Frontline

世界の課題の前線へ

Story 01 ジェンダー平等の実現

JICA全体にジェンダーの視点を
“主流化”していくことで、
日本の、世界の、意識変革・
行動変容を実現していくために。

パキスタン、ハイバル・パフトゥハー州で行われた
「定期予防接種システム強化プロジェクト」の模様。

日本においてジェンダー問題が話題に上るとき、
それは、女性の社会参画を始めとする経済、政治的なテーマであることが多いが、
世界の中には、“人間の安全保障”にダイレクトにつながる、
男女間の歪な権力構造に根差した暴力、虐待等も数多く存在している。
ジェンダー不平等の根幹にある社会・文化の構造、人々の意識、
その変革を実現するためには、どのようなアプローチが可能なのか?
JICAの中で動き始めている“ジェンダー主流化”の新たな取り組みの
一つのモデルを、ここで紹介してみたい。

  • 国武 匠 Takumi KUNITAKE

    ガバナンス・平和構築部

    ジェンダー平等・貧困削減推進室

    グローバル・スタディーズ研究科修了/

    2008年入構

  • 鼻戸理沙 Risa HANATO

    人間開発部 保健第二グループ

    教養学部卒/2019年入構

なんとしても、こうした状況を変えていきたい

 2022年11月、人間開発部保健第二グループに所属する鼻戸理沙は、パキスタン北東部、パンジャブ州の、あるクリニックを訪れていた。今回の出張の目的は、保健医療分野における中長期的な協力プログラム策定のためのリサーチである。アフガニスタンと国境を接するハイバル・パフトゥハー州、パンジャブ州、そしてイスラマバードを2週間の行程で精力的に周りながら、政府機関関係者、他の協力機関担当者等とミーティングを持ち、また、様々なレベルの医療施設を訪れて現場の声に耳を傾ける。そうした活動の中で立ち寄ったのが先のパンジャブ州のクリニックだったが、そこで、出産後間もない母親が、生まれた赤ちゃんが女児であることを知って深く落ち込んでいる場面に直面する。この母親は、今回が第二子の出産で、どちらもが女児だった。クリニックで鼻戸が助産師から聞いた話によると、パキスタンでは、家族から男児を産むように強いプレッシャーをかけられる女性が多く、産前検診の際の超音波診断で女児であることがわかると、不適切な薬の服用や転倒で中絶を試みる女性もいるとのことである。こうした安全でない中絶は深刻な合併症を引き起こし、最悪の場合死に至るケースもある。もともとジェンダー問題に強い関心を持ち、自己研鑽も重ねて来た鼻戸は、もちろんパキスタンがジェンダーに関して数多くの課題を抱える国であることはよく知っている。しかし、目の当たりにした現実が突きつけるジェンダー不平等な社会構造の根深さに「なんとしても、こうした状況を変えていかなければならない。そのためにこそ、私の仕事がある」……と、自身の中で噛みしめていた。

鼻戸 理沙

鼻戸 理沙

JICAの事業全体にジェンダー視点を“主流化”していく

 JICAは、“多様なアクターとの協働・共創を進めながら開発課題へのインパクトを最大化し、SDGs達成に貢献していく”ことを目指して、20の事業戦略、「JICAグローバル・アジェンダ」を策定しているが、そのNo.14が「ジェンダー平等と女性のエンパワメント」。このグローバル・アジェンダにおいては、特に取り組みを強化する課題を“クラスター”と呼んで強調しており、No.14におけるクラスターは「ジェンダースマートビジネス(GSB=Gender Smart Business)の振興」と「ジェンダーに基づく暴力(SGBV=Sexual and Gender Based Violence)の撤廃」である。このうちGSBは、「ジェンダー平等と多様性を重んじる組織文化を醸成し、良質・適正価格・利便性の高い“女性フレンドリー”な製品・サービスが市場から提供されることを促進すること」を意味し、主に経済・ビジネス分野から社会変革を目指す戦略であると考えてもらえばいいだろう。対してSGBVは、夫や親密なパートナーによる暴力、児童婚、人身取引、女性性器切除といった、“人間の安全保障”にダイレクトに関わる深刻な事象を対象としており、その多くが、該当国の文化・社会構造、宗教、因習等に影響される困難な課題である。ガバナンス・平和構築部ジェンダー平等・貧困削減推進室に籍を置く国武匠は「ジェンダーによる偏った権力構造が、最も深刻な形で現れるのがSGBVでしょう」と言う。それでは、ジェンダー平等・貧困削減推進室は今、どのようなテーマに取り組んでいるのだろう?国武の説明を聞いてみよう。

