for Mid-Career
Feature 02

私はいかにして
“JICAパーソン”と
なったか?

JICAで働くということ、それは、あなたのかけがえのないキャリア、知見を、世界の社会課題解決のために活かす、ということ。JICAで働くということ、それは、あなたのかけがえのないキャリア、知見を、世界の社会課題解決のために活かす、ということ。

ここでは、社会人採用によってJICAに入構し、
今や代えがたい力となって活躍している3人の職員に集まってもらい、
入構前後に抱いていた不安や悩み、
外部の視点を持っているからこそ見えてくるJICAの事業や組織文化の魅力、
といったテーマについて語り合ってもらおうと思う。
JICAへの転職を検討されている皆さんに、
JICAの素顔、JICAの魅力をお伝えするために。

座談会出席者

  • 古川 正之
    古川 正之Masayuki FURUKAWA

    ガバナンス・平和構築部
    STI・DX室
    2002年 商学部卒
    2015年 JICA入構

  • アイコン クロス
  • 浅野 誠三郎 アフリカ部 アフリカ第二課
    松林 美葉Miha MATSUBAYASHI

    地球環境部 水資源グループ
    水資源第一チーム
    2013年 経済学部卒
    2018年 英国大学院
    開発経済学修了
    JICA入構

  • アイコン クロス
  • 荒井 真希子
    荒井 真希子Makiko ARAI

    JICA緒方貞子平和開発研究所
    企画課/政治・ガバナンス領域
    2001年 外国語学部卒
    2007年 大学院法務研究科修了
    2016年 JICA入構

1.どのようにしてJICAへの転職を
考えるようになったのか?

先ず、皆さんがどのような経緯を経てJICAへの転職を考えるようになったのか、JICAへの志望動機はどのように育まれていったのかということについて、お聞きしたいと思います。

古川

前職は、大手情報システム企業で銀行システムの開発等に携わっていましたが、この会社では現職を辞めずにJICA海外協力隊に参加できるという制度があり、これに応募してみようと思い立ったのがそもそものきっかけですね。しかしこの時は、国際協力とかJICAに興味があったというより、ずっとドメスティックな仕事をやっていて、自分の仕事の環境を大きく変えてみたかったというのが正直なところです。それで、協力隊に参加しスリランカでコンピュータ技術関連の協力に取り組んだのですが、私の場合はここから、国際協力に本格的に興味を持つようになったというところがあります。
 この協力隊での仕事はとても楽しかったのですが、草の根的なボランティア活動が中心ですので、私としては、もっと相手国に対してインパクトのある事業を仕事として手掛けてみたいという思いも強くなっていきました。そんな時、グループ企業のホーチミン支店でのポストが社内公募されているのを知り、今度はそこに応募したのですが、実際にベトナムで働き始めてみると、現地でのJICAのプレゼンスは非常に大きくて、JICAの協力によってベトナムの方々の生活が大きく変わっていることを実感することになりました。国際協力というのは本当にインパクトの大きい、可能性に満ちた仕事だということを強く感じたのです。このホーチミン時代に、会社の別のチームが、ある円借款事業の見積もりに参加したことがあったのですが、それを横目で見ながら、こういう事業があるのなら、私のICTに関する知見もJICAの中で活かすことができるのではないか、私が入る意義があるのではないかと考えたことが、JICAに応募することにつながっていったように思います。

座談会中の画像

古川 正之

座談会中の画像

松林 美葉

松林

私の場合は、新卒で就職する段階から国際協力にはとても興味があったのですが、一方で金融にも非常に惹かれていて、その時点ではメガバンクで働き金融の専門性を獲得することを選んだという形でした。銀行では、都心部の支店で約4年間法人営業等を担当しましたが、その間も国際協力への関心は持ち続けていて、もし国際機関に転職するのであればこのぐらいの年齢で修士号をとっていたいという思いもあり、5年目の段階で一念発起して銀行を退職し、開発経済学を学ぶため英国の大学院に留学しました。
 この英国留学は、私にとっては初めての海外生活でしたが、改めて外から日本を見ることで、さまざまなことに気づかされた経験でもありました。経済面を始めとして、世界の中での日本の存在感は一頃に比べてどんどん希薄になっていますし、このまま母国のことを何も考えずに仕事を続けていくのは嫌だなというか、日本を離れて逆に日本に愛着が湧いてきたというところもあったように思います。留学する段階では、必ずしもJICAが第一志望だったわけではありませんが、英国で学び、生活するうちに、「国際協力×日本×金融」というのを自分のキャリアの軸にしていきたいという意識が明確になっていったと言えるでしょうか。この「日本」というのは、自分が取り組みたい課題として、また働く場所として、ということですね。そこで浮上してきたのがJICAだったという形です。

