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子供を伴っての海外赴任/書籍の刊行/
経営戦略検討プロセスへの参画

子育てと仕事を両立しな
がら、社会人として、人
間としての視点を高めて
いく。

眞田明子

Akiko SANADA

企画部
工学研究科修了/2002年入構

子供の成長に寄り添い、仕事にも打ち込む

2019年2月から子供を伴ってラオスに赴任しましたが、これは、我が家の中では随分前から既定路線と言うか、私は何の迷いもなく、普通にそうしようと考えていました(笑)。

赴任当時娘は小学校一年生でしたが、小さい頃からそういうタイミングが来たら行くよという話をしていましたから、彼女の中でも時間をかけて覚悟を決めたようなところがあったのだろうと思います。JICAの中では、子育て中の女性が子供を伴って海外駐在することは至極当たり前のことですし、幸いにして私の場合、夫や両親も非常に協力的でしたから、この海外赴任自体に特に大きなハードルがあったわけではありません。

ビエンチャンは、車で端から端まで行っても30分もかからないようなこぢんまりした街。私たちは、娘が通うインターナショナル・スクールの近所にあるマンションに居を構え、私はそこから、車で10分ほどのJICA事務所に通うという生活をスタートさせることになりました。こうした、物理的な距離、移動時間の短さもさることながら、感覚的な面でも、ラオスでの暮らしは仕事と生活の距離がとても近く、東京で仕事と子育ての両立のために悪戦苦闘していた頃からは考えられないような、余裕ある日々をおくることができました。それは、私の方でお願いしていたドライバーやお手伝いさんはじめ、マンションの大家さん、事務所のスタッフといったラオス人の方たちが、さまざまな形でサポートしてくれたことも大きかったと思います。また、日本食料理店を営まれている“おかみさん”に娘の弁当を作っていただいたこともありましたが、現地在住だったり他の組織で働いていたりする日本人の方たちにお世話になることも多かったですね。おかげで、子供の成長にしっかりと寄り添いながら、仕事にも打ち込むことができました。ある時娘と話していて、“今日学校で誰々がこんなことをして”と言うので、“どこの国の子?”と私が聞くと、“知らない”と言うんです。要は娘にとっては、国とか人種とかは関係なく、友達は友達だと。私たちは他者とコミュニケーションするとき、無意識のうちに国籍、人種、宗教といったフィルターをかけてしまっているところがありますが、子供はそういうものを全部取り払って、純粋に個人対個人として付き合っている。この時は、娘の中に本当の意味での多様性への理解が育まれていることを感じ、ラオスに連れてきて良かったとつくづく思いました。

仕事面では、次長としてJICAがラオスで実施しているさまざまな事業や海外協力隊事業のマネジメントを担当しましたが、コロナの流行が始まってからは隣国のタイやベトナムとの国境が閉じ、国際定期便の運航も停まってしまいましたから、移動手段がなくなる前に協力隊の隊員や専門家が日本に帰国するオペレーションはとても大変でした。また、困難な状況の中でラオス政府の方たちが、JICA、日本をさまざまな形で頼りにしてくれたのは、本当にありがたいことだなと思いました。コロナ禍によって顕在化してきた問題について、他のどの機関、国でもなく、この問題についてはJICAに相談に乗って欲しいと言われる……。これはやはり、JICAが長年にわたって築いて来た信頼の賜であり、国と国のつながりは人と人のつながりの上にあることを強く感じると同時に、JICAの仕事の意義の大きさに、背筋が伸びる思いでもありました。

