Frontline

世界の課題の前線へ

Story 02エジプトにおける教育改革

「日本式教育」の導入をテコに、
国の未来を築く、壮大な規模の
教育改革を実現する。

JICA/Tatsuya Mitsuishi

EJSで行われている掃除の様子。

日本の小学校等であたりまえに行われている
日直、学級会等の“特別活動”が、
エジプトの学校にも広く導入されていることを、
皆さんはご存知だろうか?
大統領の強いイニシアチブによってスタートした
「日本式教育」を一つの起点とするエジプトの教育改革。
その前線を担う、JICA職員の活動をレポートしてみよう。

  • 松崎瑞樹 Mizuki MATSUZAKI

    人間開発部 基礎教育グループ

    理学部卒/2002年入構(社会人採用)

  • 岩崎理恵 Rie IWASAKI

    人間開発部 基礎教育グループ

    法学部卒/2003年入構

「日本式教育」によって教育改革の実現を後押しする

 エジプト、カイロに2018年9月に開校した「エジプト日本学校(Egypt-Japan School:EJS)」の一つ、ハダエックオクトーバー校。ここでは、授業が終わると、児童たちは皆で協力して教室の清掃にとりかかる。机を拭いた後は、椅子を机の上に載せてゴミを拾い、床を掃く。さぼっている子どもたちには、“日直”当番がピシリと注意。そこここから聞こえるクスクス笑い、歓声……。日本の学校では見慣れた光景だが、エジプトにとってこれは果敢な社会実験であり、壮大な規模の教育改革の一環なのだ。現在は人間開発部基礎教育グループで課長を務め、カイロ駐在中にプロジェクトの立ち上げに奮闘した松崎瑞樹は言う、
「子どもたちが掃除をすること一つとっても、最初は保護者や先生方からの反発が大きかったですね。エジプトでは、清掃は清掃員の仕事という価値観が定着していて、日本のように、公共の場は一人ひとりが協力してきれいに保つという発想がそもそもない。そうしたところから出発して、“日本式教育”の理念、エッセンスといったものをどのようにしたら理解してもらえるか……このあたりがやはり、当初は大きなテーマだったでしょうか」

松崎 瑞樹

松崎 瑞樹

大統領の強いイニシアチブをスタートラインに

 それは、2015年の安倍首相(当時)のエジプト訪問に端を発する。両国トップによる会談の席上、エルシーシ エジプト大統領は、日本の教育を称賛。翌2016年の訪日の際には、大統領自身のたっての希望で、東京・目黒区の小学校視察が日程に組み込まれた。訪れた学校で、教員の指示を受けず、皆で協力して給食の配膳等を行っている児童たちの姿を目の当たりにした大統領は、「なぜ子どもたちだけでこんなことができるのか」と深い感銘を受けていたという。

 当時のアラブ、中東社会は、2011年初頭から広がった民主化運動“アラブの春”の余波が続いており、未だ騒然とした空気に覆われていた。エジプト自身も、“アラブの春”をきっかけとして30年以上続いたムバラク政権が倒れるという、大きな政変を経験している。テロリズムや過激主義を乗り越えて平和と安定を確立する……エルシーシ大統領は、その根幹が国民の教育にあると考えたのだろう。ここから、“日本式教育”をエジプトに導入するという壮大なプロジェクトが動き始めることになる。

