊員の協力を得て、鶏の飼育を始めた。卵よりも鶏肉の方が儲かるということで鶏を売り、その収益を学校の運営資金に充てた。ふと気付くと、養鶏で出た鶏糞がたくさんあったので、それを肥料として野菜の栽培も始めた。それには野菜栽培の協力隊員の力を借りた。畑は土木の協力隊員に声を掛けて、学校近くの放棄地に灌漑施設を備えた本格的な畑をつくった。今でいう協力隊の「グループ型派遣」を、自分たちでやってのけた形だ。
それだけではない。当時、ドミニカ共和国には、障がい者が働く場所も機会も極端に少ない中で、養鶏や野菜の栽培といった作業を障がい者の就労訓練の機会として活用した。立派な活動成果だと思えるが、「今にして思えば、まだまだ工夫する余地はあったが、とても多くのことを学ばせてもらった。今こうして協力隊の経験を生かして日本のコミュニティ再生に取り組んでいるのは、そういう経験をさせてもらったことへの恩返しだと思っています」と雄谷さんは言う。
雄谷さんの「生涯活躍のまちづくり」には、もう一つの原点がある。行善寺で生まれた雄谷さんは、幼いころから障がいのある子どもたちと一緒に育った。祖父の本英(ほんえい)さんが戦後、障がいのある孤児を寺で預かったのがきっかけで障がい者施設「佛子園」を開設した。雄谷さんは障がい者と寝食を共にしながら大きくなったのだ。
障がい者が近くにいるのが当たり前の環境だった雄谷さん。将来は佛子園を継ぐつもりで、大学では障がい者教育を専攻した。しかし雄谷さんにとって、大学の授業は机上の空論に思え、魅力的なものではなかった。次第に大学からは足が遠のいて山登りに明け暮れた時期もあったという。
大学を卒業してから1年半、石川県白山市に自らが立ち上げた特別支援学級の教諭として働いたが、大学時代に唯一、尊敬していた指導教授の勧めもあって、青年海外協力隊に応募した。「応募条件は『障がい児教育の経験が5年以上』でしたが、応募書類には22年と書きました。面接で『1年半なのでは?』と突っ込まれたのですが、『障がい児と一緒に暮らしたのが22年ですから、22年です』と生意気にも答えたら、合格したんです」と雄谷さんは笑う。
協力隊の任期を終えて帰国した後、地元のことをよく知るためにと北國新聞社に入社。6年後に佛子園に戻ると、小規模の障がい者施設やグループホームを立ち上げながら、隊員時代を過ごしたドミニカ共和国のように、隣人同士がつながり助け合って暮らす理想のコミュニティを金沢にもつくろうと、試行錯誤をくり返した。
その手法は少しずつ形を変えていくことになるが、最初につくったのが「西圓寺(さいえんじ)」(石川県小松市)を活用した高齢者のデイサービス施設だ。住職が亡くなり廃れてしまった寺を何とかしてほしいと、地域の人々に依頼されて再生したものだ。温泉を掘り、カフェをつくり、地域に開放した。そこでは、デイサービスを利用する高齢者だけでなく、職員として働く障がい者、温泉利用客、遊びにやってくる近所の子どもたちと、さまざまな人が集まって交流している。地域に定住する若者が増え、過疎化に歯止めがかかっただけでなく、魅力を感じた若い世代が周辺に移住してくるようになり、開所当時の2008年には55世帯だった世帯数が2016年には72世帯と、約3割も増えている。
次に取り組んだのが「シェア金沢」(石川県金沢市)だ。金沢駅から約6キロ離れ、東京ドームのおよそ4分の3個分の広さを持つ国立病院の跡地に、障がい者の入所施設、高齢者住宅、学生向け住宅のほか、温泉、レストラン、配食サービスの事業所、高齢者向けのデイサービス、学童保育、スポーツ施設や音楽施設などがあり、地域の人々が多く出入りしている。
月30時間のボランティア活動を条件に月額約3万円と格安の家賃で入居している学生は、高齢者と一緒に入浴して背中を流しながら、交流を楽しんでいる。家庭で虐待を受け、ほとんどしゃべらなくなってしまっていた障がい児は、シェア金沢でさまざまな世代の人たちと触れ合うことで明るさを取り戻し、今では学童の幼い子どもたちのいい遊び相手になっているという。
