「面白い先生」を目指して大学の先生の勧めで応募へ。
学校に1人はいるような「面白い教師」になりたい。大学4年になったばかりの私には、そんな漠然とした思いがありました。しかし同時に、社会人経験のないまま教師になって、果たして自分が望むような「面白い先生」になれるだろうか?という不安もありました。
こんな進路に関する悩みを相談した教員養成課程の担当教授が、たまたま青年海外協力隊のOB。JICA海外協力隊への参加を勧めてくれたことがきっかけで、応募しました。
行本 貴司さん
2014.07
学校に1人はいるような「面白い教師」になりたい。大学4年になったばかりの私には、そんな漠然とした思いがありました。しかし同時に、社会人経験のないまま教師になって、果たして自分が望むような「面白い先生」になれるだろうか?という不安もありました。
こんな進路に関する悩みを相談した教員養成課程の担当教授が、たまたま青年海外協力隊のOB。JICA海外協力隊への参加を勧めてくれたことがきっかけで、応募しました。
赴任したのはパプアニューギニア西部のキウンガという街にある唯一の高校。ここで、理数科教師として物理と数学を教えました。キウンガには大学がないため、いわばここが地域の最高学府です。高校教師は地元の人から尊敬されますし、地域とのつながりも強いのが特徴でした。村のイベントも全てこの高校で行われ、卒業式には村人がみんなでやってきます。
そんな地域の中心的存在の高校に派遣されて来た若い日本人ということで、私はどこへ行っても注目の的。ちょっとした有名人になった気分でした(笑)。ここでは学校が地域の人々に開かれた存在であることに、日本との違いを強く感じました。
学校では、毎日の授業のカリキュラムを作ったり、間違いが散見される教科書を直しながら教えたりと、なかなか大変な日々。ただ、生徒たちとは年齢が近かったこともあって、とても仲良くなれました。中でも一番思い出に残っているのは、自分の受け持つクラスの生徒たちと、ホームパーティーで楽しい時間を過ごしたことですね。生徒たちが生きている鶏を見事にさばいたり、木にするするっと登ってバナナを取ってきたりするのには驚かされました。私は日本食を作って、生徒たちに振る舞うことに。今思えばちょっとした文化交流の場でもありました。学校の外だからこそ見られた、生徒たちの素顔が面白かったです。
青年海外協力隊に参加する前、帰国後は教師になるつもりでいました。家族にも「帰ってきてからどうするのか、何のために行くのかを明確にしてから参加するのであれば、反対はしない」と言われていました。しかし2年間にわたり、パプアニューギニア独特の開放的な学校の中で教師の仕事を経験したことで、日本の学校で教師をやることよりも、国際舞台で活躍することに興味を持つようになっていました。
そこで、JICAの進路相談カウンセラーによる進路支援などを受けながら、海外とのつながりが強いメーカーを中心に就職活動を開始。企業面接では、大学4年生たちと一緒に面接を受けることも多かったのですが、やはり彼らと自分とでは圧倒的に経験値が異なるため、良い意味で目立つことができました。パプアニューギニアの過酷な環境で教師として活動してきたことは、企業からも高く評価していただいたと思っています。結果的に家電メーカーへの就職が決まり、資材の調達部門に所属。現在は、中国など海外とのやりとりなども担当しています。
一番の収穫は、自分が一回りも二回りも大きく成長できたことです。企業から青年海外協力隊での活動が評価されたことで、その経験の重さを実感することができました。協力隊での2年間は決してブランクではなく、その後の自分にプラスになる、かけがえのない貴重な時間だったと自信をもって言えます。
また、新卒で教師の道を選んでいたとしたら、おそらく得られなかったであろう多角的なものの見方や考え方を身に付けられたことも、自分にとっての大きな財産です。
新卒でJICA海外協力隊に参加することに、不安を抱く人は多いかもしれません。しかし、新卒というのは、海外でボランティア活動をしたいと考えている人にとっては、実践してみるのにちょうどよいタイミングの1つだと思います。若いうちの経験は、今後の人生に必ずプラスになるような何かを得られる絶好のチャンス。ぜひ挑戦してみてほしいですね。