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松林 美葉

荒井

古川さん、松林さんに比べると私の経歴は入り組んでいて、履歴書にも書ききれないくらいなのですが(笑)、新卒の時点では外国語学部を卒業して外資系のビジネスコンサルティング企業に就職しました。そこで3年弱働いた時点で、会社を辞めてロースクールへ入学しましたが、これは、大学時代の専門が語学だったこともあり、何か明確な専門性を身に付けたいという思いからでした。法律を選んだのは、マイノリティとして日本社会の周縁に追いやられがちな人々、特に外国人に対する法的支援に関心があったことと、自分自身が高校の一時期をアメリカでマイノリティとして過ごしたことも影響していると思います。ロースクールでは、外国人の権利や難民保護に直結する国際人権法などを勉強しましたが、在学中から難民支援に関わるようになり、卒業後はNGOと法律事務所で日本国内における難民・外国人支援に携わってきました。これが、JICAに転職する前10年間くらいの私のキャリアですね。また、私が支援に関わり始めた頃は、特にミャンマーからの難民がとても多く、在日ミャンマー・コミュニティーとのお付き合いが始まりました。そこからミャンマーに強い関心を持ち、ミャンマー語も学びはじめ、今や「ミャンマー」は自分の人生におけるキーワードになっていますね。
 JICAで働くことを考えるようになったのは、ミャンマーももちろんですし、アフリカでも中東でも、難民が生まれる根幹にあるのは、やはりその国の人権状況が悪いということなんですね。そう考えると、日本国内における難民支援は、もちろんやり甲斐はすごく大きいのですが、できることに限りがあるのではないか……もっと本質に遡って、難民の出身国の状況を改善していくこと、国創りそのものに関わるようなことをしたいと考えるようになったことが大きかったと思います。とは言っても、日本国内での業務しか経験していない私のキャリアが、JICAで本当に通用するのかということに不安はありましたが。

座談会中の画像

荒井 真希子

2.入構前後に抱いていた不安について

皆さん本当にJICAとの出会い方も多様で、ご自身の中でJICAで働くことの意味を発見されているようなところがあり、とても興味深いお話だと思いました。先ほど荒井さんから、自分のキャリアがJICAで通用するのかどうか不安だったというお話がありましたが、入構前後に抱いていた不安、悩みといったものは何かおありだったでしょうか?

古川

あまり大きな不安・悩みといったものはありませんでしたが、JICAは事業領域が非常に広いということもあり、配属先が直前までわからないというのは不安と言えば不安でした。面接の過程では「配属していただいたところで頑張ります」と答えるわけですが(笑)、やはり自分の知見・経験といったものを活かせる分野で働きたいという思いはありましたから。ただ、入ってみて改めて思うのは、いかにテクニカルなところで深い知見を持っていても、それだけで事業の現場に貢献できることは多くないというというところがあって、やはり入構してから新たに学ぶべきことは沢山あったなと思います。そうした意味では、入構後ルワンダに駐在して現地政府の方々と、個別のテクニカルイシューだけではなく、ICT産業全体を俯瞰する観点、そして、その国が掲げる中長期的な成長戦略といった政策レベルからしっかりと議論できたのは、非常に大きな経験でした。

松林

私は大学時代の知人等でJICA職員や国際機関に勤めておられる方がいて、そうした方達と入構前にメールでやりとりさせていただいて自分の中の疑問点はだいたい解消できていましたから、特に不安といったものは無かったですね。配属先に関して言えば、私はやりたいことがある程度はっきりしていたり、他の選択肢も考えていたこともあり、自分のキャリアが活かせるような配属にしてほしいと、面接では言っていましたね。