シェア金沢は、『東京消滅―介護破綻と地方移住』(増田寛也編著・中公新書)でも紹介されており、地方創生の先駆的事例として全国から注目されている。2016年4月に改正された国の地域再生法のモデルにもなっていて、「生涯活躍のまち」構想の実現を目指す市町村から関係者の視察が絶えない毎日だ。
雄谷さんの挑戦は今、次の段階へと進んでいる。それが冒頭の「B'sプロジェクト」のように既存のコミュニティを「生涯活躍のまち」として再生するものだ。シェア金沢のような広い敷地がなくてもよく、全国的に増えている空き家の有効利用も可能という点で、他の地域でも取り入れやすいという特徴がある。
B'sプロジェクトのキーワードの一つが「住民自治」。その進め方には、開発援助や協力隊の活動でも使われるPCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)(※)という住民参加型のノウハウが取り入れられていて、プロジェクトに関わる人々の自主性を促す効果がある。「協力隊の経験から、プロジェクトを成功させるためには、現地の人々が自ら考え動き出すまで、忍耐を持って待つことがいかに重要かを学びました。効率ばかりを考えて、何でもこちらから手を出し、口を出してやってしまっては、プロジェクトの成果は持続しません」と雄谷さん。2016年4月、B'sプロジェクトの第1期竣工とともに行われた開所式は、すべての段取りを住民らが行った。B's行善寺のスタッフの募集もまた、住民自らが進んで行ったという。自分たちのB's行善寺、自分たちのコミュニティという意識が強い証拠だ。
B'sプロジェクトのもう一つのキーワードが「交流人口」だ。「デイケア施設など福祉目的でやって来る高齢者や障がい者以外の訪問者、つまり、温泉や飲食、買い物などのために施設を訪れる地域の人々の数が交流人口で、それがどれだけ多いかが、障がいや疾病の有無、世代や性別、あるいは国籍や宗教の違いを超えた"ごちゃまぜ"の共生コミュニティをつくりだすカギなのです。この『交流人口』という考え方は、高齢者や障がい者福祉を盛り込んだコミュニティづくりの新たな指標になるでしょう」と雄谷さん。B's行善寺の場合、オープンから1年が経過した2016年3月時の交流人口は、およそ6,000人。隣接する敷地にプールなどが完成する2016年10月以降は、2万4,000人にまで拡大していく計画だ。
B'sプロジェクトのように既存のコミュニティを生かしたまちづくりは、現在、石川県輪島市、宮城県岩沼市でも展開されている。そこでは、青年海外協力隊の経験者でつくる公益社団法人青年海外協力協会(JOCA)のメンバーが活躍。輪島市には20代から50代までの男女10人、その家族も合わせると21人が移住してまちづくりに参加している。宮城県岩沼市のプロジェクトは佛子園ではなく、JOCAが主体の事業として行われており、2017年からは岩手県遠野市、広島県安芸太田町、鳥取県南部町でも始まる予定。これらのプロジェクトに、帰国後や派遣前の協力隊員が参画するプログラムも動き始めている。
JOCAの理事長でもある雄谷さんは「青年海外協力隊の経験者は全国で約4万人。彼らの職種は120以上にも及び、多様な人材の宝庫です。年間1,000人もの協力隊経験者が途上国での活動を終えて帰国しますが、これまでは日本国内の地域社会でその成果を十分に生かせておらず、埋もれてしまっていました。今後は、課題解決への意欲と柔軟な思考、実践力を備えた彼らを、地方創生事業に積極的に活用していきたい」と話す。
青年海外協力隊を経験して生まれた理想の「ごちゃまぜ共生コミュニティ」づくりは今、金沢から全国へと、少しずつ広がろうとしている。
※PCM(プロジェクト・サイクル・マネジメント)とは、開発援助のプロジェクトを効果的に実施していくために、「計画」「実施」「評価」という一連のサイクルでとらえ、運営・管理していく方法。日本を含む、世界中の開発援助関係機関で一般的な概念として導入されている。