協力隊村落開発普及員としてバングラデシュの農村にて活動を行った志賀さん。開発が進む農村地域と、取り残されていく難民問題やHost Communityの支援に疑問を感じたのがUNVへの応募のきっかけでした。バングラデシュの地方行政の知識を生かして誰も行ったことのない課題に立ち向かった志賀さんの経験を紹介します。
協力隊時代はバングラデシュで村落開発普及員として、JICAの技術協力プロジェクトであったPRDP-IIと協調する形で農村にて活動しました。地方行政のエンパワーメントと効率化を図る、このプロジェクトでの経験は、バングラデシュの地方行政の仕組みと問題点を村人の視点から理解することに繋がりました。活動も終わりに差し掛かったころ、JICA派遣で新しくUNVのポストが同じくバングラデシュUNHCR Cox's Bazar Sub-Officeにて出来ることを知り、任期終了帰国後にUNVに応募しました。
2008年6月に日本へ帰国し、帰国後間もなくUNVに応募しました。当該案件は応募から派遣決定まで6か月程かかりバングラデシュへ再び赴任したのは2010年の12月でした。私はUNHCRのCox's Bazar Sub-OfficeにAssociate Community Services Officerとして赴任しました。ミャンマーとの国境に近い、この地域にはミャンマーのラカイン州からロヒンギャと言われるイスラム教徒が難民として生活しています。ロヒンギャの問題は遡れば歴史は古く、現在抱えている難民については、もう20年以上も未解決のままとなっています。バングラデシュに住んでいるロヒンギャ難民には、難民キャンプで生活する約3万人の難民の他に難民としての地位をもらえずに、無国籍者として厳しい生活を余儀なくされている20万人以上の未登録ロヒンギャ難民が居ます。この20万人に上る難民たちは、基本的にはUNHCRをはじめとする援助機関からの援助がバングラデシュ政府より禁止されているために、あらゆる人道・開発支援の受益者から漏れている状況でした。また、彼らに対する地域住民からの反発もあり、彼らの生活を守ることが必要とされていました。そこで私に与えられた任務は、地方行政機関や村人たちと地道に話し合いを行い、未登録難民を含むロヒンギャ難民への理解を深めてもらい、難民を地域住民に反発無く受け入れてもらえるようにすることでした。このミッションは、今までに誰も行ったことが無く、国や政府からの反発も強かったので、とても困難を極めましたが、協力隊時代に培ったバングラデシュの地方行政の仕組みについての知識やベンガル語を駆使したコミュニケーションを生かして、まずは行政の担当者と信頼関係を作っていくことから始めました。信頼関係の構築には、時間がかかりましたが3ヶ月ほどすると、今までは話してくれなかった様々な情報を聞くことが出来るようになりました。地方行政側も難民人口の増加による不法な森林伐採や、難民が労働者として働くことにより地域住民の失業者の増加などの様々な問題を抱えていることが分かってきました。これらの問題を少しでも緩和するためにホストコミュニティ・プロジェクトとして小規模のインフラ整備など予算を得て行いました。2年の任期を終えて、ミャンマー情勢の変化もあり、まだまだ道は半ばですがUNVというフレキシブルな立場を生かして、ロヒンギャ難民問題解決にむけて一石を投じることができたのではないかと感じています。
2012年12月に任期を終えて、今年2013年3月から今までの経験をしっかりと見直すと共に、さらに平和構築分野への理解を深めたいと思い大学院に通っています。修了後は、また現場に戻って働きたいと考えています。