 この大統領訪日の際に、両国トップの強力なイニシアチブによって表明されたのが「エジプト・日本教育パートナーシップ(Egypt-Japan Education Partnership=EJEP)」である。これは、就学前教育から基礎教育、技術教育、高等教育に至るエジプトの教育システム全体に対して、技術協力・資金協力を通じて、日本の教育の特長を生かした包括的な支援を行うという未曾有の規模の教育協力であり、教育分野における二国間パートナーシップということ自体が前代未聞。そして、このEJEPの中でも新しい取り組みとして始まったのが、基礎教育(幼稚園〜小学校)において、学力偏重から離脱し、主体性、協調性、社会性、規律等の醸成を目指す日本の「全人的教育」の導入と、日本式教育をエジプト社会に定着させていくうえでのモデルとなる、「エジプト日本学校」を設立するというものだ。また、この「全人的教育」を推進していく目玉プログラムとして期待されたのが、現地では“Tokkatsu”と呼ばれる、学級会、清掃、日直といった、日本の小学校等では馴染み深い“特別活動=特活”だったのである。プロジェクト草創期の状況を、先の松崎に振り返ってもらおう。

「2008年あたりから工学系の高等教育への協力は既に始まっていて、『エジプト日本科学技術大学(E-JUST)』も設立されていましたから、もともと、大統領含めてエジプト政府関係者から日本の教育に対する評価は非常に高かったと思います。エジプトは人口が爆発的に増えている状況で、教育環境的にみても、狭い教室に70人〜80人に及ぶ子どもたちが詰め込まれ、知識偏重の一方的な教育が行われているような状況がありましたから、ここにエジプト政府としても問題意識を持っていたことは間違いないでしょう。また日本では、都市部から地方に至るまで、平均して一定水準以上の教育を届けることができていますが、これは開発途上国ではあまり考えられないことです。多くの国々では、都市部の一部富裕層だけが、レベルの高い教育を享受できているという状況がある。ですから、そうした日本式教育の仕組み面も含めてエジプトにどう導入できるか、とりわけ学力に加え豊かな人間性を育む『全人的教育』に強い関心があったわけです。当初は道徳教育をやってもらえないか、という話もあったのですが、さすがにエジプトはイスラム教の国ですし、道徳となると価値観や国民性の問題もあってなかなか難しいだろうと。専門家の方々含めさまざまな議論を重ねる中で、児童の実践に主眼を置く“特活/Tokkatsu”を軸にしていこうという形が見えてきました」

学級会の様子。

学級会の様子。

“特活”から“Tokkatsu”へ

岩崎 理恵

岩崎 理恵

 “Tokkatsu”をエジプトに導入する過程では、国立教育政策研究所で特別活動の調査・研究活動に携わっていた日本人有識者等にも協力を仰ぎ、2015年から先ず二つの公立小学校で学級会活動などのパイロット事業を開始。それを徐々に拡大する形で、エジプトにおける“Tokkatsu”実践の方法論をブラッシュアップし、実績を積み重ねていった。当初は、冒頭の松崎の発言の通り、「うちの子どもに清掃をさせるなんて」といった保護者からのクレームも寄せられたようだが、自ら進んで掃除をし、親のゴミのポイ捨てを注意する子どもも出てくるなど、現実の変化がプロジェクトの進捗を後押ししていくことになる。松崎と同じく人間開発部基礎教育グループに所属し、2019年以来本プロジェクトに参加した岩崎理恵は言う、

「EJEPは日本式教育の導入を支援するプロジェクトですから、教育省行政官や現場を担う教員といったエジプト側カウンターパートの方たちに、先ず日本の教育の特長を理解していただくことがとても重要になります。そのうえで、教育はやはり、その国の歴史、文化、社会的背景のうえに築かれるものですから、日本のものをそのままエジプトにコピーするのではなく、日本式教育の本質、理念を踏まえたうえで、エジプトの文化・社会に適した内容に変えていく必要がある。そうした意味では、エジプトの文脈で、アラビア語で“Tokkatsu”を語ることができる人材を一人でも多く育成していくことは、プロジェクトのスタート当初から現在まで、大きなテーマであると思います」