国武 匠

国武 匠

「私の室が担当しているのは、一つは勿論、SGBVの撤廃や女性のエンパワメントを目指す事業を推進していくこと。そしてもう一つが、JICA全体の中でジェンダーへの取り組みを“主流化”していくことです。“主流化”というのは、少しわかりにくいかもしれませんが、ジェンダー平等と女性のエンパワメントというのは分野横断的にさまざまなセクターに関連するテーマで、JICAの各部門がしっかりとジェンダーの視点を持ったうえで事業を進めていく必要があります。例を挙げれば、JICAが長年協力してきているインドのデリーメトロでは、日本で普及している女性専用車両が導入されていて、女性に安全な移動手段を提供していますが、これは、女性の教育や経済活動への参加を促進していると評価されています。また、私は以前、農村開発分野を担当していましたが、タンザニアにおける稲作の技術普及を行う際に、男女の農作業における役割分担や女性の家事労働負担を考慮したうえで事業を行うことで、より効果的に技術移転を実現できた、というような事例もありました。このように、農業なり保健医療なりインフラなり、それぞれの分野においてジェンダー視点に立った取り組みを“主流化”していくための資料の整備、勉強会の実施など、さまざまな活動の提案を行うことが、二つ目に挙げた『主流化』のための重要な業務になります。

 今回鼻戸さんは、JICA内の“10%共有ルール(※注)”を活用して、ジェンダー、特にSGBVに関する情報整備やJICA内外に対する啓発活動に携わってもらえることになったので、そこから私たちの室と鼻戸さんと一緒になってジェンダー主流化を進めてきています。また、JICAとして初めてSGBVに本格的に取り組む案件である『ジェンダーに基づく暴力被害者支援における被害者中心アプローチ促進アドバイザー(以下、SGBVアドバイザー)』事業が、鼻戸さんが担当しているパキスタンで立ち上がったところで、ここでもさまざまな共同作業ができるのではないかと考えています」

 話の中にもあった通り、国武は2008年の入構以来、主に農業・農村開発を軸にしたキャリアを歩んで来た。アフガニスタン駐在時は、農業・農村開発分野の総括として農業省の計画立案を支援し、国連食糧農業機関(FAO)への出向も経験するなど、この分野のエクスパートと言っても過言ではない知見を蓄えてきているが、「農村の貧困に本質的にアプローチするためにはジェンダー問題への理解が不可欠」との問題意識から、現部署への異動を希望したという。一方の鼻戸は、高校生の頃に高校生国際会議に参加し、そこで示されたネパールにおける女子教育の課題……早婚や家事労働による教育機会の遮断etc.……に衝撃を受けて以来ジェンダー問題に関心を持ち続け、ジェンダー平等な社会の実現に取り組むことを生涯の仕事にするために、JICAで働くことを選んだのだ。

 「入構1年目の海外OJTで、私はミャンマーに派遣されたのですが、この時もミャンマー事務所のジェンダー主流化に取り組みたいと考え、ミャンマーにおけるジェンダー課題や、そうした課題に対し必要な取り組みについてセミナーを企画・開催したこともありました。また、前部署、審査部環境社会配慮審査課兼監理課では、女性を含めた脆弱層の住民移転や生計回復支援にも携わりました。これらの過程を通じて、女性に直接裨益する母子保健分野、とりわけ、ジェンダー問題が深刻でありジェンダー主流化、女児や女性のエンパワメントが強く求められているパキスタンを担当してみたいと考えていましたが、2021年の5月に、希望が叶って現部署に異動することができたという形です」(鼻戸)

※注:10%共有ルール……職員が、自身が興味・関心を持つテーマに関して、担当業務にさく10%程度の労力を費やして、所属部門以外の部門の業務に携わることができるJICA内の人事制度。双方の上司の承認を得ることで認められ、目標も設定される。職員の主体性を尊重し、組織内外における自身の専門能力の共有・発信を通じた自律的なキャリア形成を促していくために設置されている制度である。

