2001年10月伊達公子さんがベトナムを訪問。
キッズテニスのイベントを開催するとともに、JICA プロジェクトを見学しました。
今回ベトナムを訪れたのは、JICAの「日本センター」が主催する交流事業の一環として、ハノイとホーチミンの2カ所でキッズテニスのイベント(以下「キッズテニス」)を開催するためです。
テニスは、たとえ自分が世界ナンバー1であっても、技術面では日々学ぶことがあります。そしてテニスを通じて自分を見つめ直し、精神的に成長していくことができるのです。私が今あるのもテニスのおかげだから、このテニスを軸にして、スポーツの楽しさを伝えたいと思って始めたプログラムが日本全国で展開している「カモン!キッズテニス」なのです。海外で開催するのは、ニューヨーク、パリ、中国に続き4回目でした。
開催にあたって、ベトナムで活動している青年海外協力隊(JOCV)の皆さんに協力していただきました。皆さんがいきいきとした表情だったのは、自分で何をしたいのかを考え、実際に行動に移し、そしてそれが充実しているからだろうなと思いました。
ベトナムでは、とにかく子どもたちの反応がとても新鮮でした。並びましょうと声をかけると、日本ならきれいに1列に並んでくれますが、ベトナムの子どもたちはおしあいへしあい。眼をきらきらさせながら、前にいる子を抜かしてでも「自分が打ちたい、やってみたい」って全身で表現してくれる。
日本で開催すると、親や社会からのプレッシャーもあるのか、みなとても行儀がよいのです。そのかわり、楽しんでいるのかどうか、今一歩伝わってこない。ハノイは言葉も通じないし、勝手も違ってたいへんだったけど、そんな感情を身体で表現する子どもたちが印象的でした。
JOCVのテニス隊員の活動を見学した際も、一緒にプレイしました。ここで指導を受けている子は上手で今の私が相手をするには、ちょっときついと感じるほど。ベトナムの場合は、国家体制の違いもあって、ナショナルチームに入るとさまざまなサポートを受けられるようです。
約10年前に私が海外遠征を始めたころ、各地の大会に参加するアジアの選手は日本人のみという状況でした。それが今ではインドネシア、韓国、中国、インドとどんどん増えています。いい意味でライバル意識が生まれ、さらなるレベルアップにつながるといいなと思っています。
キッズテニスの他、JICAのプロジェクトが行われているバックマイ病院へも行きました。そこで「ベトナムでもファーストフードが広まったり、食生活の変化によって、糖尿病患者が増えている」と聞いて意外でしたね。糖尿病といえば、現代病のひとつです。ベトナムも変わってきているんだな、と思いました。
日本の支援を受けて改築された病棟は、自然光を取り入れる設計になっていて、思った以上にすばらしいものでした。ただし節電を考え、エアコンも最低限必要なところでだけ使用されていました。このあたりは、ベトナムの現状を感じさせられるところかもしれませんね。
小児病棟や集中治療室、成分分析室などを見学し、副病院長夫妻からお話をうかがいました。院内には、多くの看護師や先生がいらっしゃいました。男性よりも女性が目立っていたような気がします。病院には、さまざまな設備が贈られただけでなく、JICAから派遣された専門家によるトレーニングや研修が行われていました。物を贈っても、きちんとそれが活用されなくては宝の持ち腐れです。ハードを充実させるだけでなく、ソフト面でも協力が行われていることはよかったと思います。
実は、大好きなベトナム料理も楽しみの1つでした。自由な時間があまりなくて堪能とまではいきませんでしたが、今後は「日本」にこだわらずに世界各地で「キッズテニス」ができればいいと思っています。
彼女がベトナムに残した意外な「おみやげ」って・・・。伊達さんの印象をベトナムの関係者が語ります。
「テレビで見る伊達さんは世界の強豪と対戦する逞しい選手でしたが、お会いすると実物は華奢な美人。知れば知るほど好奇心旺盛で気さく、しかもお茶目な人でした」と金丸守正ベトナム事務所長(当時)。
その人柄を表すエピソードをいくつか。バイクの混雑で有名なハノイ・オペラ座前ロータリーを「自分の足で渡りたい」と、心配するスタッフをよそにサッと車を降りて嬉しそうに横切ったり、通りで天秤棒をかついだ女性に声をかけ、自分で持ち上げようとして腰を傷めそうになったり。レストランではウェイターが土鍋で炊いたご飯(コム・ダップ)を投げ、他のウェイターが客の皿で受け止めるデモンストレーションに飛び入りで挑戦し、客を沸かせたことも。そして、キッズテニスに参加した子どもたちから感謝の歌を贈られて「感激!」。不慣れなはずの途上国の町や生活、人に、すんなりと心を開いて、伊達さんは周りをすっかり魅了した。
今回のキッズテニスに向け、ベトナムでは2か月前から専門家の松本彰さんを中心にテニス隊員や協力隊調整員が奔走。スポーツ国際局への説明と協力から、会場の手配、参加者の確保、Tシャツ・横断幕の制作等々を手がけた。しかし、直前になって体育館のキャンセルや用意したコートの大きさがキッズテニスに合わないことが判明!
「キッズテニスでは、ベトナムで初めて行うこともあり、ハプニングの連続、試行錯誤であったにもかかわらず、気持ちよく対応してくださった。逆にベトナム製のボール籠に目をとめてくださったり、こちらが励まされました」と松本さん。
伊達さんがベトナムに残したものは多い。
キッズテニスの開催は、偶然にも同じキッズテニス(ヴィエトナムでは「ミニテニス」という)の普及を同国テニス協会が始めたいと考えていた時期と重なり、思いがけないキャンペーンイベントとなった。使用したラケットやボール類も同協会に寄贈したため、キッズテニス普及の強い後押しとなった。
また今回のキッズテニスをきっかけにハノイ市で日越両国の小学生のスポーツ交流も始まったという。
聞けば、come on(カモン)とはベトナム語で「ありがとう」のこと。「ありがとうキッズテニス!」──。