さまざまな機会を経るごとに変化していく仕事に向かう姿勢

私はもともと、学部〜大学院を通じて土木工学を学び、入構以降も、都市開発や環境を軸にしたキャリアを築いていきたいと考えていましたが、入構3年目にバングラデシュに赴任し、廃棄物管理事業を手掛けたあたりから、自身の専門性に対する認識は少しずつ変化してきているように思います。バングラデシュでは、ダッカ市の廃棄物管理能力向上のために、行政の側の体制構築、ゴミ収集車のオペレーション改善、住民に対する意識啓発といったさまざまな取り組みを同時並行的に進めましたが、プロジェクトを進める過程で、ダッカ市や政府関係者の意識が明らかに変わり、行政職員としての使命感が育ってきていることを目の当たりにしました。私はこの時、自分が手掛ける個別案件というより、分野全体のインパクトを追求することの重要性を実感しましたし、JICAという組織が持つ可能性をひしひしと感じました。加えて、“狭義の土木”という専門性を超えて、自身の興味・理解の範囲が広がってきていることも自覚しました。また2017年には、2030年のJICAのあり方を検討する長期経営戦略タスクフォースのメンバーにアサインされたのですが、ここでの議論も私にとっては非常に大きな意味を持つものでした。もちろん私は、土木や都市開発といった分野に関心を持ち続けていますが、そこに囚われるのではなく、もっと社会全体や組織全体について考える必要がある……そうした視点を持つことができるようになったのは、このタスクフォースに参加したことが大きなきっかけだったと思います。

2021年12月に日本に帰任し、これからは企画部総合企画課の課長としてJICA全体の戦略策定等を担うことになりますが、やはり最大のテーマであると考えているのは、JICA自身の変革を促していくこと。次の時代においても、JICAが社会から求められ、信頼される組織であり続けるためには、我々自身のマインドセットや仕事の方法論を変えていく必要があると思いますし、そのためにどんな施策を打っていくべきなのかを、今は議論しているところです。また、次の世代へ、より良い世界を、誇れる日本を引き継いでいきたいということも、特に親になって以降よく考えるようになりましたね。社会人として、一人の人間として、次の世代に対する責任感を持ちながら、日々の仕事に取り組んでいきたいと考えています。

キャリアのハイライト

2002

大学院修了後にJICA入構。「開発途上国でのまちづくりに携わりたい!」と希望していましたが、最初の部署では環境管理(廃棄物管理や大気汚染対策)、水、防災などの案件を担当することに。各分野をがむしゃらに勉強することで、以降、さまざまな課題同士のつながりに関心を持つきっかけにもなりました。今でも尊敬する上司・先輩方という、得がたい財産を持てたことも大きかったですね。

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2005

入構3年目の終わりにバングラデシュ赴任となり、都市環境、インフラ、防災、電力などを担当。初めての在外事務所勤務でしたが、上司、先輩、同僚に恵まれ、充実した日々を過ごすことができました。この時取り組んだ、首都ダッカの廃棄物管理サービス向上を目指す「クリーンダッカ・プロジェクト」では、カウンターパート職員の意識がプロジェジェクトの進捗と共に向上するのを目の当たりにし、JICAの事業の意義を実感しました。このプロジェクトの経緯ついては、一緒に携わった専門家との共著で「クリーンダッカ・プロジェクト〜ゴミ問題への取り組みがもたらした社会変容の記録」という書籍も刊行しました。

2011

結婚後も独身時代と同じ働き方をしていましたが、子供が生まれて一変。保育園に入るために子供が5か月の時に業務復帰し、仕事に全力投球の生活から、家庭と仕事のバランスをとった生活へシフトしました。時間の制約は確かにありますが、仕事の効率性は高まったと思いますし、子供の成長は楽しく、ママ友パパ友との交流など異業種の友人も増えて、生活面は充実しましたね。子供が2歳の頃には出張も再開しました。

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2019

7歳の娘と2人でラオスに赴任しました。多くのサポーターをお願いしつつの母子生活スタートでしたが、仕事面でも親子関係においても、非常に充実した日々を過ごすことができました。ラオスには日本人学校がなく、インターナショナル・スクールに通うことになりましたが、英語ゼロからのスタートで最初は心配したものの、子供の適応力は高く、子供の努力や成長をみて親が励まされることも多かったですね。コロナ禍で国外への移動手段が限られ、医療体制が脆弱なラオスでの子連れ赴任は心配も多かったのですが、周りの人々にも支えられて乗り越えることができました。

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