「アラブの春」から10年 JICA若手職員が聞く 池上さん、「アラブの春」について教えてください!

今からおよそ10年前に中東地域で起きた「アラブの春」。
若者を中心とした民主化運動で掲げられた課題に対し、現地の人々は、そしてJICAはどのように向き合ってきたのか、その変遷をたどる。
「アラブの春」はどのような気づきを世界に投げかけているのだろうか。

文:久保田 真理 写真:高岡 弘

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(注)写真撮影時は会話をせず、一時的にマスクを外しています。インタビューは新型コロナウイルス感染症対策を徹底したうえで実施しました。

特集 中東のいま

【画像】10年前といえば、入構1~2年目の若手職員は、勉強や部活動にいそがしい日々を過ごす中学生や高校生だった。
思い返すと、当時は遠い世界の出来事だった国際情勢。「アラブの春」の中心にいた若者たちと同世代となった今、彼らが置かれていた状況や民主化運動のその後をあらためて考える。

チュニジアから波及した民主化運動の機運

-今から10年前といえば、日本では2011年の東日本大震災に関する報道が連日行われていたことを思い出します。当時、中東地域で起きた「アラブの春」とは、どのような出来事だったのでしょうか。

池上彰(以下、池上):
「アラブの春」は、2011年から中東地域に広がった一連の民主化運動のことです。民主化運動とは一般に、独裁的な政治等に対して民主的に物事を決められるように、国に対して体制を変えるよう求める動きのことですね。2010年12月に、北アフリカのチュニジアで起きた事件が一連の運動のきっかけとなりました。屋台で野菜を売ろうとした失業中の20代の若者が、警察官に屋台を没収されてしまい、絶望感から焼身自殺を図ったのです。イスラム教では、わが身を焼くのは魂が復活したときの体が失われることを意味し、また、コーランに出てくる地獄の描写に近いためご法度(はっと)とされています。二重の意味で衝撃的だったその映像がフェイスブック等のソーシャルネットワーキングサービス(SNS)で拡散され、これが引き金となり、失業率の高さに不満を持つ若者を中心に、当時の政権に対して抗議行動が起こりました。

-民主化運動はチュニジアから他国にも広がっていったのですよね。

池上:
チュニジアでは事件を発端に、翌2011年の1月に首都で暴動が発生し、大統領は辞任に追い込まれました。チュニジアの民主化運動は各国に波及し、エジプトでは同年2月に30年間続いたムバラク政権が崩壊し、2012年5月には大統領選挙が行われました。リビアでは2011年2月以降に、反体制派と政権の衝突が発生しました。多くの犠牲者が出たことで国際社会から非難があり、NATO(北大西洋条約機構)軍による反体制派への支援の軍事行動が開始されて、8月には42年間に及んだカダフィ政権が崩壊、リビア全土の解放が宣言されました。イエメンでも同年11月にサーレハ大統領が退陣を求められ、翌2012年2月には新大統領が誕生しています。長年にわたり強固な政権を維持してきたこれらの国で、一般市民の行動がきっかけとなり次々と政権が崩壊したのです。このことは、他の中東諸国にも影響を与え、各地で民主化運動の機運が高まっていきました。

-ひとつの国だけでなく、同時期に複数の国で次々に変化が起こったのは驚きです。こうした運動の広がりには、SNSの力が大きかったと聞きます。

池上:
実は当時、スマートフォンを持ってSNSを駆使できるのはある程度裕福な若者に限られました。読み書きができない人たちやスマホを持っていない人たちも多いなか、運動が拡大したのは、カタールに本拠地を置く衛星テレビ局「アルジャジーラ」が果たした役割も大きかったですね。放送言語は、アラブ社会の人たちが理解できる共通言語のアラビア語。そして、国境を超えて24時間いつでも見ることができますから。それ以前は国家ごとに情報統制が敷かれていましたが、時代が変わり、衛星からの電波を阻止することはできませんでした。また、運動のために人を集めるのは大変なことですが、イスラム教徒の多くは毎週金曜日に集団礼拝でモスクに集まります。その礼拝後に運動が展開できたことは、大きな力を生み出せた要因でしょうね。SNS、アルジャジーラ、集団礼拝といったいろんな要素が合わさって、民主化を求める動きは非常に大きなものとなりました。

