松下 優(まつした ゆう)さん 青年海外協力隊

アフリカをこの目で見てみたいという興味で参加した協力隊。2度のウガンダ赴任で人生観が変わり、現地の“生活”を支えるために起業。

中学生の頃、国連WFP(世界食糧計画:食糧支援機関)の活動をテレビCMで知り、「いつか自分の目でアフリカを見てみたい」と思っていた松下優さん。
その思いを実現するため、大学4年の夏に青年海外協力隊の短期ボランティアとしてウガンダで1ヵ月間活動。次は長期でもう一度挑戦しようという想いを抱いて帰国。民間企業で3年勤めた後に再び協力隊員としてウガンダの地へと渡りました。現地では失敗を重ねた末に米作りを成功させたほか、余暇を利用して得意のクラフト作りを現地の女性たちに教え、収入源を生み出しました。
帰国後、アフリカの皮革製品を使った商品を販売する会社を立ち上げた松下さん。アフリカの現地企業と提携し、今後も日本からアフリカの人たちを支援していきたいと語ってくれました。

大学4年の夏休みに短期ボランティアとしてウガンダへ。
3年間の社会経験を経て、長期ボランティアに参加。

中学生のときに何気なくテレビを見ていたら、「アフリカには学校給食がありません」というWFPの学校給食プログラムのコマーシャルが流れてきて、心に引っ掛かるものがありました。アフリカ諸国など、いわゆる貧困国と言われている地域にもともと興味があり、アフリカの実情をいつか自分の目で見たい気持ちになったのです。貧しい国の人たちを放っておけないと、子ども心に感じていたのかも知れません。

大学4年の夏休みに、海外で何か有意義なことをしたいと思い、1ヵ月間のJICA短期ボランティアに参加。ウガンダに拠点を置くNGO団体の地域トレーニング事務所に配属され、長期隊員のサポートのもと、エイズで親を亡くした子どもたちの就業支援のためクラフト作りを教えてきました。シュシュやブックカバーを作って販売し、その収益で石鹸を購入します。石鹸を使わない彼らの衛生環境を改善すれば、病気を防げるだけでなく、生活の質を向上させることに繋がります。最初は現地語が分からないためコミュニケーションが取れずに苦労しましたが、次第に彼らとも打ち解けて、作業の合間には一緒に歌を唄ったりしていました。しかし1ヵ月はあっという間に過ぎ、やり残したと悔しく感じることもあったため、「いつか長期でまた協力隊に参加しよう」と思うようになりました。

大学を卒業した私は、地元静岡にできたばかりの富士山静岡空港に就職し、3年後に再び協力隊に応募します。今度はもちろん長期です。お世話になっていた上司からは慰留されましたが、「行くなら今しかない!」という固い決意があり、退職届を受理していただきました。

稲作技術を教えるために県庁農業課へ赴任。
半年後の収穫よりも今の生活という実情を知った。

長期では、農業に関する研修を受けた後、ウガンダ東部にあるクミ県庁の農業課に赴任しました。現地で長年稲作普及に尽力されている坪井達史JICA専門家とともに、アフリカの痩せた土壌でも育つ「ネリカ米」の陸稲栽培を普及させることが私の主な活動でした。米の作付面積を広げていくために、希少な農作物の種子を保存している種子銀行、いわゆる「シードバンク」に提供してもらったネリカ米種子1キログラムから50キログラムの米を収穫するのが目標です。気候の温暖なウガンダでは、ネリカ米は約4ヵ月で収穫できます。ウガンダはもともと食糧自給率が高い国ですが、主食はトウモロコシ粉や雑穀、イモなどが中心で、米はまだ比較的新しい存在。米が普及して主食のバラエティが増えれば栄養バランスを改善できますし、新たな収入源を生み出すことができます。

1年目、現地の方々に「1キログラムの種子を差し上げますから、収穫まで一緒にがんばりましょう!」と声を掛け、種の植え付けから収穫までを指導する米作りのワークショップを開きました。ところが同時期に別のNGO団体が「お米の作り方の講義を実施し、種子を購入するための費用を差し上げます」という企画を実施していたのです。結果は、現金がもらえるというあちらの団体には100人が集まり、私たちのグループに来たのはたったの3人。現金を手にした人たちは種子なんて買いません。彼らはその日の食糧を買うために集まってきたのです。悲しい現実ですが、ウガンダでは"外国人=お金"という考えが深く根付いています。街で食事や買い物をする際、私が日本人と分かると通常の5倍ほどの値を付けられることもありました。

