中西 敦士(なかにし あつし)さん

中西 なかにし  敦士あつしさん

現在のシゴト
トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社 代表取締役
職  種
村落開発普及員(現:コミュニティ開発)
派遣国
フィリピン
派遣期間
2011年3月~2013年3月
  • グローバルキャリア
  • # 経験を生かす # 起業

困難でも、失敗しても「一歩前」へ。
「世界を笑顔にする」起業につながった赴任先での自信。

2021.2

応募のきっかけ

中西 敦士さん

「世界を変えたい」、出会った1枚のポスター。
新しい挑戦、世の中に役立つ起業の種探しへ。

実業家だった祖父やビル・ゲイツに刺激を受け、小学校高学年の頃から「世界にインパクトを与えたい」という漠然とした思いを持っていました。その後起業に興味を持ち、起業家を目指すように。大学在学中にロボットベンチャーを起業したのですが、経営の経験不足で頓挫しました。一念発起、基礎から経営を学ぶためベンチャー企業に入社し、翌年には大企業の新規事業立ち上げをサポートするコンサルティングファームに転職し、起業に必要なノウハウを身につけました。仕事にも慣れてきた入社4年目の頃、今後のコンサルタントとしての“道”は予測できるものの、起業するという当初の目的をすっかり見失ってしまっている自分に気づき、どこか心がもやもやする日々が続きました。

そんなある日、地下鉄の駅で、ある交通広告のポスターに目がとまりました。それがJICA海外協力隊との出会いでした。当時は協力隊についてほとんど知らなかったのですが、調べてみると開発途上国へ行き、その国が抱える様々な課題を解決するため、地域密着型で支援活動をするという活動内容に興味が湧きました。

ちょうどその頃、リーマン・ショックやギリシャ危機の影響もあり、社会全体に閉塞感が漂っていました。「ただお金を稼ぐだけの事業ではなく、世の中に役立つ新しいことに挑戦したい」という思いが強くなり、すぐに説明会に参加。コンサルタントのキャリアを生かしつつ英語力を身に付け、未来の起業の“種”を見つけられたらと考え、JICA海外協力隊に応募しました。

現地での活動

農家の収入向上を目指した新規開発。
「アバカ(マニラ麻)ジーンズ」という新たなる挑戦。

赴任先はフィリピン・ルソン島のソルソゴン州グバット町。英語圏で比較的発展している国を希望していました。村落開発普及員として、現地名は「アバカ」という外観がバナナの樹に似た多年生植物である「マニラ麻」を取り扱う農家の収入向上を目指し、マニラ麻の新規製品開発や農園整備のための資金調達、各省庁との折衝を中心に活動しました。

派遣当初は町役場で働きながら、合間にマニラ麻収穫農家を巡回し、収入向上につなげるべく製品開発に役立つ情報収集をしました。マニラ麻は、強靭で耐水性や染色性にも優れており、比重も麻に比べ非常に軽いのが特徴。現地では、かごバックや帽子などの工芸品に加工され、日本では、日本銀行券の紙幣原料やフェイスパックとしても使用されるなど、実は馴染みのある素材です。このマニラ麻を使った製品の新規開発を模索する中で、ふとひらめいたのが「ジーンズ」でした。実は、フィリピンでは葬儀などフォーマルな場でもジーンズ着用が許されるほどジーンズ文化が根付いているのです。製作当初は「麻」と同様、そのまま布として使えると安易に考えていたのですが、そのままだとまさに「網戸の網」のようなゴワゴワ感でとても製品にならず、一旦マニラ麻を繊維化して糸にする工程が必要ということもわかりました。早速フィリピン国内で、繊維化したものを糸にする加工技術を持つ工場を探しましたが見つからず、一度日本に輸出して、糸にして再輸入するという運びとなり、試作は100回以上、結果ジーンズ1本が2万円と非常に高額な商品となってしまいました。

思いのほか高額となった「アバカジーンズ」でしたが、デニム生地に比べ重さが約3分の1、通気性も耐久性も優れていました。その後、マニラ麻の流通構造を確立、最終的に農家へ収入が還元される仕組みとSDGsの観点からもCO2の削減効果が見込めるという施策の資料を作成し、現地の日本の商社やフィリピンの関係省庁へプレゼンテーションしました。結果、100周年記念事業として商社からマニラ麻生産支援目的での資金援助があり、14万4000本植樹できたのです。約1年半がかりで農家の収入向上の足掛かりを作ることに成功、記念事業の調印式など貴重な経験もでき、大きな自信へとつながりました。商社の支社長も協力隊経験者という嬉しいご縁もありました。

帰国後のキャリア

中西 敦士さん

派遣活動終了後そのまま渡米、留学へ。
苦い失敗から起業の“ウン”を掴む。

派遣終了後日本に帰国、3週間後にはビジネスの基礎を学ぶためカルフォルニア大学へ渡米、留学。その引っ越し時に便意を我慢しきれず「漏らして」しまった苦い経験から、排泄のタイミングを事前に予測するアイデアを思いつき起業。「トリプル・ダブリュー・ジャパン」を設立し、超音波を利用した世界初の排泄予測ウェアラブルデバイス「DFree」を開発。世界中の介護施設や病院等で自立排泄が困難な高齢者や障がいを抱える人達をサポートしています。

小さい頃から「世界にインパクトを与えたい」と思い続け、新しい挑戦をしたくてJICA海外協力隊に参加しましたが、アイデアを形にするスキルや資金調達法、新たな視点でのものの見方、やりとげたときの自信。得たものは非常に大きく、その全てが起業した今に繋がっている、そう強く感じる日々です。

JICA海外協力隊で得たもの

赴任先の新天地で新製品の開発、生産、販売や資金調達等ができた日々は今でも自分の大きな財産であり、ゆるぎない自信へとつながっています。9年前のあの日、駅でJICA海外協力隊のポスターに出会ったおかげで、世界の人を笑顔にできる仕事に取り組めている今があります。難しくても失敗しても「一歩前へ」。協力隊での経験を通じて、全力で「世界を一歩進める」やりがいを学びました。

ゆるぎない自信

これからJICA海外協力隊を目指すみなさんへのメッセージ

JICA海外協力隊に参加して、全く何もわからないところから、ふっと沸いたアイデアを形にできた幸せと自信を味わうことができました。協力隊として世界に一歩踏み出すということは、人として大きく飛躍できる絶好のチャンスです。誰のため、何のための課題を解決しているのかをいつも念頭に置き、あきらめずに全力で挑めば、必ず何かつかめると思います!

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