SGBV被害者に届く協力を実現するために

 これまでの話からもわかる通り、国武らジェンダー平等・貧困削減推進室と、“10%共有ルール”を活用してジェンダー主流化業務に志願した鼻戸が協働して手掛けた業務としては、先ず、SGBVに関して共有すべき情報の整理、JICA内外に対する啓発活動が挙げられるだろう。日本国内におけるSGBV被害者/サバイバー支援の実際、暴力防止教育の形等を、さまざまな当事者への取材に基づいてまとめた「ジェンダーに基づく暴力の撤廃〜日本の取り組み」、そして、世界におけるSGBVの実態と被害者/サバイバーが置かれている状況をわかりやすくまとめたアニメーションの2本の映像作品は、両者の協力から生まれた確かな成果である。この映像はYouTube上で一般にも公開されているので、読者の皆さんも是非観ていただければと思う。
(日本の取り組み:https://www.youtube.com/watch?v=HugXBEaC3MM
SGBVアニメーション:https://www.youtube.com/watch?v=ZUjfFfPS_dI 
この制作過程で国武と鼻戸は、外部コンサルタントやJICA内でジェンダー平等と女性のエンパワメントを担当する同僚と打合せを重ねながら、盛り込むべき情報を整理し、シナリオを詰めて、映像制作会社に対するディレクションも行った。また鼻戸は、自身が所属する人間開発部の保健グループ及び在外事務所の保健医療分野の担当者を対象に、「ジェンダーに基づく暴力の撤廃〜保健医療セクターにおける取り組み考える」というセミナーを企画し、自ら講師を担当。JICAの事業全体でジェンダー視点に立った取り組みを主流化していくというテーマに向けて、着実な一歩を踏み出している。

SGBVの実態と被害者/サバイバーが置かれている状況をまとめたアニメーションより。

SGBVの実態と被害者/サバイバーが置かれている状況をまとめたアニメーションより。

 そして、これからいよいよ動き出そうとしているのが、鼻戸の“本業”であるパキスタンの保健医療分野における、ジェンダー平等・貧困削減推進室との協業である。2022年11月の鼻戸のパキスタンへの出張は、そのためのシーズを探る役割も果たし、また、先に紹介した“JICA初のSGBV案件”、「SGBVアドバイザー」事業は、共創の起点となるものとも言えるだろう。

「パキスタンでは、文化・社会的規範や慣習を背景とした制約により、女性が自由に外出することもままならず、保健医療サービスにアクセスすることが難しいという現実があります。また、SGBVも深刻な社会課題となっており、夫や親密なパートナーによる暴力や、性暴力、名誉殺人や酸攻撃等の被害が後を絶ちません。
 母子保健分野において、『妊産婦・新生児死亡率』を削減するということは、SDGsゴール3のターゲットにも設定されているように、本質的で非常に重要なテーマですが、今回の出張で明らかになったのは、『妊産婦・新生児死亡率』を削減するという目標を達成するうえでも、ジェンダー問題にアプローチしていくことが極めて重要だということ。女性が早期段階から保健医療サービス適切にアクセスし、産前健診で妊産婦・新生児死亡の原因となり得る合併症などのリスクを特定することの他、自宅分娩ではなく、保健医療施設で助産専門技能師による出産介助がなされることの重要性について、男性を含めたコミュニティの理解が得られるかどうかが、パキスタンにおいて母子保健に取り組むうえでは非常に重要になってくるわけです。

ジェンダー啓発セッションで女性の健康について学ぶ男性。

ジェンダー啓発セッションで女性の健康について学ぶ男性。

 さらにSGBVに関連して、今回の出張の際に訪問したイスラマバードのクリニックでは、他の協力機関によるSGBV被害者/サバイバーに対するケアの強化事業が行われており、被害者/サバイバーが街の中心部まで出かけなくてもすむように、高度医療機関とこのクリニックをオンラインで結び、被害者/サバイバーが精神科医等によるカウンセリングを受けられるようにする、という試みが行われていました。非常に印象的だったのは、クリニックの女性医師が『心身共にダメージを受けている被害者/サバイバーの本質的なニーズに寄り添うことができる、これはとても重要な取り組みだと思います』と熱心に語っておられたこと。SGBVの被害者/サバイバーが心身共に回復していくプロセスをサポートしていくうえで、彼女のように、被害者/サバイバー本人の選択を最優先し、当事者の立場に立って課題解決を促していく"被害者中心アプローチ"を現場において積極的に推進していける専門人材を育てていくことは、JICAとしてもこれから強化していくべきアプローチではないかと考えています」(鼻戸)