失敗の連続だった稲作指導。そこで得たかけがえのない仲間。
シングルマザーたちにクラフト作りを教え、生活の糧を見出した。

ワークショップに集まってくれた3人と米作りをスタートさせましたが、農業経験の浅い私にはとてもハードルの高い活動でした。私が活動したクミ県の北部は砂漠に近い地域で、土地が米作りには適していなかったからです。しかし坪井専門家からは「ここの土でも米作りはできる」とのお墨付きをいただいていましたし、今まで誰もできなかった地域で稲作を成功させることの重要性を信じて、米作りを続けました。とは言え、やはり痩せた土地での米作りは難航しました。1期目に植えた米はほぼ全滅。2期目は場所を変えて再挑戦しましたが、やはりダメでした。心が折れそうになって、もっと米を作りやすい地域への任地変更を考えた時期もありましたが、彼らと一緒に米作りに適した土地を探し続け、ようやく3期目にして米を収穫できたのです。目標の50キログラムにはわずかに届きませんでしたが、砂だらけの土地で米作りを成功させることができました。結果を出した後、うれしいことがありました。ワークショップで苦楽を共にしてきたロバートという男性が私のカウンターパートとなり、稲作指導にあたってくれたことです。その後、彼は多くの農家を回ってネリカ米の普及を積極的に行い、徐々にではありますが稲作が広まっていきました。ロバートは稲作を成功させたことによって、銀行のキャッシュカードを持つようになるなど目に見えて収入が向上しており、私の活動の意義を実感することができました。「君は一時的に助けてくれるお金ではなく、一生助けてくれる技術をくれたんだ」と、最後にロバートに言われたときは本当にうれしかったです。

地域活性化の一助として1980年代に生まれた「一村一品」という概念があります。その土地ならではの材料から特産品を生み出し、その売上を地域の財源に結び付けるというものです。私はウガンダでもこの一村一品運動を広げたいと思い、短期隊員のときの経験を活かし、米作りの傍ら、クラフト作りのワークショップも実施していました。孤児院でお世話係をしている女性たちに声を掛け、いらなくなった靴下でソックスモンキーという人形を作ってもらい、それを私が首都のお土産屋さんやレストランなどに卸す作戦です。「孤児院のスタッフが手作りしたアイテム」という商品にまつわるストーリーをアピールしながら、飛び込み営業でどんどん売り込みました。首都では、少し悲しい話ですが外国人が売り込む商品の方が高い値が付きます。私が売り込んだソックスモンキーも、日本円で1個600円ほどになりました。さらに、私の住んでいた小さな町ではビンをリサイクルした後に大量のフタが廃棄されていたのです。そこで、フタにチテンジという発色の良いウガンダの布を組み合わせ、簡単なキーホルダーを作ることにしました。ウガンダは一夫多妻制の文化があり、町にはその制度の影響でシングルマザーになった女性が沢山いました。そこで、現地のシングルマザー支援団体を通じて知り合った女性たちにキーホルダー作りを手伝ってもらい、商品を売って得た収益はすべて彼女たちの生活支援に充てました。

帰国後にフェアトレードショップに就職し、その後起業。
ケニアの現地企業と提携しレザークラフト製品を販売している。

帰国後、元職場の上司に帰国報告をすると、「松下さんの席を空けてある」と言ってくださいました。しかし、2年間の協力隊生活を終え、「何か新しいことに挑戦したい!」という欲求に飢えていたので、そのありがたいオファーを生意気にもお断りしました。もうウガンダにはいないけれど、私にできる範囲のことでアフリカの人たちを支援できる方法はないかと模索した結果、とあるフェアトレード企業に入りました。そこで経営のノウハウや、生産者と販売者のコミュニケーションの取り方などを改めて学んだ後、独立してクラフト製造・販売会社を立ち上げました。現在は『afuri』という通販サイトで、ケニアレザーとマサイの伝統的な布を使った自社ブランドのバッグや小物などを販売しています。レザーはケニアの工場から仕入れています。ウガンダのお土産屋さんで見かけたことがあって、あまりに可愛くて印象に残っていたので、現地の業者を探し出して業務提携を持ち掛けました。帰国してすぐにレザークラフト教室で1年ほど勉強し、今はデザイン学校にも通っています。いずれは『afuri』のオリジナルデザインを私が考案して、ケニアで製品化してもらうのが夢です。日本にいながら、ひとりでも多くの現地の方に雇用の機会を与えられたらと考えています。原動力はロバートから言われたあの言葉です。いつも私の心の支えになっています。

人懐っこい子どもたち バイクで回った農家訪問

JICAボランティアで得たもの

物の見方や価値観が180度変わった。

  価値観が変わったと感じることのひとつが水です。センサーで感知して水が流れる蛇口を見ると「使わないときも流れていてもったいないな」と感じます。昔の人たちが持っていた"もったいない精神"が強くなったと思います。
また、友人と一緒にいても全くおしゃべりしないでスマホを使うという光景に、違和感を覚えるようになりました。ウガンダでは、レストランやバスでたまたま隣り合った人同士が普通にお喋りします。そんな環境で2年間生活していましたから、積極的な性格になったと自覚しています。子どもの頃は親も心配するほどの引っ込み思案だったのが、ウガンダでのいろいろな経験を通じて、間違いなく人間として成長できたと思っています。

これからJICAボランティアを目指すみなさんへのメッセージ

夢に向かって、積極的に生きていく!

やりたいことをできる自分に生まれ変われる!

「今の自分に満足できない」「何か新しいことをしたい」と思っている方は、協力隊に参加するべきだと思います。
日本にいるときは自分に自信がありませんでしたが、現地でクラフト指導をしながら慣れない飛び込み営業をするうちに、
気が付くと積極的な性格に変わっていました。目の前にあるひとつひとつのことをクリアしていくという2年間の生活で、
派遣前よりも明らかに逞しくなり、夢に向かってどんどんつき進める人間になれたと実感しています。
会社を立ち上げて間もないですが、小さな問題で悩むことなく日々前進しています。

[2016年6月掲載]