王冠風の帽子をかぶった日直当番。プリントの配布や照明のオン・オフなどの仕事を担当する。

 こうして、二国間パートナーシップの締結後ほどなくしてパイロット事業はスタートしたが、エジプトにとってこのプロジェクトは大統領肝いりのフラグシップ案件。松崎らカイロで企画立案・調整に当たるJICAスタッフのカウンターパートとなるのも、大統領補佐官を筆頭に極めてハイレベルな顔ぶれがズラリと並ぶ。先方からは困難な要望が次々に突きつけられ、早く目に見える形の成果を出したいというプレッシャーも日に日に強まっていく。また2018年中には、モデル校となる「エジプト日本学校」35校を一気に開校させるという大事業も進んでいた。現場担当者の苦労、心労たるやどれほどのものか、察するに余りある。

「大統領からは最初、100校一気に新設したいというご要望があったのですが、さすがにそれは厳しいと。大統領補佐官をはじめ元高等教育大臣や政府の高官ともさまざまな交渉を行いましたが、日本の協力内容を検討する際に、例えば日本側の想定をはるかに超える要望(留学生の受入人数など)がエジプト側から提示された際の、彼らの厳しい視線は今でも忘れられません。このときは、先方の要望や意図などを十分考慮しながら、日本側のさまざまな関係者と調整を重ねて、最終的にエジプト側にも納得してもらえる形で交渉を成立させた。しかしこうした局面というのは、困難な課題と対峙しながら粘り強く交渉を重ね、国家の未来につながる合意案をまとめ上げていくという、JICA職員にとって最も仕事の醍醐味を感じられるものであることも間違いありません。苦労が多い分、それに比例して喜びも非常に大きいです」(松崎)

 こうして2018年9月、「エジプト日本学校」35校がエジプト主要都市に開校。以降毎年3〜4校ずつ順調に新設され、現在では51校にまで至っている。ここからプロジェクトは、また次の段階を目指して、新たな展開を見せていくことになる。

EJS中最大規模を持つ、カイロ、ハダエックオクトーバー校。幼稚園から高校3年生までが学べる教室数がある。

EJS中最大規模を持つ、カイロ、ハダエックオクトーバー校。幼稚園から高校3年生までが学べる教室数がある。

エジプト全土に、日本式教育を浸透させていく

 「エジプト日本学校」の開校を一つのハイライトとして、EJEPは2021年9月の段階でプロジェクトのフェーズ1を完了。エジプト全土に、「日本式教育」をテコとした教育改革を浸透させていくことを目指すフェーズ2がスタートすることになる。先に紹介した岩崎は、このあたりからEJEPに本格的に参加することになったが、フェーズ1で実現したもの、そして、フェーズ2で取り組もうとしている課題について、ここで整理してもらおう。

「フェーズ1の大きな成果は、やはり何と言っても、人材が育ってきたということだと思います。いつまでも日本人専門家がいなければ物事が動かないというのでは、事業の継続性も担保できませんし、全国の学校にTokkatsuを普及、定着させていくことは不可能でしょう。フェーズ1ではこの人を育てるということに非常に注力し、さまざまな機会を用意して、エジプトの先生方等に日本の学校現場を視察してもらうといったことも行ってきました。その甲斐あって、今ではエジプトの文脈で、自分たちの言葉で“Tokkatsu”を語ることができる人材がかなり増えてきています。私たちは“Tokkatsuオフィサー”と呼んでいますが、この“Tokkatsuオフィサー”が既に80人くらいになっていて、今後はこの方たちが中心になって、エジプトの教育現場全体に日本式教育を普及させていくことになります。

 もう一つ、フェーズ1の確かな成果としては、日本の特別活動をエジプトで実践していくうえでの、モデルを作ることができたということ。先にもお話ししたように、日本でやっていることを単にコピーすればいいということではありませんから、エジプトの文化・社会的な背景を踏まえて、学校現場でどういった活動を行うことが子どもたちの人格形成に役立つのか、それを、専門家の方々と一緒にパイロット事業の段階からさまざまな試行錯誤を重ねながら、一つのパッケージ、モデルとして体系化できた。これも、今後の事業にとっては大きな資産となるものであることは間違いありません。