座談会中の画像
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荒井

先ほど自分のキャリアが通用するのかというお話しをしましたが、それ以外に、働き方でついていけるのかという不安もありました。JICAに転職したときには子どもたちがまだ小さく、自分の中ではしばらくフルパワーでは働いていなかったということを自覚していましたから、そうした働き方を求められることへの不安はやはりありましたね。また、家族との関係で、出張が多いことや海外赴任に関する不安も大きかったです。古川さんと同じで、採用面接の段階では「できます、やります」と答えるわけですが、家に帰ってから家族にネゴするという(笑)。ただ、やはりJICAのネームバリューというのは素晴らしくて、私の両親などは「意義のある仕事なんだから頑張りなさい」と、とても応援し、フル・サポートしてくれました。この子育て、家庭生活と仕事のバランスという点については、幸い周囲の助けを得ることができ、杞憂だったと今では思います。入構後私も子供二人を連れてミャンマーに母子赴任しましたが、他の会社で働いている友人に話すと「そんなことができるの」と本当に驚かれます。こういうことを、「うちの組織ではみんなやってるよ」と話せることはとても誇らしいことだと思います。

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3.入構して感じた違和感、驚きとは?

なるほど。次に、入構されてみて感じた違和感とか驚きといったものについてお聞きしたいと思います。JICAの文化や組織慣行といったものに関して、皆さんが感じたものについて、率直にお話しいただければと思います。

古川

私の場合、前の会社がIT企業で、決裁等も基本的にPC上でやっていたこともあり、圧倒的な紙、ハンコ文化には驚きましたね。今はオンライン決裁も導入され、随分変わってきていますが……。あと、議事録等の文書作成業務が多い。前の会社では、議事録作成は基本的に新人の仕事という認識がありましたから、35歳で入構して議事録書かなきゃいけないのか、というのは正直驚きました(笑)。また、私が議事録を書くと先輩職員に真っ赤に直されるんです。これは“行政文書”ではないと。つまり、前の会社で作っていたような議事録は単に会議のメモで、JICAの場合は行政文書なんですね。そういう意味では、職場の先輩には随分丁寧に指導していただいて、本当に助かりました。また、JICAはあらゆるものに関してマニュアルが整備されていて、もちろんそれを読み込むには時間がかかるのですが、新たに入って来た人材に情報を共有する仕組みは整っていると思いますね。前の会社ではそういうのは何も無くて、人に聞くしかない。ホーチミンに行った時などは、知り合いもいないので本当に困りました。一方で、このマニュアルが非常に膨大で多岐にわたっていますから、参照したいマニュアルに職員皆が3クリックでたどり付けるという支援ツールを構築しようと、今、組織DXチーム(※注1)内で検討しているところでもあります。

荒井

そのシステムは素晴らしい。本当に欲しいです(笑)。

松林

圧倒的な“紙・ハンコ文化”は銀行の方が全然スゴかったですよ! 私の場合は、そうした手続き上の問題というより、民間セクターと公共セクターの仕事に取り組むうえでの立脚点の違いですね。そこに、最初は当惑しました。つまり、民間はあくまで資本主義が原則ですから、プロジェクトを考えるうえでも、費用対効果を検証し、投資した分のリターンが得られるかを考えるのは大前提ですよね。JICAの場合は、何億のプロジェクトを何年やって、その次に何十億のプロジェクトを何年やってということを次々に計画していくのですが、営業をやってきた私からすると、一生かけても稼げないような額を投入する事業をそんなどんどん立案するの? リターンは? というのを当初はすごく感じました。私は今、水事業を担当する部署に所属していますが、例えば、数百万かけてこれを実施すれば、現地の人々の意識が変わります、能力が向上しますという話をするのですが、そこのロジックがよくわからないというのが、最初はすごくありました。それだけのコストをかけて、目に見える形で残るものは何なのかという。

座談会中の画像
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古川

立脚する価値観が違うというのは、本当にそうですね。

松林

そうした部分に関しては、当時の上司に、例えば“キャパシティ・ディベロップメント(※注2)”という考え方について教えてもらうなど、とても懇切丁寧に指導してもらったと思います。こうしたプロセスを経ることで、開発協力においてはこういうふうに考えるんだということが自分の中でも腑に落ちましたし、今では、民間との違いがあるのはむしろ当然のことだと考えています。こうした上司との関係も含め、疑問点等についても自由に発言できる風土がありますし、組織の方でもそれをしっかりと受け止めてくれる。それもあって、今では心から仕事をエンジョイできていると思います。

