保健医療

社会の不公平、理不尽を正し、「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」を実現していくために。

伊藤美和ITO Miwa

人間開発部 保健第一グループ 保健第一チーム
国際社会科学研究科及び熱帯医学・グローバルヘルス研究科修了
2012年入構(社会人採用)

“命の尊さ”への思い、
そこを起点に

2012年に社会人採用でJICAに入構し、翌13年からはアフリカ部の配属となり独立後間もない南スーダンを担当しましたが、当時出張で訪れた首都・ジュバで目にした光景はとても衝撃的で、今でも記憶の中に鮮烈に刻まれています。長らく内戦が続き、2011年にようやく独立を果たした南スーダンは、あらゆる基礎インフラが不足している状態で、ホテルから一歩外に出れば使えるようなトイレは殆どありませんし、水道はあっても水は出ない。紛争のような理不尽な理由で生活の基盤が破壊され、人間として当たり前の、普通の生活をおくることができない人々を目の当たりにすると、JICAがミッションとして掲げる「人間の安全保障」は単なる概念ではなく、必ず実現しなければならない確かな目標なのだということを切実に感じました。自らの意思とは関係なく、不条理な理由によって過酷な環境に陥っている人々の状況を改善していくこと──それは、この頃から変わらず、私が仕事に向かううえでの最大のモチベーションになっています。

現在は人間開発部に所属し、東アフリカ、中東・欧州、中南米地域における保健医療分野の事業を担当していますが、国際協力に関心を持つようになった原点は、小学生の頃に見た大飢饉に直面したアフリカの子どもたちをテーマにしたドキュメンタリー番組でした。ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんがナビゲイターとなってさまざまな国を訪問し、現地をレポートするという番組でしたが、TV画面に映し出される飢餓に苦しむ子どもたちの映像に大きなショックを受け、衣食住に困らない暮らしを当たり前におくっている自分との違いに子どもながら戸惑いました。歳を重ねるにつれて、こうした状況を変えていくために自分には何ができるのか? ということを考えるようになり、自分でもさまざまなことを調べ、大学在学中には、国際協力の世界に身を投じたいという目標は明確になっていました。

ただ、大学院を卒業してしばらくは試行錯誤の期間があり、専門調査員制度(※注1)に応募して、在ジャマイカ日本国大使館に勤務するといった経験も積みました。この大使館勤務時代は、政治、経済、文化、広報とさまざまな業務を担当しましたが、個人として、現地の孤児院に通ってお手伝いをさせてもらう、といった活動も行っていました。これは、一つ目の修士号の論文テーマが「途上国における児童労働」というもので、元々子どもを巡る状況に関心があったこともあり、現地で困難な状況にある子どもたちのことを知り、自分にも何かできないか、という思いから始めたことでしたが、私にとって途上国の現場での活動が初めてだったこともあり、深く考えさせられる体験となったことは間違いありません。孤児院で子どもたちやスタッフの方たちと接していると、彼らの身近にあるさまざまな話を耳にしますが、日本であれば当然助かる命が、簡単に失われていってしまう──そうした世界が厳然と存在するのだということを、改めて目の当たりにしたのです。この時に感じた“命の尊さ”“何よりも先ず、命を守ることが大切なのだ”という思いが、後に保健医療分野への関心につながって行ったことは間違いないでしょう。

※注1……海外の日本大使館、総領事館といった在外公館に勤務し、任国・地域の政治・経済・文化等の調査・研究に従事しながら公館業務の補助を行うもの。

より多くの人々に、
確かな“選択肢”を
提供していくために

冒頭で触れたアフリカ部に続いて、2015年からはタンザニア事務所に赴任することになりましたが、私が保健医療分野に本格的に関わるようになったのはここからでした。ジャマイカ時代の経験もあって、人の命を守ることを自身のテーマにしていきたいと考えていた私は、公衆衛生や保健医療に関する知見を高めていくための自己研鑽に地道に取り組んでおり、タンザニアでは運良く、動き始めていた病院運営改善プロジェクトを担当することができたのです。このプロジェクトは、全国に28箇所ある地域中核病院の運営管理を、日本発祥の“5Sカイゼン活動(※注2)”のアプローチを用いて強化し、タンザニアにおける保健医療サービスの質的向上を目指すもの。しかし、実際に事業の現場に向きあってみると、「保健医療の前線でやっていくためには自分の能力はまだまだ足りない、もっと勉強しなければ」ということを身にしみて感じるようになったのです。そこから一念発起し、このタンザニア駐在時代に、当時はまだ数少なかったオンライン受講が可能な本邦大学院に入学。働きながらの就学は容易ではなく、時間はかかりましたが、公衆衛生修士(MPH)を取得することができました。

またタンザニアでは、スポーツを通じたジェンダー平等、女性のエンパワメントを目指す事業として、女子陸上競技大会「Ladies First」を企画し、2017年に第1回大会を開催しましたが、これは全くのゼロからスタートして実現に漕ぎ着けた案件であり、自分にとっては非常に大きな経験でした。この事業は、当時タンザニア事務所の広報大使に就任いただいていた、80年代〜90年代に活躍された世界的なマラソン選手、ジュマ・イカンガーさんに、スポーツを通じてタンザニアの社会課題を解決していくとしたら、どんなテーマがあるだろうかという問いを投げかけたところから生まれたもの。彼は長年、タンザニア陸上界、スポーツ界における女子選手の不当な扱いに問題意識を持っており、そこに、私のアイデアがヒットした形でした。この「Ladies First」は現在まで続いていますが、大会出場経験者の中から2024年パリ・オリンピック出場選手を輩出するといった確かな成果も生まれており、企画者として本当に誇らしく思います。またこれは、イカンガーさん始めさまざまな人との出会い、彼ら彼女らと信頼関係を築いていくことの大切さを、現場の中で実感した体験でもありました。

