ex JICA有期雇用職制→総合職

国際協力が日本の文化として根付いていく、その橋渡しとなる役割を担いたい。

黒田 篤槻KURODA Atsuki

青年海外協力隊事務局 社会還元促進課
2015年 法学部卒業/2020年 有期雇用(国内協力員)としてJICA入構/
2024年 内部採用制度により総合職として採用

キャリアの沿革

2015年、法学部卒業後、外資系ITコンサルティング企業に就職。ブリッジ・エンジニアとして、主に製造業系顧客に対するITシステム導入支援等を担当。2018年、青年海外協力隊(現JICA海外協力隊)に参加し、ケニアに赴任。児童拘置所入所児童に対する教育等に従事。2020年、有期雇用職制・国内協力員としてJICA入構。JICA内のオンライン教育システムの開発や、協力隊事務局内の情報システム整備等を担当。2021年からは、同じく有期雇用職制である専門嘱託に職制転換し、協力隊経験者の起業支援事業“BLUE”の立ち上げ等に参画。2024年に内部採用制度に応募し、総合職として採用。以降引き続き、“BLUE”等を担当する。

仕事の先に
笑顔になれる人の
イメージを持てるか?

学生の頃から国際協力には興味があり、インド、ムンバイのスラムで子どもたちのサポートを行っているNGOの活動に参加したこともありました。そうした経験もあってインドには非常に親近感を持っていましたから、大学卒業後に就職したITコンサルティング企業はインド系の会社でした。この会社では主に、製造業系顧客に対するITシステムの導入支援に携わっていましたが、私はいわゆる“ブリッジ・エンジニア”として、日本サイドで顧客折衝のフロントに立ちながら、インドの開発チームとの間の技術的な通訳をはじめ、さまざまな調整を行うわけです。ここでの経験は、英語力が鍛えられたことは言うまでもなく、異文化の中で仕事をすることのトレーニングができたことが、私にとってはとても大きかったですね。私はインド人との関係の中で仕事の基礎を学んだところがありますが、彼らは、上下関係にとらわれず、一人の人間として社員を尊重しながら、正しい方向性を目指して議論をすることを厭わない。そうした、日本人とは違う発想での仕事の仕方を身に付けることができたのは、現在の私にとって大きな財産になっていると思います。しかし、しばらく働いているうちに、大学時代にムンバイのスラムで子どもたちを前に活動していた頃の景色が蘇るようになり、自分の仕事の先に笑顔になれる人のイメージを持てるような環境に、もう一度身を置いてみたいという思いが強まっていきました。もちろんしばらくの間は悩み、友人に相談したりもしましたが、自分の想いに正直でありたいという若さ故の勢いもあって、2017年に協力隊に応募することを決断したのです。

協力隊ではケニアに赴任し、エルドレットという都市で児童拘置所の入所者に対する教育やストリートチルドレンの保護といった活動に従事しました。この協力隊での活動で何が実現できたかということは、今考えれば思うところは色々あるのですが、自分の中で漠然とした憧れでしかなかった国際協力というものが、現場での体験によってリアルで実体感を持ったものに変化していったことは間違いないと思います。自分はやはり、子どもたちの福祉のために働きたいんだということを改めて実感しましたし、そうした仕事を担える確かな専門性を獲得したいという思いが明確になっていったのも、協力隊での体験によるところが大きかったと思います。

“人”を起点にしながら、
さまざまな事業に
チャレンジしていきたい

2020年に協力隊の任期が終わり、帰国しましたが、“国際的な児童福祉の専門家になりたい”という自分の中のテーマが見えていたこともあり、しばらくは、その専門性を獲得するためにNGOで働くか、大学院で学ぶか、といった可能性を模索していた時期もありました。そんな時に、協力隊事務局のDX担当国内協力員の募集が飛び込んで来たのです。これは、前職での経験を活かしながら国際協力の仕事に挑戦できるまたとない機会だと考え、早速応募しました。ゆくゆくは大学院で学びたいという思いもありましたから、有期雇用職制であることはあまり気になりませんでしたね。

国内協力員の頃に担当した仕事のうち大きなものとしては、現在もJICA全体のオンライン学習システムとして利用されている“JICA-VAN”の導入があります。STI・ DX室を中心に起ち上がっていたプロジェクトチームに参加して、システムの要件定義や製品選定といった、JICA-VANのテイクオフに向けたさまざまな業務に参画しました。また、ちょうどその頃はコロナ禍で、JICA全体にTeamsが導入されたタイミングでもありましたが、協力隊事務局全体で情報共有がスムースに行えるようにTeamsの使い方を提案したり、ITを活用した仕組み作り、環境整備等をいろいろと手掛けました。やはり新しく入った人間ですから、積極的に動きながらやるべきことを見つけ、提案して、自ら仕事を作っていくというような働き方をしていましたね。そうして1年ほど活動しているうちに、上司の薦めもあって専門嘱託に職制転換することになったわけですが、部署異動はなかったため担当業務自体が大きく変わったということはありませんでした。ただ、もう少し踏み込んで仕事に関われるようになったことは間違いないと思いますし、何よりも、協力隊の起業支援事業“BLUE”を立ち上げから担当できたことは、自分にとって非常に大きな転換点だったと思います。

協力隊経験者は社会課題に対するアンテナも高く、事業・プロジェクトを推進していくうえでの精神的なタフさも持っている……そうした、協力隊経験者が備えている人間的力、スキルを、日本国内の社会課題を解決する事業創出に活かせるのではないか──そうした仮説からスタートしたのが、この“BLUE”で、私は総合職に職制転換した現在も、引き続きこの事業を担当しています。この事業化に向けたリサーチに着手したのは国内協力員の頃でしたが、事業開発に伴う大変さや面白さを全てひっくるめて体験することができて、まだ足りない、もっとやってみたいという思いが強まっていったことが、総合職にチャレンジしようと考えた直接的な動機だったと思います。また、一緒に働いている職員の方たち一人ひとりが、良い仕事とは何かを必死で考えながら行動しており、その姿、組織文化に感銘を覚えたことも大きかったですね。皆さん本当に泥臭く頑張っていて、こうした地道な作業の積み重ねの先に、かつて私が感じていた、“キラキラした”国際協力の世界がある──国際協力はここから始まるんだということを体感したことが、JICAの一員として仕事を続けていきたいという決意につながっていったのです。

私は本当に、協力隊事業に育ててもらったようなところがありますから、私にとっての国際協力の起点には常に“人”があり、その軸はこれからも持ち続けていきたいと考えています。そのうえで、これからJICAのさまざまな事業、スキームを経験し、自分なりの国際協力観を育んでいけるようなキャリアを築いていきたいと思います。特に、私が協力隊として取り組んだ社会保障の分野はぜひ経験したいですし、国際協力の裏側を支えるバックオフィスの仕事や、まさに国際協力のフロントとなる在外事務所での業務を担当することも楽しみです。将来的には、国際協力が広く日本の文化として根付いていく、その橋渡し役を担う仕事ができたらと願っています。

  • 社会人採用TOP
  • JICAへの転職、それぞれの動機
  • ex JICA有期雇用職制→総合職