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国際機関への出向/専門家としての派遣/
博士号の取得

自国の発展の未来を担う
人材を育む……その大き
な意義に魅せられて。

梅宮直樹

Naoki UMEMIYA

人間開発部
社会学部卒/1997年入構

多くの出会いから刺激を受け、教育開発の魅力に引き込まれる

現在は人間開発部に所属し、教育開発に関する専門性を軸にさまざまな取り組みを行っていますが、JICA入構前から教育について興味を持っていたのかというと、必ずしもそうではありません。私の場合、入構後に配属された一部署目、社会開発協力部(現在の人間開発部)での仕事が面白くて面白くてしょうがなかった。その時に出会った、大学の先生を始めとするさまざまな専門家、相手国政府のカウンターパート、そして、JICAの先輩方に導かれて、気が付けば教育の魅力にぐいぐいと引き込まれていきました。この一部署目の頃に携わった仕事のうち、特に印象深く記憶しているのは、カンボジアの理数科教育改善を目指すプロジェクトの形成のための調査でしょうか。この時は、日本のいくつかの大学の先生と一緒に現地に出張し、カンボジア教育省の担当者とも打合せを重ねましたが、それぞれの分野を究めている先生方の話を聞くのがとにかく楽しく、それをカンボジアの教育課題の解決にどのようにつなげていけるかを考えるのは、本当にやりがいのある作業でした。また、カウンターパートである教育省の担当者は非常に経験豊富で、国の将来を担うリーダーたりうる人材を育んでいくことに、強い熱意を持っておられました。あまり多くを語らない方でしたが、ポル・ポト(※注)時代の惨禍を生き延びて、自国の再建に向けて並々ならぬ情熱を持っておられました。彼を通じて、開発における教育の重要性、その意義といったものを教えられたように思います。

加えて、当時の先輩方が、皆さん教育開発に対する非常に強い思いを持っていて、自己研鑽にも熱心に取り組んでいたことにも大きな影響を受けました。その後、2001年からハーバード教育大学院に留学し、2002年からは世界銀行で東南アジアの教育・研究事業に取り組むことになりますが、これは、JICAの先輩方から刺激を受けながら、“自分はまだ教育について何も知らない、もっと勉強して途上国の開発に役立つ知識を得たい”という思いが高まっていったことが大きかったと思います。

さらに高いレベルを目指すステップとなった体験

ハーバード大学では国際教育政策について学びましたが、私がとりわけ注力したのは“ベトナムにおける少数民族の教育環境を改善する政策”というテーマでした。世界に残された5%〜10%の教育にアクセスすることができない人々の環境を、いかに改善できるかという課題に取り組んでみたいと考えたのです。留学中の勉強は大変ではありましたが、自分が本当に学びたいことに取り組めているという実感も大きく、とても楽しかったですね。その後、国際機関での実務経験を積みたいと考え、人事部と相談し、世界銀行出身の指導教員の紹介を得て面接を受け、世界銀行の東南アジア大洋州局で教育事業を担当する部署で交換職員として仕事をすることになりました。JICAでは継続的に、世銀の理事室等に出向者を派遣していますが、私の場合はこのようにアドホックにポストを得たという形でした。

世銀時代は、ベトナムの初等・中等教育の改善、カンボジアの高等教育プロジェクト等を担当しましたが、やはり何と言っても刺激を受けたのは世銀のスタッフの専門性の高さ。私も大学院での勉強を終えたばかりで、少しは役に立てるはずだと臨んだところがありましたが(笑)、周りはほとんど博士号を持っているのが当たり前でした。その専門性をもって、皆さん事業の実施とともに、研究活動を通じ事業に必要な知見の創出・蓄積・発信する活動(JICAではナレッジ・マネジメントと呼んでいます)に取り組み、両者を往復しながら質の高い事業を展開していて、自分たちが創出・蓄積したナレッジを世界に向けて発信していかなければならないという使命感、自負も持っている。こうした姿勢に大きな影響を受けました。

また、2005年から“アセアン工学系高等教育ネットワーク・プロジェクト”にプログラム調整専門家として派遣されたことも、私にとっては非常に大きな経験でした。これは、アセアン10ヵ国と日本のトップ大学40校をネットワークでつなぎ、教員の育成や共同研究を行うプロジェクトで、私はメンバー校の一つであるタイのチュラロンコン大学に置かれた事務局に常駐し、プロジェクト全体のさまざまな調整業務に携わりました。このプロジェクトからは本当に数多くの人材が巣立っていて、それぞれ自国の大学で次世代の育成に邁進している方もいれば、政府機関に登用されて、国の未来のために奮闘されている方もいる。後に各国に出張した際にそうした方たちに再会できるのは、教育開発に携わる者として何よりの喜びであり、仕事の醍醐味でもあると思います。同時に、実務を動かすための調整・ロジスティクス業務の重要性についても学ぶ機会となりました。同じ観点から、教育担当部署に限らずJICAの様々な部署での経験が今の仕事にトータルで活きていると感じています。