フェーズ2に向けての課題、テーマ、これはもちろん、1万8千校に及ぶエジプト全土の学校に“Tokkatsu”を普及、浸透させていくことですね。これも大統領の強いイニシアチブで、週に1回全ての学校で“Tokkatsu”を実施することが時間割にも盛り込まれています。先の“Tokkatsuオフィサー”やモデル校である『エジプト日本学校』も活用しながら、これをどう実現していけるか……それが次の大きなテーマになりますね」

砂場で遊ぶ幼稚園児達。

砂場で遊ぶ幼稚園児達。

 岩崎によれば、エジプト側カウンターパートの事業に対するオーナーシップは非常に強く、その行動力に驚かされることも多いという。ある時などは、エジプト側が独自に日本の校長・教頭経験者等と「エジプト日本学校」で勤務するアドバイザー、スーパーバイザーとしての契約を交わし、現地に迎え入れる、といったこともあった。

「私がこの話を聞いたのは既に人選が終わった段階で、エジプト側の行動力とスピードには驚きました。エジプトで日本式教育を広めていくために、日本の学校で指導経験を重ねてきた日本人に来てもらいたいという強い思いがあったのだと思います。こういったときに、彼らは何でもJICAに頼ろうという考えは全くなくて、非常にオーナーシップが強い。そのあたりも、素晴らしいところだと思います」(岩崎)

国の未来を創る……その土台となるもの

 本稿では、“Tokkatsu”の導入、普及を軸として、エジプトの教育改革をたどってきたが、EJEPが対象としているのはもちろんそれだけではない。パートナーシップ締結時に発表されたドキュメントには、日本に派遣されるエジプト人留学生・研修生数の拡大、教員・指導者の能力向上、保育園・幼稚園における“遊びを通じた学び”の推進、エジプト政府による教育分野の政策目標の策定といった、極めて広範なテーマが掲げられており、EJEPに託された大統領、エジプト政府の強い期待が伝わってくる。それは即ち、未来を担う世代を育むこと=教育が、国の将来を築くことにダイレクトに結びついているからにほかならないだろう。EJEPはこれからも続いていくが、岩崎、松崎の二人が教育事業に携わる中で目指すものについて、最後に話を聞いてみよう。

「自分が努力すれば夢が叶う世界を実現したい……それが、私がJICAを志望した動機でもありました。その最も重要なところを担っているのが、教育だろうと私は考えています。学校に行けない子どもたちがいて、また学校に行ったとしても、そこで学べるものが少ないということになってしまうと、諦めざるを得ない夢も増えてくるでしょう。子どもたちの生きていく力、夢の実現に資する力を提供していくうえで、学校・教育の果たす役割はとても大きい。そうした教育を実現していくために、日本・JICAとして協力できるものがあるならば、私はそこに携わっていきたい……そう考えています」(岩崎)

「EJEPを担当しながらつくづく感じるのは、エジプト側からも学ぶことは非常に多くて、現実の事業の中ではいつも、異なる考え方の中で“折り合い”を付けながら、いかに最適解にたどり着けるかということが重要になってくる。社会、世界というのも同様で、現代の複雑な課題に対処していくためには、お互いの違い、多様性を尊重しながらも、共通の価値観に基づいた思考、判断ができるということが大切だと思います。共通の価値観というと少し抽象的ですが、それは、隣人をリスペクトすることだったり、自国の利益だけが全てではない、といった考え方、視点を持てるということ。そうした共通の価値観の土台となる思考力、分析力、協調性、対話能力といったものを育てていくうえで、教育の果たす役割はとても大きい。私は、そうした力を育んでいくものとしての教育の実践に、これからも取り組んでいきたいと考えています」(松崎)

 国づくりは人づくりとよく言われるが、EJEPのみならず、JICAが取り組む教育事業とは、“人と国の未来を創る”、そのための営みであると言えるだろう。

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