2016年9月、岡山理科大学(岡山県岡山市)とモンゴル科学アカデミー古生物学地質学研究所の共同調査隊が、モンゴルのゴビ砂漠南東部で世界最大級の恐竜の足跡化石を発掘したことが新聞各紙で報じられた。足跡の大きさは長さ106センチ、幅77センチ。1メートルを超える足跡の化石は世界でも珍しく、大型恐竜の生態や当時の様子を知る上で貴重な発見として世界が注目。未だ見つかっていない骨格化石の発見に向け、今後の発掘調査への期待が高まっている。
この調査隊の日本側チームを率いているのが、岡山理科大学教授の石垣忍(いしがき・しのぶ)さんだ。岡山理科大学に赴任してまだ2年目だが、1990年代からモンゴルでの発掘調査に参加してきた経歴を持つ。そんな恐竜化石発掘のプロである石垣さんをもってしても、1メートルを超える足跡化石を発見したのは今回が初めてだという。
「恐竜の化石は地球が現在に残してくれた手紙です。その手紙を解読し、皆さんに伝えるのが、僕たち地質学者や古生物学者の仕事なんです」。石垣さんは恐竜の化石を発掘することの意義をこう説明する。
石垣さんが恐竜の化石調査に関わるようになったのは1982年、27歳の時に青年海外協力隊員としてモロッコに赴任したのが始まりだ。大学で地質学を学び、卒業後は大阪で高校の教師となった石垣さんだったが、地質学の研究を続けたいという思いが強く、休日は地質調査や論文執筆を行っていた。そんな生活を4年ほど続けた頃、新聞に載っていた「青年海外協力隊員募集」の広告を目にした。協力隊についてはなんとなく知ってはいたが、当時は、農業や林業、機械や電気、土木・建築といった特別な技術を持つ人が参加するものというイメージを持っていた。
しかし、その日の新聞広告にはさまざまな募集職種が書いてあり、「これなら自分にもチャンスがあるのでは」と、協力隊に対する石垣さんの興味は一気に高まった。ちょうど、1年生の時から3年間、担任を務めていた生徒たちを卒業させたばかりで、教師としての生活に区切りがついたタイミングだった。また、地質学の分野でライフワークとなるような研究テーマを探していた頃でもあった。すぐに募集要項を取り寄せたところ、地質学の職種でモロッコのエネルギー鉱山省勤務の学芸員(古生物学)を1名、募集していた。
石垣さんはもともと構造地質の専門家。化石を調べる古生物学を勉強したことはあったが、化石そのものの専門家というわけではなかった。また博物館で仕事をするための学芸員の資格は持ってはいたものの、実際に博物館で働いた経験もなかった。モロッコの要請に応えられるスキルは到底ないと思う一方で、やってみたいという意気込みはそれを打ち消すほどに強かった。「これを逃したら後悔する」。そう思った石垣さんは応募を決意。教員を休職してモロッコへと赴任することになった。
しかし、配属されたエネルギー鉱山省の地質図作成課には、石垣さんに用意されている仕事はなかった。「今思えば、モロッコのスタッフも僕に何をやらせたらいいのか分からなかったのだと思います」。そうした状況の中、同僚からアトラス山脈で恐竜の足跡化石が大量に見つかっていることを聞いた。そこで石垣さんは、恐竜の足跡化石を調査し、データを収集して展示できる状態にするというプロジェクトを提案し、自身の業務として認めてもらうことに成功した。それ以降、アトラス山脈の標高1,000~2,800メートルの地域で、年間40~70日ほどキャンプ生活をしながら化石の発掘調査に没頭した。
「協力隊に参加する前から博物館にはよく行っていましたが、フィールドワークは面白いのに、展示になると説明的でつまらなくなってしまうと感じていました。そのため、協力隊の活動では、発掘現場の面白さや臨場感が伝わるような展示にしたいと心がけていました」と石垣さん。任期中にはすべての展示物を完成させることはできなかったが、それでも、調査結果や写真などで展示品の見学ガイドを作り、発掘調査の成果を論文としてまとめることもできた。
帰国後は派遣前に勤務していた高校に復職し、再び教師としての生活が始まった。その後、定時制高校に異動してからは、昼間は大学で研究をしながら夜は高校で教えるという生活を送っていた。その間、大学の教授の勧めでモロッコでの協力隊活動をまとめた『モロッコの恐竜』(築地書館刊)を出版する機会を得たほか、モロッコでの体験を語る講演会も行った。
こうした生活を続ける中で、石垣さんには「博物館の仕事がしたい」という気持ちが日増しに強くなっていった。時代はバブル真っ盛り。当時は地域振興の一環として、自治体が博物館をつくるケースが増えていた。しかし、その中に石垣さんが魅力を感じる博物館はなかった。帰国してから世界中の博物館の展示を見て回って感じたのは、「恐竜の化石を並べて見せるのではなく、フィールドワークでの研究に基づき、協力隊の頃に目指していたような発掘現場の臨場感あふれる展示をつくりたい」という思いだった。
