“課題解決する力”を育み、
カウンターパートが抱く
“夢の解像度”を上げていく
私は三重県南部のまちで育ちました。非常に雨が多いうえにインフラは脆弱で、まちを通る唯一の国道が大雨により使えなくなることはしばしばありましたし、ある年の台風では、鉄道の橋脚が流されて列車がしばらく運行できなくなったこともありました。そうした地域ですから、地域の方々のインフラ整備への熱意、期待はとても大きく、トンネルの開通や地域道路が整備された時などには、大人も子どもも皆で喜びあいました。そんな環境の中で育ったこともあって私は、地域の暮らしを守り、豊かにするインフラを造ることに関心を持つようになっていったのだと思います。
大学は工学部に進んで土木工学を専攻し、大学院では特に地域の暮らしと移動を考える交通工学の研究に取り組みましたが、研究室には世界のさまざまな国からの留学生が所属していました。ベトナム、インドネシア、東ティモール、中国、韓国など、さまざまな国から集まった留学生たちは、それぞれに、ここで学んだことを自国の国づくりや地域づくりに役立てたいという、ヴィヴィッドな問題意識と大きな熱意を持っており、彼らと共にした時間は有意義で、楽しく、視野が広がる豊かなものでした。インフラを通した世界の国づくりへの関心を持ち、私に国際協力へとつながる扉を開いてくれたのは、この研究室での経験だったと、振り返って今、感じます。
2007年にJICAに入構し、管理部門を含むさまざまな部署での業務を経験してきましたが、そうしたキャリアを経て改めて思うのは、JICAの“心臓部分”は、“課題を解決する力”ではないかということ。とりわけ、2010年から在籍した経済基盤開発部(当時)では、発展段階の異なるさまざま国に出張を重ねながら政府関係者や有識者と議論を交わし、それぞれに異なる開発課題にアプローチしていくという、私にとってはまさに、“課題を解決する力”を鍛えられる時間でした。当時私が担当したのは、トーゴ、ブルキナファソ、セネガル、モルドバ、セルビア、フィリピン(ミンダナオ)といった10以上の国で新たな地図を作るというプロジェクト。地図は、インフラ開発における最も基礎的な資料ですが、当時担当した中には、50年以上前に作られた紙の地図しか存在せず、現在の状況を反映していない国や、全く地図がないといった国や地域もありました。それぞれの国が、将来的に国をどのように開発していきたいか、そのためにどのような地理空間情報の整備が必要か──そうしたプロジェクトの核となるテーマを、政府関係者との議論を通じて明確にしたうえで、国土交通省や国土地理院などの行政機関、そしてコンサルタントチームなどの専門家の協力も得ながらデジタル地図を作成し、それらを作る技術を移転していくという協力を仕立て、動かしていく。その過程では、さまざまな課題、障害に直面することが多くありました。しかし、いくつもの現場に、専門家の方々と一緒になって日本チームとして向き合ううちに、解決の糸口はどこにあるのか、どこを起点に考えれば壁を乗り越えられるのかということが見えてくるようになりました。特に発展段階の異なる国々を横断的に見ていくことで、課題解決のあり方を、より立体的に捉えられるようになったと思います。
また、2018年から駐在したカンボジア事務所では、インフラ事業を総括する立場として、道路、電力、都市交通、港湾といったさまざまなプロジェクトを担当しましたが、公共事業運輸省やシアヌークビル港湾公社のメンバーと密にやり取りしながら創り上げていったシアヌークビル港の拡張事業は、とりわけ印象深く記憶している業務のひとつです。公共事業運輸省や港湾公社のメンバーが思い描く「こんな港にしたい」という思いを紐解き、具体的なビジョンや機能に落とし込んでいく──カンボジアの経済状況分析に基づいて将来的な貨物の取扱量を予測し、中・長期的な港湾の運営方法も想定したうえで、理想の港はこのような港ではないかと議論しながら提案していく──それは、カウンターパートの夢をしっかりと受け止めたうえで、国の発展ビジョンに基づいて、“夢の解像度を上げる”プロセスであったと思います。