荒井

JICAで働き始めて感じた違和感ということでは、“JICA職員は何をする人なのか?”ということが私は大きかったですね。この問いは今も追い続けているものです。職員は開発のプロであり、途上国のために何をすべきかを考え、実行することが求められる。他方で、そのために発生する細かい事務作業も、ある程度は職員が自分でやる。レベル感の異なる様々な仕事を一人で幅広くこなしている状況に本当に驚きました。入構後最初に配属された部署で担当したのはミャンマー、バングラデシュなどの法制度整備の支援で、技術協力案件ですので多くの専門家を日本から長期・短期で現地に送り出すわけですが、私を含めた案件担当者は、極端に言えば、「すごく複雑なツアーのアレンジを担う旅行代理店の担当者」といった感じの事務もやるわけです。法整備支援ですから、法曹や大学の先生といった方をプロジェクトのリソース・パーソンとして現地に送り出すのですが、「先生、日本に帰ってきてこの日は大学で講義ですよね、フライトはこれでいいですか?」といったことを個別の出張者と連絡をとって調整する。こういう、いわばとても地味で細かい仕事を、キャリア10年、15年以上という職員もある程度はやっているわけですが、これが私にとっては驚きでしたね。JICAには公式・非公式含めてさまざまな学びの機会もあって、それらは全て面白そうなんですけど、最初のうちはそうしたものに手も出せないくらいロジ(ロジスティクス)に忙殺されてしまう。ただ、経験を積んで全体像が見えるようになると効率的にこなせるようになる部分もありますし、徐々に「この先生に出張中にこういう講義をしてもらうと先方政府のためになる」といったことも提案できるようになったりと、専門家の方たちと一緒にオーダーメイドで事業を作り上げることの醍醐味も感じられるようになってきましたね。また、ミャンマー駐在中は、現地で専門家と膝づめでどんな活動をしたらいいかと一緒に考え、実際にその活動の現場に立ち会えますので、ミャンマー側のリアクションもダイレクトに分かり、JICA職員としての仕事のやり甲斐をすごく感じました。ロジについては、今進んでいる組織DXチームの検討が進むともっと効率的になると思っています。

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※注1:組織DX……JICAにおいて推進されているDX(デジタルトランスフォーメーション)は、途上国開発事業にDXを取り込んでいく「事業DX」と、機構内業務の変革を目指す「組織DX」、双方向での取り組みが行われている。「組織DX」では、ICTを活かした組織運営、業務効率化、人材育成の企画立案等を幅広く取り組んでいる。

※注2:キャパシティ・ディベロップメント(capacity development)……ここで言う“キャパシティ”とは、「個人・組織・社会が、期待される役割を果たし、問題を解決し、目標を設定してそれを達成する、自立発展的な能力」を意味し、JICAではキャパシティ・ディベロップメントを、「途上国の課題対処能力が、個人、組織、社会などの複数のレベルの総体として向上していくプロセス」と定義している。(キャパシティ・ディベロップメント概念の整理

4.改めて感じるJICAの魅力、
そして、これからのキャリアについて

いろいろお話をうかがってきましたが、前職等とも比較しながら、JICAの仕事、人、組織文化の魅力とはどういうものだとお考えになるかということ、そして、JICAの中で皆さんがどういうことを実現し、どういうキャリアを築いていきたいと考えておられるかということを、最後にお聞きしたいと思います。

古川

やはり、開発途上国の皆さんにお会いした時の圧倒的な信頼感というのは、JICAという組織が積み上げてきたものの力だなとつくづく思いますね。先方政府の次官とか大臣にもお会いできて、しっかりと議論させていただけるというのは、民間企業ではちょっと無いことだろうと思います。あと、さまざまな知識を持った人材の集合体なので、本当に学ぶことが多い。逆に言えば、全てにパーフェクトな人というのはいないわけですから、自分の知見・能力を活かせるフィールドは必ずあるんだということを感じることができる場でもあると思います。
 私自身の今後という意味では、今籍を置いているSTI・DX室では、“ICT4D”(※注3)ということを良く言っていますが、開発の中にICTを導入していくことにはやはりずっと関わっていきたいとは考えています。それは、JICAという組織の中でやっていくということも勿論ありますし、JICAも今どんどんコラボレーティブになっていますから、協業する民間企業に自分が出て行って、専門家としてプロジェクトを推進していくこともあり得るのではないかと考えています。そうした、開発におけるJICAと民間の結節点になるような仕事も模索してみたいですね。今後ますますデジタルが当たり前になっていく世界の中で、ICTの力によってJICAの事業インパクトを飛躍的に高めていくこと、そして、そうした世界の中で開発途上国が取り残されないようにしていくことが、私自身がJICAの中でやりたいことでしょうか。