そんなとき、『モロッコの恐竜』を読んで石垣さんに興味を持った神戸大学の石井健一博士から、「箱から始まる博物館ではなく、アイデアから始まる新しい形の博物館を一緒につくろう」と声をかけられ、博物館の建設プロジェクトの企画に参加。さらに、これを実現させるためのベンチャー企業を設立し、出資者探しに奔走した。その結果、岡山県の企業がメセナ活動(注)として博物館プロジェクトに出資してくれることが決まり、石垣さんはその企業に入社した。岡山市に自然科学博物館を建設するため1992年に同企業内に準備室が発足すると、石垣さんは家族とともに大阪から岡山市に生活の拠点を移すことになった。
石垣さんは入社するとすぐに、同僚と共に博物館の研究活動としてモンゴル科学アカデミーとのゴビ砂漠恐竜調査を企画した。「モンゴル人研究者との共同調査には、異文化の人たちと一緒に発掘調査を行ったモロッコでの協力隊経験がとても役立ちました。毎年行う調査で、学術研究の成果を挙げることもできました」と石垣さんは振り返る。しかし、調査が順調に進む一方で、博物館の建設計画はなかなか具体化しなかった。そこで、2000年からフィールドワークで集めた資料や制作した恐竜の骨格模型などを外部で展示することに方針を転換し、2002年9月から2006年5月まで、東京臨海副都心で恐竜の展示としては当時日本最大規模となった「ダイノソアファクトリー」を開催した。同じ時期に自然科学博物館準備室は株式会社として独立。2007年からはダイノソアファクトリーの経験を生かして全国で巡回展を開き、約200万人を集客した。
展示の特徴は、ただ恐竜の化石を見せるのではなく、ゴビ砂漠での現地調査から始まり、発掘作業、研究、そして組立と、展示に至るまでのすべての過程を一貫して見られるところにあった。「研究者が自分の目線でストーリーを考えると、考えを一方的に押し付けることになりがちです。そうではなく、老若男女すべての人がそれぞれのスタイルで学び、理解できるような情報を提供することを心がけました」。そのため、石垣さんら研究員が、発掘現場の作業着を着て会場に座り、来場者と直接コミュニケーションをとるイベントも開催した。
外部展示や巡回展示では大きな成果を収めたものの、残念ながら理想の博物館を建設するという計画は実現することなく、2014年に自然科学博物館の会社は解散。博物館建設プロジェクトの研究事業は岡山理科大学へと引き継がれ、オリジナルの標本はモンゴルへ返却、制作したさまざまな恐竜の骨格や収集した標本は同大学や他の公立博物館へ移管することになった。長年、モンゴルでの調査に携わってきた石垣さんも、岡山理科大学へと籍を移した。
予期せぬ展開で大学の教授となり、再び教鞭をとることになった石垣さんだが、これからは自らの体験を整理し、若い世代に伝えていきたいという。「僕がモロッコやモンゴルで感じたのは、価値観の違いから分かり合えない部分が大きくても、共存しなくてはいけないし、共存できるということ。争わずに共存していくにはどうしたらいいかを考えていくことが、これからの時代は特に大切」だと話す。
また、「僕らがニュースなどで得る情報は、その国の一部でしかありません。最近はイスラムに対するイメージが悪化していますが、僕はモロッコでいろいろな人に助けてもらい、普通のイスラムの人たちがどんな人なのかを知っています。若い世代にはもっと海外に出ていろんなことを経験してもらい、またその経験を自分だけのもので終わらせるのではなく、多くの人に伝え、日本と世界の国々との相互理解につなげてほしいと思っています」と石垣さん。
2016年11月、石垣さんがリーダーを務める岡山理科大学の「恐竜研究の国際的な拠点形成」プロジェクトが、文部科学省が実施している私立大学研究ブランディング事業に選ばれた。これは、「学長のリーダーシップの下、優先課題として全学的な独自色を大きく打ち出す研究に取り組む私立大学に対して、施設費・装置費・設備費と経常費を一体として重点的に支援する」というもの。岡山理科大学はこの事業を通じて、モンゴル科学アカデミーと連携しつつ、ゴビ砂漠で発掘された恐竜化石を対象に、恐竜の古生態学や骨の病理組織分析、恐竜化石含有層の年代測定などに取り組んでいく。同時に、研究、教育、広報の機能を持つ博物館を大学に設置し、モンゴルと日本の若手研究者を育成していく計画だ。
一方、かつて石垣さんが協力隊員として赴任したモロッコのエネルギー・鉱山・水利・環境省は、鉱山開発やエネルギー事業など経済性の高い事業にシフトするため、2006年ごろに大規模な事業見直しが行われ、基礎科学的な分野は縮小。石垣さんが協力隊活動を終え帰国した後、一度は完成した博物館の展示も姿を消した。しかし、最近になって資源・エネルギー環境に関する展示も含む博物館の計画の話があり、JICAからも短期のシニア海外ボランティアが派遣されるなど、新たな動きもあったという。
「理想の博物館をつくりたい」
石垣さんの夢は時を経て、再び動き出している。
(注)社会貢献の一環として実施する芸術や文化の支援活動