【ボランティア通信】タンザニアでの協力隊生活、日本での協力隊生活

2021年7月29日

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四方田隆聖
派遣:2019年度
職種:体育
配属先:ブティンバ中等学校
任地:ムワンザ州ニャマガナ県
出身:千葉県

タンザニアでの生活

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スワヒリ語の語学学校の課外授業の一環で訪問した学校でのアイスブレイクの様子

タンザニアにいた期間は73日で、この期間の約半分は現地で研修に参加し、主にスワヒリ語の勉強のため語学学校に通っていました。初めて学ぶスワヒリ語は非常にハードルが高かったです。タンザニアでは、英語が公用語ですが、日常生活のほとんどが国語であるスワヒリ語でした。中等学校では授業を英語で実施するものの理解できない生徒が多く、先生もスワヒリ語で授業を行っていたので、かなり苦労をしました。しかしながら、自分のつたないスワヒリ語を聞き取ろうとしてくれるタンザニア人が多く、街中で買い物や食事をしているとスワヒリ語を教えてくれ、人々の暖かさを感じました。

現地研修中に、強く印象に残っている出来事があります。滞在していたホテルの近くにスポーツができる広場があると聞き、行ってみると、サッカーやバスケットボールをしたり、走り回って遊んだりしている子供たちがたくさんいました。私も同期隊員と3人でバスケットボールを始めると、小学生くらいの子供たちが何人か集まってきました。彼らにボールを渡すと楽しそうにバスケを始め、ゴールは全然決まらないけどボール一つで心の底から楽しんでいました。しばらくすると、中学生くらいの子供たちも混ざってきてゲームをすることになりました。英語を話すことができない彼ら、一方でスワヒリ語を勉強中の私たち、会話はうまく成り立たないけれど、名前をお互い聞いたり自然とハイタッチをしたりするようになり、ゴールが決まればみんなで喜びます。スポーツの上手い下手、身体の大きい小さいは関係なく、言葉が通じなくても誰でもスポーツは楽しめるものだと強く感じました。

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配属先学校でのクラブ活動

2020年2月末から帰国になるまでの約1か月は、任地で活動しました。タンザニアの学校は1月はじまりで、4月、9月、12月にターム休みがある為、私は4月の休み明けから授業をする予定でした。体育授業やスポーツイベント(運動会等)の実施に向け、カウンターパートや校長先生とどのように2年間活動をしていくか話をしていましたが、残念ながらコロナ禍で退避となってしまいました。活動開始直後は、学校や生徒の様子、先生方の授業を多く見学しました。生徒はかなり積極的で、空いた時間に日本語や日本について教えてほしいと頼まれることも多く、授業がない時は日本語を教えていました。また朝や放課後はクラブ活動の指導(野球、サッカー)も行っていました。

その後、タンザニア国内でも新型コロナウイルスの感染者が確認された影響で学校は休校となりました。タンザニア最後の1週間は学校での活動はなく、自宅待機となり、生徒や先生方にもきちんとした挨拶もできずに帰国となってしまったため、もっと写真や動画を撮ったり、授業も初めから積極的にやったりしておけばと少し悔いが残っています。

帰国後の活動

帰国後は、コロナ禍で外国人実習生の受け入れが困難となった長野県の農家で出荷作業等の手伝いを一か月半しました。短い期間でしたが、農業は初体験で、畑の準備から出荷まで一連の農作業を経験でき、勉強になりました。

2020年6月からは、協力隊OBが野球を通じた地域活性化を目的に設立した「北海道ベースボールリーグ」という野球リーグの運営スタッフ兼選手として、試合運営や受付等、スポーツマネジメント活動をする傍ら、途中から選手としてもプレーをすることになりました。他にはないリーグで、過疎化が進む地域で野球がしたい若い人を集め、人手不足になっている地元企業や農家さんのお手伝いをしていくという、野球だけではなく地域貢献活動も行います。日本版協力隊のような形で、地域の課題等を考えながら、どのように活性化につながる活動をしていくか、地域の方に応援してもらうにはどうしたらいいか、野球の技術だけではなく発想力や行動力も不可欠です。試合のない日は北海道内の高校生や地域住民に向けた協力隊活動に関する講演等も行いました。

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北海道内の小学校での講演活動の様子

2020年はこのような活動をしながらタンザニア再赴任を待っていたものの、渡航の目途が立たず2021年3月末で一旦協力隊としての活動を終えました。その後の進路選択で悩みましたが、国内で様々な活動に取り組み、既に再赴任をして各国で活動をしている同期や先輩隊員に刺激を受け、自分のやりたいことにチャレンジする気持ちで、引き続き現在も北海道で野球リーグに関わりながら、小学生の放課後支援や農家さんの支援も行っています。5月1日から野球のシーズンが開幕しました。緊急事態宣言等コロナ対策で一部試合が中止になるなどと影響を受けることもありますが、日々活動を続けています。

日本での活動期間の方が長かったため、本当にタンザニアにいたのか、タンザニアにいた記憶がだんだんと薄れていて、不思議な時間を過ごしていますが、いつかまたタンザニアに戻れることを願っています。