「アラブの春」のその後

-「アラブの春」は、その後どうなっていったのでしょうか。

池上:

「アラブの春」の発端となったチュニジアでは新しい憲法の制定や議会選挙、大統領選挙と、他の国に比べて民主化の動きが着実に進みました。それには、チュニジア国内に穏健なイスラム政党が残ったことが大いに関係しています。民主化運動が他国に波及してシリア、リビアやイエメンが内戦状態になり、チュニジアのイスラム過激派がこれらの国へ移りました。国内に残った穏健なイスラム政党が、近代的な政治制度の下でイスラム教以外の政党と協力しながら国を統治していこうという考えを持っていたからこそ、民主化の動きを進めることができたのです。ヨルダンやモロッコでも民主化運動が起きましたが、国民から敬愛されている国王下での王政の場合、決定的な対立は起きずに混乱は収束し、両国では憲法改正が実現しています。

冬が厳しい地域では「春」と聞くと雪解けなど肯定的なイメージを持つことが多いでしょう。でも、中東地域では「春の後には耐え難い夏がくる」と表現する人がいるように、「アラブの春」はかならずしもよい結果をもたらさなかったケースもあります。民主化運動後、民主的に大統領が選ばれても、その後すぐに政権が交代した国もありました。またシリアでは、民主化運動に対し政府が厳しい態度で臨み、現在でも政府と反体制派の間で内戦状態が続いています。死者は約50万人、周辺諸外国に約550万人以上の難民が流出し、今世紀最大の人道危機といわれるほどの混乱を招きました。国によってもたらされた状況はほんとうにさまざまです。

-なぜこんなにも国によって異なる結果になったのでしょうか。

池上:
民主主義の基礎があるかどうかにもよると思います。アメリカのヒラリー・クリントン元国務長官の回想録に、印象的なことが書かれていました。ムバラク政権が崩壊した後に、エジプトの学生たちと座談会を開催した際、「あなたたちがこれからの政権をつくっていくのですよ」と伝えたら、学生たちはきょとんとしていたと。長期政権を倒したものの、誰かが新しい国づくりをしてくれるのではないかと他人頼みだったのですね。そのように民主主義の伝統や基礎がないままに民主化を進めた結果、結局は新政権に対する不満が噴出する結果となりました。そしてそのとき、日本を含む世界はどう反応したのかという点も調べてみると、さらなる気づきがあるかもしれません。

-民主主義を担っているのが私たち自身だという考えは、ふだんあまり意識しないことかもしれません。民主化運動が求めていたものや民主主義の基礎-日本で生きる私たちにとっても、考えさせられますね。

"中東"から"アジア"のイメージへ多様な魅力をとらえなおす

-「アラブの春」が広がった中東地域は、ほとんどの日本人にとってあまりなじみがないと思います。アラブの石油王や砂漠といったイメージもありますが、紛争やテロを連想する人も多いです。池上さんは中東地域に対して、どのような印象や思いがありますか。

池上:
中東=紛争地というイメージをなんとか払拭したいという気持ちがあります。そもそも、中東地域、アラブ、イスラム教を同一のものと見なしがちですよね。アラブとは何かについていろいろな定義がありますが、アラビア語を話す人々のこと。イスラム教については中東地域に限った宗教ではなく、南アジアや東南アジアにも広がっていますよね。そして、中東地域とは西アジアとアフリカ北東部を指しています。このように、地域、言語、宗教の面からは異なるものを指しているのに、"中東は怖い"というステレオタイプを持ってしまうことは非常に残念なことだと思いますね。

-池上さんが中東地域を訪れたときの、印象的な経験をお聞かせください。

池上:

「お茶を飲んでいきませんか」と言って客人をもてなす習慣があり、取材に行くとどこでも優しい対応でした。ヨルダンでは私が日本から来たと伝えたら、「日本と中東は同じアジアですね」と言われ、とても印象的でした。たしかに、アジアというくくりではサッカーのワールドカップでも日本とヨルダンは同じ予選を戦うことになる-そう考えると親近感が湧きました。

私は中東地域を訪れると、必ず町の本屋をチェックしています。いろいろなコーランが売られているのを見るのも楽しいですし、また、コーラン以外の本がどれだけ読まれているかについても確認しています。たとえばイランは現在アメリカからの経済制裁を受けていますが、イランの人々はいろいろな本を読んでいて、経済制裁を解かれた暁には大きな力を発揮するのではと、自分なりに中東地域の今後を予測したりしています。

中東地域は食事がおいしいですし、優しい人が多い。事件や出来事から"怖いところ"と決めつけてしまうのはとても残念です。多様な地域であることに目を向けてくれる方々が増えたらうれしいですね。

「アラブの春」とは?

