思い出の一枚「マラウイでの体験は、なにをもたらしているのか」

2021年7月29日

名前:須田 修輔
隊次:2011年度4次隊(2012年3月28日~2014年3月27日)
職種:薬剤師
配属先:ムジンバ県南部病院
出身地:埼玉県新座市

2012年3月末日、マラウイのリロングウェ国際空港に降り立ち、そこから車でJICAマラウイ事務所に向かう道中、はじめて見た車窓から見えたマラウイの風景は、いまでも忘れない。なにもない、平原が広がり、空は青く、白い雲が大きく胸を張って、自分を見下ろしているように感じた。
マラウイというアフリカの小さな国の名前は、青年海外協力隊に応募するまで知らなかった。世界の最貧国の一つであると後から知った。日本を先進国として見るときに、マラウイは発展途上国と位置づけされる、いわば「優位な立場にある者が、劣位な立場にある者たちのために助けに来ている」という感覚が自分の中にはあった。言い換えれば、生産性、効率性、知識など、日本で培ってきたものを携えて、マラウイのために貢献したいという気持ちである。
その感覚は自分の中に深く根ざしたものであり、2年間の活動の中で、ポジティブに機能することもあったが、ネガティブに機能していることのほうが圧倒的に多かった。
自分の経験、知識をマラウイの医療現場で活かしたいという気持ちは、現地の同僚には受け入れられなかった。自分が働くことで、現地スタッフには余裕ができ、彼らは休暇を取る。それは、自分が日本から来た意義を否定されているに等しく、非常に苦しく、悩む体験となった。
しかし、この体験は日本で作られた自分の価値観を崩し、マラウイの価値観をその上に積み上げていくという、予想外の方向へと導いてくれた。現地スタッフと同じように、いや、彼ら以上に一所懸命に働いた。彼らのやり方に自分が合わせる、効率が悪くても、あるときは、彼らがサボっていても。自分の中にあった「死守しなければならない」と考えていた一線を、大きく越えていくことができた。
それは自分の中に唯一無二の価値観ではなく、いくつかの価値観が作られていく体験でもあった。つまり、他者の価値観も認められる、自分とは異なっていても、それはそれでアリだと思えるようになった。
活動も終わりに近づいた頃の現地スタッフからの言葉は、いまでも忘れられない。
「ここに残って、一緒に働いてくれないか?」
私の活動を受け入れてくれたように感じられた言葉だった。
帰国後、期せずして、私は「対話」という精神科医療における新しいアプローチに出会う。「対話」について、ごく簡単に説明するならば、他者と言葉を重ねることによって、結果的に精神疾患が治癒に至るというものである。重んじられることは、専門家がなにかアドバイスをするでも、結論を探すでもなく、自分と他者の違いを受け入れて、言葉を重ね、対話すること自体に、その本質があるということ。そうすれば、自然と治癒がやってくる。
この対話の様相と、マラウイでの体験は、「自分と他者の違いを受け入れる」ということ、さらに、「結果ではなく過程のなかに本質がある」というところも通底していると言える。ボランティア活動でなにか目標を達成することは、精神疾患が治癒することと同様、大切である。しかし、活動(あるいは対話)を通して得られる体験、他者との関わり、自分との出会い、それらは数値や形では現わすことができないものであるが、その前と後では明らかに見えている世界が違い、事象に対する受け止め方も変わってくる。そして結果的に双方が新しい自分へと変化していく。
マラウイに貢献するという結果は不十分であったかもしれない。しかし、その体験から得たものは、「対話」といういまの自分のライフワークを支えてくれており、いまなお、私の人生を大きく広げ続けているように思える。

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一所懸命は伝わる

次回は、私と同じムジンバ県南部病院でアドミニストレーターとして活躍され、海外での経験も豊富な2010年度1次隊の伊藤正芳隊員です。