【3月24日は世界結核デー】アフガニスタンで結核対策に取り組む15年

2020年3月24日

「アフガニスタンの人々から『今、自分たちで結核対策に取り組めるようになったのはJICAのおかげ』と言ってもらえることに、日本の結核対策プロジェクトの意義や成果が集約されていると思います」

そう語るのはアフガニスタンでの結核対策プロジェクトに携わる磯野光夫JICA国際協力専門員です。JICAは、アフガニスタンの結核対策にこれまで約15年間にわたり取り組んできました。現在では、アフガニスタンの結核患者の発見率や治療効果も世界保健機関(WHO)が示す一定基準に達しています。

3月24日は「世界結核デー」。ドイツの細菌学者コッホが結核菌発見の演説を行った日にちなみ、WHOが1997年に制定し、世界各地で結核の啓発活動が実施されます。結核はHIV/エイズやマラリアと並ぶ三大感染症の一つで、開発途上国においては未だ対策を怠れない重大な感染症なのです。

2004年に人材育成と組織の再構築からスタート

アフガニスタンは1979年の旧ソ連の軍事侵攻とその後の内戦によって、医療機関などの社会インフラがことごとく崩壊。WHOによれば、2003~06年ごろのアフガニスタンの結核患者数は6万~7万人以上,死亡者数は2万人以上とされていました。

磯野専門員は、アフガニスタンでのプロジェクト開始について、「まず取りかかったのが結核対策の組織づくりと人づくりです。自らの手で結核患者を発見し、治療できるようにする。基礎的な結核検査方法から標準的な治療法、さらに薬品管理から患者発見時の報告の仕方に至るまで、土台づくりとなる指導や提案を行いました」と振り返ります。2004年の結核対策プロジェクト開始時、同国の結核対策は「ほぼゼロの状態」だったそうです。

公衆衛生省の国家結核対策プログラム(NTP)のスタッフとともに、さまざまな施策をアフガニスタン全土に浸透させ、より質の高い結核対策を進めていくうえで、課題となり続けたのは治安の問題でした。渡航制限や治安事情により「日本人専門家による現地視察ができない、研修内容を現場で監修できない」状況のなか、地道な支援は進み続けます。

「2014年以降、プロジェクト後半はほとんど遠隔支援となり、歯がゆい思いもしましたが、できることをやるしかない。このとき、アフガニスタンの現地スタッフとNTPスタッフが身を粉にして働いてくれました。自国のことは自分たちでやらなければという熱意や志の高さには、頭の下がる思いです」と磯野専門員は現場スタッフへの労いを語ります。

資金の調達に向けた支援も 

もう一つの大きなハードルは資金繰りでした。アフガニスタン政府も結核対策の重要性を認識し、国家予算を割り当てましたが、決して十分とはいえず、各国からの資金援助に頼らなければなりません。

そのような状況のなか、JICAはアフガニスタン政府による「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」の申請手続きを支援しました。この基金は開発途上国での三大感染症の予防や治療の資金援助を目的として、2000年の沖縄サミットを契機に設立されたグローバルファンドです。

申請計画立案や書類作成などについてサポートしたほか、資金の実際の運営管理を担う「受託資金管理組織」としての支援も実施。このような国際的なファンドの資金管理をJICAのような二国間援助機関が行うのは異例なことです。磯野専門員は、「JICAとアフガニスタンの間で培ってきた信頼関係があったからこそ」と語ります。

WHOの基準をクリアするレベルに到達    

JICAのアフガニスタンでの結核対策プロジェクトは昨年、開始から約15年で一区切りを迎えました。今では、患者の発見率や治療効果についてWHOが示す一定基準をクリアできるレベルに到達するなど、多くの成果がみられます。これらは、多くの日本人専門家の高い技術に裏打ちされた継続的な協力支援と、アフガニスタンの人々の自立を尊重する取り組み姿勢が実を結んだ結果です。

東部ナンガルハル県ジャララバード市郊外の難民キャンプの仮設診療所。現在は全国の主要な難民キャンプで結核対策が実施されています

「子どもや女性に対する検診体制の拡充や、薬剤耐性結核へのより手厚い治療をさらに充実させることが今後の急務です。遺伝子レベルの診断やICTを活用した最先端技術の導入などもこれから。課題はまだままありますが、JICA支援の15年間に、若くて優秀な人材が着実に育っています。彼らの成長による自律的な結核対策の前進を信じています」

磯野専門員はアフガニスタンの未来にエールを贈ります。