加藤 智亮(かとう ともあき)さん

加藤 かとう  智亮ともあきさん

職  種
測量
派遣国
タンザニア
派遣期間
2012年6月~2014年6月
  • スタートアップキャリア
  • # 測量士 # 経験を生かす

急激に都市化が進み、土地取引が活発化するタンザニアで、
ますます需要が高まる地図のデータ化を実現する。

2015.03

応募のきっかけ

加藤 智亮さん

自分の測量技術が海外で通用するのか。
それを確かめたいと思っていた。

民間企業で測量の仕事をしていて、自分の測量技術が海外でどこまで通用するのか興味があり、「一度は海外で働いてみたい」と思っていました。ある日、インターネットで何気なく「海外測量」というキーワードで検索すると、一番上に表示されたのがJICAの青年海外協力隊。自分の専門を生かして海外の人のためにもなる仕事ができることに惹かれて応募しました。
 念願叶い、晴れて合格。派遣前訓練では死ぬ気で英語を勉強しました。というのも、昔から勉強は大の苦手、特に英語はずっと避け続けてきたのです。真剣に向き合わなければならない状況に追い込まれ、おそらく私の人生の中で一番勉強した2ヵ月間だったかもしれません。

現地での活動

地図作り

地図情報を集約し、データ化を実現。
県庁の業務効率アップに貢献。

私が配属されたのは、タンザニア・バガモヨ県庁の土地環境課。バガモヨ県の土地開発に必要な「測量データの収集・管理」と「土地の登記や地積測量図の管理」という2つの役割を担っていました。当時タンザニアでは、主に投資目的の土地取引が非常に活発に行われており、土地の管理に必要不可欠な地図の需要が高まりつつありました。にもかかわらず、私が赴任したとき目にしたのは、「地図」とは名ばかりの航空写真と手描きの観光マップのみ。住民を対象とした地図コピーの無料発行サービスも、費用や手間が原因で、ほぼ機能していなかったのです。
 そこで私が着手したのは、地図情報の集約とデータ化でした。具体的には、基盤となるバガモヨ県全体地図のデジタルデータに、システムを使って登記情報や地積測量図の情報などを追記し、デジタルデータの形式で必要な情報を集約していくという作業でした。
 ところが、バガモヨ県全体地図のデータが存在しなかったため、まずは首都ダルエスサラームにある、日本でいう国土交通省にあたる機関に出向き、全体地図として使える航空写真のデータの提供を依頼することに。当初は「怪しい外国人が来た!」と思われたのか、提供を断られましたが、あきらめずに上司のレターを持って再度依頼。スワヒリ語で依頼の趣旨を懸命に説明して、何とかデータをもらうことができました。
 地図情報のデータ化が完成し、1つの地図の中に登記や地積測量図の情報が集約されたことで、県庁の仕事の効率がアップ。さらに私の活動を知ったダルエスサラームの機関から、ほとんど進んでいなかった地図のデータ化への協力依頼があり、何度か首都に足を運んでデータ化を支援しました。

帰国後のキャリア

物を大事に使うことの大切さを再認識。
帰国後は大工職人となり、思い切って起業。

タンザニアでの生活を経て、例えば電気や水道の簡単な工事やパソコンの修理など、たいていのことは自分でできるということに気づきました。一つの物に愛着を持ち、少しずつ手を加え、大切に使っていくことで、その役割を長く果たしてくれるのだという考え方にたどり着いたのです。
 こうした経験や、タンザニアのコミュニティの中で地域に根付いて暮らすことの大切さを学んだことから、帰国後は大工職人になり、思い切って起業。リフォームなどを行う工務店を立ち上げました。「修理して物を使い続けることの大切さ」を私に教えてくれたのは、タンザニア人の同僚たちです。

JICA海外協力隊で得たもの

タンザニアの人々は、挨拶や礼儀をとても大切にします。たとえ急いでいても、挨拶をしないで突然話しかけると怒られることも。また、現地の人から学ぶことも多かったです。貧しくて食べものも満足にない子どもでさえ、客人がくると「カリブ(ようこそ)」と言って、食べていたトウモロコシを半分も分けてくれます。その純粋な優しさに、思わず自分の行動を省みずにはいられませんでした。青年海外協力隊に参加することなく、日本で同じ仕事を続け、同じ毎日を繰り返していたら、きっと得られなかった貴重な出会いだったと帰国後の今になって改めて実感しています。

相手を思いやる気持ち

これからJICA海外協力隊を目指すみなさんへのメッセージ

2年間、日本に留まることで得られるものも数多くあるでしょう。しかし、日本では決して得ることができない経験がJICA海外協力隊にあることも事実です。そのどちらを取るのか、みなさんにはじっくり考えてから応募してほしいと思います。当時、空手の選手としても活動していた私の場合は、日本を離れることで選手として成長できなくなるのではないかという不安を抱えていました。しかし、ひとたび現地に赴いてみると、空手の練習もできましたし、空手を通じて現地で大切な友人もできました。人生はどこでどのような展開が待っているか分かりません。2年間の協力隊経験は、きっとあなたの人生を豊かにしてくれると思います!

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