チュニジアで発生した民主化運動に端を発し、2011年初頭から中東地域の各国で本格化した一連の民主化運動のこと。チュニジアやエジプト、リビアでは政権が交代し、その他の国でも民主化運動で要求されたことを政府が受け入れる結果になった。

それまではきわめて限定的にしか政治参加できなかった一般の民衆が変革の原動力となった点が大きな特色。民主化運動に参加した民衆はツイッターやフェイスブックなどのSNSや衛星放送等のメディアによって連帯と情報共有を図り、かつてないスピードで国境を超えて民主化運動が拡大していった。

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黄緑:イスラム教徒が多い地域、黄枠:アラブ地域、赤枠:中東地域。
中東地域やアラブ地域の定義は機関等によって異なるため、一致しないことがある。JICAではトルコを欧州地域とし、アフガニスタンを南アジア地域と分類している。

憲法を改正した国々

A)モロッコ
B)ヨルダン

「アラブの春」で政権が変わった国々

1)チュニジア(注1)
2)リビア
3)エジプト
4)イエメン

(注1)2014年に新憲法を制定。

年表

2010年12月
  • チュニジアで青年が焼身自殺。
2011年1月
  • チュニジアで民主化運動が拡大してベン
  • アリ政権が崩壊(「ジャスミン革命」)。
2011年2月
  • エジプトのムバラク政権が崩壊し、国軍が暫定的に国家運営を掌握。
  • イエメン各地でサーレハ大統領退陣を求めるデモが頻発。
  • リビアで東部を拠点とする反体制派とカダフィ政権が武力衝突。そのほかバーレーン、モロッコなどでも大規模なデモが発生。
2011年3月
  • リビアで米英仏を中心としたNATO軍が国連安保理決議に基づく軍事行動を開始。
  • シリア各地で民主化運動が発生し、政府は運動を厳しく取り締まる。
2011年4月
  • 湾岸協力理事会(GCC)がイエメン政府と反政府勢力の仲介案を提示。
2011年5月
  • G8が中東・北アフリカ諸国の民主化を支援する「ドーヴィル・パートナーシップ」の立ち上げを決定。
2011年8月
  • リビアで反体制派が首都トリポリを制圧。
2011年10月
  • リビアのカダフィ指導者が死亡し、反体制派がリビア全土の解放を宣言。
2011年11月
  • イエメンのサーレハ大統領がGCCによる仲介案に署名。
  • リビア、移行政府内閣を組閣。
2011年12月
  • イエメンで挙国一致内閣が発足。
  • チュニジアで新内閣発足。

池上 彰(いけがみ・あきら)さん

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池上 彰さん

ジャーナリスト、東京工業大学特命教授。1950(昭和25)年生まれ。1973年にNHKに記者として入局。報道記者や番組キャスターなどを務め、2005年に独立。『伝える力』『おとなの教養』『新・戦争論』(共著)ほか著作多数。2013年、伊丹十三賞受賞。

私たちがききました!

小川悠介(おがわ・ゆうすけ)

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小川悠介さん

担当:北マケドニアなど
学生時代は中東地域やイスラムについて学び、トルコに1年間留学しました!

名倉 早都季(なぐら・さつき)

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名倉 早都季さん

担当:イラク・レバノン
中東への渡航経験がなく、日々勉強中。早く出張に行きたいです。

江場 日菜子(えば・ひなこ)

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江場 日菜子さん

担当:モロッコ
タジン鍋、クスクス、フムス、ファラフェル等のおいしい中東料理が大好きです。

小島直大(おじま・なおひろ)

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小島直大さん

担当:パレスチナ
学生時代にヨルダンに1年間留学し、シリア人とパレスチナ人とルームシェアをしていました!