こうした経験を経て、2019年からは人間開発部保健第一グループに籍を置き、本格的に保健医療分野を担当するようになりましたが、JICAの保健医療事業にとって最も中核的なテーマはやはり「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(Universal Health Coverage=UHC)」の実現ということになるでしょう。UHCとは、“すべての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを、支払い可能な費用で受けられる”ことを意味し、JICAが手掛けるあらゆる保健医療事業は、このUHC達成を目指すものであると言っても過言ではありません。この大テーマに基づいて保健医療分野のグローバル・アジェンダ(課題別事業戦略)は策定されており、そこにはさらに、4つの主要なテーマ/クラスター、「保健医療サービス提供強化」「感染症対策・検査拠点強化」「母子手帳の活用を含む質の高い母子継続ケア強化」「医療保障制度の強化」も設定されています。私は現在、課長職としてチームを統括する立場にありますが、私のチームとして特に注力しているのは、先に挙げたクラスターの4つ目、「医療保障制度の強化」になります。

日本は1961年に国民皆保険制度を実現し、それを現在まで継続できているという世界でも希に見る国ということもあり、医療保障制度の構築・改善において日本の取組みを参考にしたいと考えている国は非常に多いのです。現在私のチームでは、ケニアやエジプト等において医療保障制度に関する協力を実施していますが、技術協力による制度構築支援や人材育成、そして資金協力による充実した保健医療サービス提供体制や医療施設の整備等、複数のスキームを組み合わせて多面的なアプローチを実践しています。私たちは、それぞれの国の特徴や状況を詳細に確認・分析しながら、各国にとって本当に必要な協力の中身を当該政府と共に検討・実施しています。

保健医療分野の仕事は、究極的に人の命を救うことにつながっていくということが、やはり最も本質的なところなのではないかと考えています。そしてそれは、「人間の安全保障」を実現していく基盤の一つでもあるでしょう。私たちの仕事は突き詰めれば、救える命が救えない、治せる病気が治せないといった、この社会に存在する理不尽、不公平を少しでも改善していくことで、より多くの人々が確かな選択肢を持ち、自らの意思で人生を切り拓くことができるような世界を作っていくこと。また、さまざまな経験を経た実感として思うのは、国際協力に携わる人間にとって大切なのは、まずは熱意、加えて常に中立であることではないでしょうか。徒な予断は持たず、中立な立場・視点で現場を見ること、現地の人と話すこと──そこから生まれるものこそが、途上国の人々に本当に求められる事業につながっていくのだと私は考えます。

JICAの仕事を通じて、さまざまな得がたい機会に恵まれ、多くのものを学んできましたが、私自身のキャリアとしてはやはり、“アフリカ×保健医療”をこれからも軸にしていきたいという思いを持っています。また、事業に取り組むうえでは常に、なにがしかの“新しい視点”を盛り込みたいということは考えています。例えば、これは公衆衛生修士を取得する際の修士論文のテーマでもあったのですが、“若年妊娠”という課題には、いつか本格的に取り組んでみたいと思っています。JICAでは従来あまり主流的な位置では扱われて来なかったテーマですが、現地の課題を踏まえてこうした新しい視点やアプローチを持ち込むことで、JICAに新たな価値をもたらす事業を実現していきたいというのが、現時点の私のテーマでしょうか。

※注2……日本の産業界で開発された職場環境改善及び品質管理の手法。“5S”は、「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」の各ステップの頭文字をとって名付けられた標語。

キャリアのハイライト

2013〜2015

アフリカ部において、南北スーダンの事業形成等に携わりました。特に、2011年に分離独立した南スーダンでは基本的なインフラが整っておらず、多くの支援を必要としており、個人的にはそれまで見てきたどの途上国よりも厳しい状況にありました。部族間の争いも絶えず、事業を進めるうえでも安全面で難しい局面もありました。そのような中、平和を切に望み、努力している人々と出会えたことで「人間の安全保障」は単なる概念ではなく、実現しなければならないものという認識を持つことに繋がりました。学生時代、講演会で出会った元少年兵が南スーダン出身だったことも、なにがしかの縁を感じました。

南スーダン出張時に、現地の子ども達と

2017〜2019

タンザニアにおいて「スポーツを通じたジェンダー平等・女性のエンパワメント」の活動として、脆弱な立場にある女性の地位向上のきっかけを作るべく、女子陸上競技会「Ladies First」を企画・開催しました。2019年の国連総会において安倍総理の一般討論演説においてこの取組みが紹介されたことも光栄に思っています。
また、2024年には、同競技会に出場経験のある2人の選手がパリ五輪に出場するという快挙を成し遂げました。初めての試みで課題も多くありましたが、結果的に多くのタンザニアの方々と一緒に作り上げることができ、自分にとって自信につながりました。

「Ladies First」2017年大会の模様
イカンガー夫妻と共に

2022〜2025

人間開発部において、ウクライナやパレスチナ等、戦争下にある国に対する保健分野の支援も行っています。負傷者が大勢いる中、病院等が破壊され、医療へのアクセスが困難な状況を知るにつけ、当初は何とかせねばと使命感に駆られつつも、一体何ができるのだろうという焦りで複雑な心境でした。そのような中、当該国の行政官とお会いすると、大変な状況にあるにも関わらず、自分のことはさておき、自国や国民を想う気持ち、必ず復興するという意志が強く、心が揺さぶられました。この現実に真剣に向き合い、命や平和の尊さを心に刻み、できることを着実に進めていくことが何かにつながると思えるようになりました。

ウクライナ保健省スタッフとの協議の模様
爆撃を受けたウクライナの救急車