ニワトリとタマゴの仕入先

2019年4月29日

2016年度3次隊 コミュニティ開発 工藤幸介

任地での活動も1年が過ぎた頃、僕は配属先事務所での活動に限界を感じていた。結局のところ、事務所の人たちは僕と働くメリットがあまりないのだ。事務所では評価報告書を上手く書けて、その見せかけの成果を上司に雄弁に語れる人が偉くなる。管理職は会議に出ることが仕事だと思っている節があり、部下の仕事を実際に見ることはほとんどない。だから評価報告を過大に評価する。毎日一生懸命働いていようが、そんなことは関係ない。評価報告を上手く行うことが重要なのだ。こんな状態を現地で見ていると、つくづく世界中で発表されてる統計データや報告書の情報源の信憑性が気になってくるが、その話は置いておこう。

とにかく、彼ら事務所スタッフにとって、日本とかいう自動車と電化製品の国から突然やって来て、たかだか2年で帰ってしまうような「私はコミュニティ開発のボランティアです。」とか言うよくわからない外国の若造が提案する、彼らにとっては自身の評価基準にも組み込まれていない余計な業務で、しかも失敗するかもしれない仕事を、あなただったら一緒にやるだろうか?と冷静に考えてみると、それは彼らのキャリア形成にとって単純にリスクでしかない。エチオピアは元々が社会主義の国でもある。言われたことをやり、ミスをしないことが最大の功労とされてきた社会の名残は今もまだ強く残る。頑張る人が損をする。こんな言葉すら日々脳裏に浮かぶ社会である。そんな環境の中でリスクの高い挑戦をするには、自分の人生を賭ける覚悟がないといけないだろう。だが正直言って、そんな覚悟を彼らに促せるような実績は当時の僕にはなかった。彼らと一緒にその実績をつくれればいいと思っていたが、そもそもその動機づけのために実績が必要だった。まさにニワトリが先かタマゴが先か。これには弱ったが、物は考えようである。この状況をチャンスと捉えるならば、事務所外での活動に手を拡げる機会が訪れたということでもある。ニワトリでもタマゴでも、他のところから持ってくることだってできるのだ。だから僕は、事務所での活動をいったん保留して、所外の活動で実績をつくることにした。

さて、実はここからがコミュニティ開発隊員としての本領発揮である。コミュニティ開発隊員が具体的に何をしているのかを一概に説明するのは難しい。なぜならその活動は幅広く、要請内容だけを見ても一村一品活動、公衆衛生、農業普及、女性の地位向上、会計、マーケティング、観光、栄養改善などなど実に多岐にわたる。しかし、一見バラバラに見える活動も究極的に目指しているものは同じだ。それは青年海外協力隊のホームページにも記載されているが、コミュニティ開発は「地域住民が望む生活向上や地域活性化への寄与を目的」としている(注)。

噛み砕くと、「結果として地域(コミュニティ)のためになり、人々が喜ぶのであれば、そのアプローチは問いません。」というのがコミュニティ開発だと僕自身は解釈している。なので配属先事務所の外に出て活動することに抵抗はなかったし、所外で実績をつくることによって、結果として事務所の人々も巻き込むことのできる零細小事業支援ができるのではないかと思っていた。さらにいうと僕の要請は新規案件であり、僕自身が同事務所で働く初代隊員でもあった。そのため2年間という僕個人の限られた短期間での結果だけではなく、次の隊員にしっかり繋げられる発展性と持続性のある活動づくりを目指すという長期の目標を持っていた。そのためにはやはり事務所外でのコミュニティとの連携は欠かすことができない。

そこでカギとなるのが人との繋がりである。まず何よりも、市内に在住しているやる気のある人を見つけておくことが大切だ。色々な場所に顔を出し、直接会って話をし、僕自身を覚えてもらう。やる気のある人がどこにいて、何を考え、どんな仕事をしているのかを把握しておくこと。僕の場合、それは活動の合間に通っていたフランス語学校で知り合ったディレダワ大学建築学部教授のフィリピン人であり、事務所の同僚の夫だということで知り合った地元NGOのプレジデントであり、市役所で1週間かけて行われた研修に参加した際に知り合った図書館スタッフであった。彼らは仕事に対して前向きで、何かに挑戦したいという気持ちが強かった。1年目で彼らのようなやる気のある人たちを探しておくことは、次の活動に繋げるための大事な種蒔きでもあった。

僕が任地に赴任して2年目、その種は順調に育っていた。そして事務所外で実績をつくることにした僕は、そんなやる気のある彼らと実際に仕事をし、何らかの実績を創っていかなくてはならない。では、何をするか。すなわち僕は何ができるのかという問いでもある。ここでまたコミュニティ開発という職種の特徴が壁ともなる。というのも、その活動の幅広さからも推測できるとおり、基本的に僕らは例えば服飾や看護、教育といった特定の専門性を持っていない。もちろん個人差はあるが、僕はそういった意味で典型的なコミュニティ開発隊員であった。では、専門性を持たない僕のような人が、このディレダワで仕事を創るにはどうしたら良いか。答えは意外とシンプルなもので、要は専門性を持った人を連れて来ればいいのだ。時間に余裕があり、誰かのために働きたいという強い意欲がある人だとなお望ましい。いやいや、そんな無茶なリクエストはとお思いだろう。しかし、青年海外協力隊とはそういう人材の宝庫であることを忘れてはいけない。僕がエチオピアで活動していた当時、エチオピア全土には50名以上の隊員が派遣されていた。各々が故郷から遠く離れた未知の土地で多種多様なスキルを駆使して活動している猛者たちである。しかも、「せっかくボランティアとしてエチオピアまで来たのだから何かしたい!」という思いも強く、旅行が好きな人も多い。前にも述べたが、ディレダワはエチオピアの中でも独特な町だ。また特に、学校に配属されている隊員たちは雨季に入ると学校が長期休暇に入るため、働きたくてウズウズしているはずである。これはチャンスでしかない。ということで、さっそく様々な隊員たちに声をかけてみた。

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事務所の外観

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事務所の様子

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閑話休題。職業訓練校初代校長の石像