「先にご紹介した『SGBVアドバイザー』事業、これは、パンジャブ州の社会福祉局に日本人のジェンダー問題に関する専門家が駐在して、社会福祉局のスタッフや現地でSGBV被害者/サバイバーを受入れるシェルターを運営している方々に対して、さまざまな研修、サポートを行うというものです。ただ、SGBV被害を最初に察知するのは、鼻戸さんが出張の際のリサーチから持ち帰ってくれたように、医療現場で働いている方だったり、『レディ・ヘルス・ワーカー』と呼ばれるコミュティでアウトリーチ活動を行い、母子保健サービスにかかわる啓発活動や、感染症の予防活動などに従事している方だったりします。現在、鼻戸さんの所属する保健第二グループでは『パンジャブ州母子保健強化プロジェクト』が開始しており、これは、我々が担当しているアドバイザーの活動エリアとも重なることから、医師、助産師、レディ・ヘルス・ワーカーといったSGBV被害者/サバイバーに最初に接する可能性が高い方たちにも、SGBVアドバイザーによる研修、サポートを提供していくことを検討しています。SGBVは様々な分野での取り組みが必要となる課題なので、今後は、事業、分野、管轄省庁の垣根を超えた取り組みを強化していかなければなりません。近々、当室からモニタリングのためにパキスタンに出張しますが、その結果も踏まえて、この『SGBVアドバイザー』も、もっと規模の大きいプロジェクトへと育てていって、鼻戸さんが担当されている母子保健事業ともリンクさせていけたらと考えています」(国武)

人形を使って予防接種の練習をする地域助産師。

人形を使って予防接種の練習をする地域助産師。

意識変革を実現し、社会を変える……その日のために

 SDGsゴール5は、「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児のエンパワメントを促進する」と謳っているが、これは他でもない、ジェンダー平等が達成された国は未だ存在しないことを意味している。JICAは、あらゆる事業における“ジェンダー主流化”を推進することによって世界におけるジェンダー平等のレベル少しずつ高め、この困難な課題に挑み続ける決意を表明していると言えるだろう。国武や鼻戸は言うまでもなく、その最前線を担う先鋒なのだ。最後に、JICAの仕事を通じてどのようなことを実現したいのか、これからのキャリアについて、二人の話を聞いてみよう。

「自分自身のキャリアとしてはやはり、農業・農村開発というか、農村部の貧困を解消し、発展を支援していくような事業を、将来的には手掛けていきたいと考えています。現在所属している部署のもう一つの担当領域は貧困削減で、主にマイクロファイナンスなどを通じた金融包摂に関わる課題を扱うのですが、ジェンダーや金融包摂に関する視点を持つことは、農村開発に取り組むうえでもとても重要です。やはり、コミュティが持つ文化・社会的背景や男女の役割分担、権力構造等をしっかりと踏まえて、事業が及ぼす影響、効果を考えていかなければならないと、ジェンダー平等・貧困削減推進室で仕事をするようになってから、さらに強く感じるようになりました」(国武)

「私は、これからもジェンダー平等、女児や女性のエンパワメントの推進を軸にしながら、国際協力の仕事に携わっていきたいと考えています。そのために、まずはジェンダー問題が特に深刻な地域に駐在して現場経験を積み、その上で『ジェンダーと開発』やSGBVに関する専門的なコースが提供されている大学院に留学し、アカデミックな知識も身に付けたいですね。ジェンダー平等な社会の実現を目指すうえでは、女児や女性のエンパワメントは勿論のこと、社会・コミュニティの意識変革・行動変容をもたらすことが重要になってきます。キャリアを重ねる中で更に自分を鍛え、そうした、社会を変えていくような事業を手掛けてみたいですね」(鼻戸)

 世界経済フォーラムが毎年発表している「男女格差(ジェンダーギャップ)指数ランキング」2022年版では、パキスタンは146ヵ国中145位。1位はアイスランド、最下位はアフガニスタンである。因みに日本は116位で、主要先進国(G7)の中では最下位だ。国武と鼻戸が目指すもの、本稿で語られたテーマは、私たち一人ひとりにとっても“自分ごと”であると言えるだろう。JICAが途上国のさまざまな事業の現場において直面するジェンダー平等実現に向けた課題と、その解決に向けたプロセス、そこに投入される職員の熱意は、日本の、世界の、意識変革・行動変容につながっていくだろう。

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