【JICA筑波ファミリーからのメッセージ~自分が好きなこと、得意なことで世界を元気にしていこう!~】JICA筑波国内協力員 瀬谷 暁子さん【前編】

瀬谷 暁子さん(せや あきこ)さん:(2021年-2022年JICA筑波国内協力員・2022年に海外協力隊(職種:作業療法士)として南米・ペルーに派遣予定)

瀬谷暁子さん(JICA筑波にて)

世界的な新型コロナウィルス感染拡大の影響により、一時帰国・日本での待機、派遣延期など、困難な状況に直面したJICA海外協力隊の皆さん。瀬谷さんは、派遣前訓練を終え、渡航するフライトも決まっていた2020年3月、派遣が延期に。日本で待機している間、瀬谷さんは、日本語教師養成講座を受講したり、JICA筑波で国内協力員として勤務したりしました。派遣延期から約2年が経過した今、南米・ペルーで作業療法士として活動する見通しが立った瀬谷さん。海外協力隊への思い、国内協力員のお仕事を通じて感じたこと、皆さんに伝えたいことを話してくれました 。

心の縛りを解き、視野を広げてくれたワーキングホリデー、ショックを受けたアフリカ旅行の体験

作業療法士として勤務するクリニックにて

アフリカ・ナミビア旅行の一コマ

もともと海外に興味・関心のあった瀬谷さんが海外協力隊への応募に踏み出すまでには、その興味・関心を強くし、広げるいくつかの出来事があった。
まず、一念発起し仕事を辞め、参加した約1年間のオーストラリアへのワーキングホリデー。初めての海外長期滞在だった。文化・宗教・習慣などが異なる様々な国の人たちとの生活は、瀬谷さんにとても強烈な印象を与えた。今まで「こうせねばならない、こうあらねばならない」という思いに縛られていたが、「このままの自分でいいんだ」と救われた気持ちになった。世界、海外に対する視野が広がり、強くひかれるようになった。
世界、海外に対する興味関心を募らせた瀬谷さんは、働きながら夜間の学校に通い、資格を取り、始めた作業療法士の仕事をしながら、1年に1回以上は海外に旅行するようになった。旅行先は、普段の自分の生活とは全く異なる文化・習慣などを持つ、一般的にはあまりなじみのない、いわゆる開発途上国。アフリカのナミビア、マダガスカル、エチオピア、などなど。

エチオピアへの旅行で、瀬谷さんは衝撃的な経験をした。町で、とある民芸品屋さんをふとのぞいたときのこと。店内は暗かったが、奥に女性が座っており、手招きされたので、近づいた。女性はとても悲しそうな顔をしていた。瀬谷さんが話しかけると、女性は布にくるまれた赤ちゃんを見せ、「私の子供は問題を抱えている」と言った。見るとそこには、頭がパンパンに膨らんで明らかに具合が悪そうな赤ちゃんが。この女性から、「あなたの知り合いで、助けてくれる人はいないか」と問われたが、瀬谷さんはあまりの衝撃に、ろくに答えられず、店を後にした。

この経験は瀬谷さんの頭から離れず、「日本だったら治療が受けられるけれど、あのような状況だったら、とても助からないだろう」「生きている場所が違うだけで、治療を受けられる人、受けられない人、という差が生じてしまう」ということを強く思った。

この経験以来、瀬谷さんは、作業療法士という職業についていることもあり、こういう人たちのために何か役に立てないだろうか、と思い始めた。国際協力、海外での活動、ということから、青年海外協力隊への応募を考えるようになった。

背中を押してくれた「JICA地球ひろば」訪問と海外協力隊の体験談

海外協力隊として活動したい、応募したい、という思いを持つようになった瀬谷さん。だが、日々仕事に追われ、なかなか踏み込めずにいた。海外協力隊のパンフレットを眺め、考えることで時が過ぎていった。

そんなとき、教員として勤めていた作業療法士の養成校で、国際理解教育プログラム(課程)が実施されることになり、その一環で、東京・市ヶ谷にある「JICA地球ひろば」に学生を見学・引率する機会があった。

地球ひろばでは、看護師として派遣された海外協力隊経験者の体験談を聞いた。瀬谷さんは引率した学生よりも熱心に体験談に耳を傾け、深く感動。海外協力隊に行きたい!という思いが再燃した。この経験が、瀬谷さんの背中を押してくれた。

2度目の挑戦で見事海外協力隊に合格。作業療法士として南米・ペルーに派遣されることになった。

思いがけない派遣延期・国内待機

長野県・駒ケ根の訓練所で派遣前訓練を受けていた瀬谷さんに、思いがけない知らせが届いたのは、訓練が終わりに近づいた2020年3月。世界的な新型コロナウィルス感染拡大の状況から、派遣は当面延期、との説明を受けた。その時は、現在に至るまで約2年の長い国内待機期間になることなど、思いもよらない瀬谷さんだった。

今、この時間に、できることを:日本語教師養成講座でオンライン模擬授業

JICA海外協力隊としての「派遣延期」という知らせを受け、しばらくの間は、「いつまで」という見通しもたたず、時が流れた。仕事を辞め、訓練に参加していた瀬谷さん。派遣が延期になり、まず感じたのは「どうしよう?」というショックと戸惑いだった。「(派遣が延期になったのは)誰のせいでもない。しかし、これはどうしたものか、何をすべきなんだろう」と考えていた。

派遣延期の期間はさらに延び、派遣再開を待ち待機するのか、辞退するのかなど、皆、それぞれの道を決めなければならないタイミングが来た。瀬谷さんは、共に訓練を受けた同期の中で辞退した人がいることを知り、辛い気持ちになった。

いろいろ考えた末、瀬谷さんは「待つ」ことを選択した。そして、「今、想定外にできたこの時間をどう使うべきか。先のことを考え、今、できることをしよう」と決めた。

「興味はあるが、仕事をしながらではなかなか難しく、取り組めなかったこと、コロナ禍の今でもできること」を調べてみた結果、瀬谷さんは、日本語教師の資格を取ろう、と決めた。派遣予定の国、南米ペルーには日系社会があり、海外協力隊として派遣後、役に立つことがあるかもしれない、と考えたのだ。

瀬谷さんが受講した日本語教師養成講座は、オンラインと対面を組み合わせたプログラムが組まれていた。このプログラムの中で、瀬谷さんは、ベトナムとオンラインでつなぎ、日本語の模擬授業をする機会に恵まれた。相手は、日本での仕事が決まったのに、コロナ禍により自国で待機せざるを得なくなったベトナム人の方。待機期間が長くなると、来日のために学んだ日本語を忘れてしまう、というニーズがあり、教えることになったのだ。このほかにも、ベトナムの大学とオンラインでつなぎ、日本語を教えることができた。コロナ禍で困っている海外の方々と関わりを持ち、生の声を聴くことができたこの経験は、瀬谷さんにとって、待機期間中のモチベーション維持につながった。

ちょうど日本語教師養成講座を修了するころ、JICA筑波の国内協力員の応募を目にした。オンラインであっても海外の方とコミュニケ—ションできたことで、国際協力に(少しでも)関わりたい、という気持ちが高まっていた瀬谷さんは、応募を決めた。

(後編(末尾リンク参照)へ続く)