今は人間開発部の次長として、内外の専門家・有識者を招いた勉強会を開催するなどして組織の専門性の強化に取り組みつつ、事業の実施とナレッジ・マネジメントを車の両輪として進めていくということを私自身のテーマとしてもちながら業務にあたっています。JICA緒方研究所での研究プロジェクトに参加するなどしていますが、こうしたJICAにストックされたナレッジを、「国際公共財」として世界に発信していく活動にも力を入れていきたいと思っています。入構後時間が経ちましたが、今も新人の頃と変わらず、とてもやりがいのある仕事に関われていることに感謝しています。

※注……カンボジア共産党の創設メンバーで、彼が指導したクメール・ルージュ(ポル・ポト派)は、政権奪取以降、知識層や都市住民を農村に強制的に移住させ、過酷な労働を強いるなど、1975年〜79年の間に170万人前後が虐殺されたとされる。

キャリアのハイライト

1997-1999

最初に配属された社会開発協力部(現在の人間開発部)では、主に東南アジア地域の教育開発事業を担当しました。担当した仕事が面白くてしょうがなかったのと、部署の内外でJICAの教育開発事業を牽引する先輩職員と出会ったことが、その後の人生を決めることになりました。業務と自己研鑽を通して教育開発について深い知見と情熱を持ち続けて仕事をしている先輩職員と接する中で、自分も教育開発を軸とした国際協力をライフワークにしていこうと考えました。

1997-1999 画像
2002-2003 画像

2002-2003

長期研修制度によって世界銀行に1年間籍を置き、東アジア大洋州局で東南アジアの教育事業と研究プロジェクトに従事しました。当時の上司や同僚とは今も公私ともに付き合いが続いていますが、そのつながりをベースに、JICAで一緒にセミナーを開催したりカンボジアで世銀-JICAの連携事業を作ったり、JICAの業務にも活きる財産になっています。また、JICAを外から見ることで、JICAの特徴や強み・課題について考え、また、それを踏まえてJICAに戻った後にやりたいことを思い描く機会となりました。また、当時は米国大学院の修士課程を終えた直後の勤務でしたが、周りは全員博士号を持った職員で自分の知識・専門性をさらに高めていく必要性を痛感しました。いつか自分も博士課程に入ってさらに研鑽を積みたいと決意する機会にもなり、JICAに戻った後、東京工業大学大学院博士課程に社会人入学をしました。忙しい毎日でしたが、研究活動に直接関わった経験が、途上国の高等教育機関の研究能力を強化する事業を企画・運営する際にも役立っています。

2005-2009

広域の技術協力プロジェクトであるアセアン工学系高等教育ネットワーク・プロジェクトのプログラム調整の専門家としてタイに派遣され、プロジェクトの運営管理に携わりました。途上国の現場で、自国やアジア地域の発展を支える人材の育成に心血を注ぐASEAN各国の大学や本邦大学の多数の教員と知り合い協働した貴重な4年間でした。当時プロジェクトの奨学金で日本やASEAN諸国の大学で博士号を取って母国に戻った若手教員たちが、10年を経て現在、本邦大学とも強く繋がりを持ちながら各大学の幹部教員として活躍し、次世代の人材育成に奔走しておられる姿を見ると、何より嬉しく、また、人材育成に投資・貢献することの意義を強く感じます。

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2009-2013

人間開発部で、主に東南アジア地域の高等教育事業の運営管理を担当しました。加えて、当時の上司が「事業の実施とナレッジ・マネジメント(当該分野の知見の創出・蓄積・発信)を車の両輪として進めることで質の高い事業を実施していく」という方針を示してくれ、ナレッジ・マネジメントの活動も積極的に進めました。具体的には、当時東南アジアでも実績が増え始めていたダブル・ディグリー・プログラムなどの国際合同学位プログラムの実態と課題を文部科学省高等教育局と合同で調査する研究活動を行ったり、広島大学主催のアジア8か国の大学教授職の変容にかかる国際共同研究にJICAからも参画し、上智大学の先生と私でカンボジアの教授職の変容について研究を行ったりしました。とても充実した3年間で、「事業の実施とナレッジ・マネジメントを両輪として進める」ことは現在の私の仕事のモットーの一つにもなっています。

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