松林

JICAの職員というのは、自身が携わっている仕事に意義を感じ、途上国や国際協力に対する強い思いを持っている方がほぼ全員なのではないかと思いますが、これは本当にすごいことだと思います。前職の場合は、まったく興味のない部署にいて、言葉を選ばずに言えば、思いはゼロだけれどもお金のために仕事をしているといった社員も少なくなかった。そうした意味でJICAは、本当に魅力的な組織だなと思いますね。私自身、ワークとライフの線引きが曖昧になるくらいです(笑)。あと、先ほど荒井さんのお話にもありましたが、女性がこれだけ第一線で活躍している組織は他にちょっと無いのではないでしょうか。JICAはさまざまな国と深く接する中で仕事をしていますから、必然的に働き方においても、多様性を尊重する文化が根付いているのではないかと思います。
 自分のテーマということに関しては、今、水事業を担当する中でグローバル・アジェンダ(課題別の事業戦略)の検討を行っていますが、答えの無い課題にアプローチし、戦略としてまとめあげていくうえでの、ロジカルシンキングのメソッドを身に付けることの重要性をひしひしと感じています。ですので、金融、ロジカルシンキングという横軸、そして縦軸としての水道や類似する公共セクターといった“分野”の課題にアプローチできる能力、それら両方をもって、最上流の政策、より高度な戦略提案ができるような人材を目指していきたいと考えています。

座談会中の画像
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荒井

私は、JICAの魅力はまず何と言っても人だと思いますね。転職して驚いたのは、“優秀な善人”がこんなに多い組織があるのか! ということでした (笑)。この“善人”というのは、組織のミッションに皆が共感しているということが大きいのではないかと思います。例えば、社会人採用で入構するととにかく周囲にたくさん質問しなければならない局面も多いですから、周りがこうした“優秀な善人”だと本当に助かるんですよ。皆さん教えることを全く厭わず、丁寧に質問に答えてくれる。資料を渡されて「これ読んでおいて」とめんどくさそうにされるといった対応をされたことは、私に関しては全くなくて、みんな単なる回答だけじゃなくて何倍も付加価値を付けて教えてくれる(笑)。こういう組織は本当にすごいなと思います。あと、ブランド力というか、組織への期待や信頼というのはつくづく感じますね。私は今、JICA緒方貞子平和開発研究所で研究員という肩書をいただいていますが、研究者としては全くの駆け出しであるにもかかわらず、ありがたいことに、さまざまな学会や大学から講演や講義のご依頼をいただいています。外部から見ると、JICAという組織が持っているものへの期待感はすごく大きいんだなということを、しみじみと感じています。
 今進められている人事制度改革の中で、ある専門性に特化した“突き抜け人材”というものも推奨していくという話を聞いているのですが、JICAにおけるこれからのキャリアという意味では、私はこの“突き抜け人材”を目指していきたいと考えています。 私の場合、突き抜けるスペシャリティというのは「ガバナンス×東南アジア」ということになりますが、少し偉そうなことを言わせていただくなら、後に社会人採用で入ってくる方たちが、こういうキャリアの形もありなんだと思えるようなひとつのモデルを目指したいというか……。今、幸いにして研究所で研究員をやらせていただいていますから、専門の地域や課題についてて、アカデミックな観点でもしっかりと掘り下げていきたいと考えています。

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※注3:ICT 4 D……ICT for Developmentの略。開発協力の中に、ICT、デジタルテクノロジーを導入していく取り組み全般のこと。JICAの掲げるグローバル・アジェンダ「デジタル化の推進」ではDigital for Developmentという言葉を使用。

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