貪欲に学ぶ現地の大学生を知り
学び合う国際協力の必要性を痛感

研究で訪れたインドネシアで多くの人に出会い、お互いが学び合う国際協力の大切さを実感しました。またその帰国直後、アジア各国に未曾有の被害をもたらしたインド洋大津波が発生し自分が滞在していたインドネシアも甚大な被害に見舞われたことを目の当たりにし、自分の専門性を活かした防災を通じた国際協力を志すようになりました。

スリランカでのOJTで学んだ
国際協力の最前線

海外研修(海外OJT)で訪れたスリランカでは、JICA事務所だけでなく、さまざまな国際協力機関にも派遣され、視野を広げることができました。

念願の防災協力のための部署へ異動
多忙だけれど最高に充実した日々

防災の先進国である日本には、すでに多くの知見が集積されています。防災は日本の国際協力の重要なメニューとして注目されており、防災の考え方を途上国に根付かせていきたいと思っています。

防災は国際協力の大きなテーマ
日本だからできることがたくさんある

阪神淡路大震災20年記念イベントや第3回防災世界会議の開催を通して、防災は日本が世界をリードすべき大きなテーマであることを改めて感じました。

今後、目指すもの。

現在、2回目の防災第一課に勤務しています。これまでの経験を踏まえて、改めて日本が実施する防災協力の重要性を感じるとともに、世界的な防災の重要性の高まりを実感しています。防災分野は、日本では当たり前のように取り組まれていますが、途上国では、取り組みはもとより、防災に対する意識が十分ではありません。2015年に第3回国連防災世界会議で採択された「仙台防災枠組」は最も重要な国際的防災指針であり、また東日本大震災という歴史的な災害の被災地で制定されたという意味で日本にとっても重要な枠組みです。さらに私自身にとっても、学生まで過ごし、また防災協力を志し始めた地である仙台の地名が防災の国際的指針に記されているという意味で非常に感慨深いものがあります。この指針を柱に、今後一層、日本が防災先進国として途上国を中心に防災能力の強化を進めていくと共に、災害による被害を少しでも減らすことができるよう、JICAの一員として貢献したいと思っています。

JICAとの出会い

2004年

初めての海外旅行として研究テーマの対象国であるインドネシアを訪問したとき、現地の大学生が貪欲にどんなことも学習し成長しようとする姿勢に驚き、同時に自分を含めた日本の将来に危機感を感じました。このことをきっかけに、これからの日本は開発途上国と学び合う国際協力が必要と考え、JICAのことを意識するようになりました。

2007年

海外派遣前や派遣中の
ボランティアサポート

青年海外協力隊などのボランティア事業のうち、派遣前、派遣中のボランティア活動をJICA本部からサポートしました。主に派遣計画の策定、ボランティアの活動内容、候補者の選定などを担当。国際協力に携わる人々の熱い想いや、様々な国際協力の携わり方を学びました。

東日本大震災が
発生

2011年

防災第一課にて勤務していた時に、東日本大震災が発生。途上国における防災協力を進める上で、改めて日本の防災のあり方が注目され、防災協力の重要性とともに今後の防災協力のあり方を考え直すきっかけとなりました。

インドネシア国
「気候変動対策能力強化プロジェクト」業務調整員

2011年

JICAの海外事務所の所員ではなく、JICAが実施するプロジェクトの業務調整員としてプロジェクト現場に配属されました。インドネシア政府関係者等との日々の協議に加え、日本人専門家の調整役及びプロジェクトにおけるインドネシア人スタッフの取りまとめなども担当、国際協力の現場活動を肌で感じました。

多面的な視点を持つ国際協力に感銘を受け
私もその担い手になることを決意

高校時代のベトナム訪問や大学時代のイスラエルとパレスチナ訪問でJICAの事業に触れ、
国際協力を志すようになりました。

信頼関係を築きながらニーズをくみ取る。
国際協力の基本姿勢を学んだ

スリランカ事務所で専門家と農家を一軒一軒訪ね、必要な支援は何かを聞き取っていきました。信頼関係を築きながらニーズをくみ取っていくJICAの仕事の基本を学びました。

母子健康手帳を持つ妊婦に出会い
命に寄り添う支援に関心を持った

セネガルを訪ねた際、病院でJICAが支援した母子健康手帳を大切そうに持つ妊婦に出会ったことが、保健医療分野に関心を持つきっかけになりました。

今後、目指すもの。

JICAへの入構時は教育分野に特に関心がありましたが、前部署で保健医療分野に携わったことがきっかけとなり、この分野への関心が非常に強くなりました。一方、文系大学出身であることから、日々の業務のなかで保健医療分野の専門性が不十分であると感じることもあります。今後は国内長期研修等の社内制度を活用し、より保健医療分野における専門性を育んでいきたいと考えています。また、将来的には在外事務所等で経験を積み、より現場に近いところで調整力を磨いていきたいと思っています。

就職活動

2014年

幼い頃から将来国際協力に携わることが夢で、就職活動では国レベルと現場レベルの双方から開発途上国の国創りに関わることのできるJICAが第一志望でした。学生時代は民間ユネスコ活動に関わっていたことから、とくに教育分野の支援に関心がありました。

2016年

南アジア地域の
JICAボランティアを担当

 

初の海外出張はマレーシアでした。2015年に青年海外協力隊事業が50周年を迎え、最初の派遣国の一つであるマレーシアで記念式典を開催しました。ボランティアのOBやOGが当時の同僚や仲間と再会を喜ぶ姿が印象に残っています。

2017年

保健・医療分野の
JICAボランティアを担当

保健医療分野の協力隊員の活動現場の視察にセネガルを訪れた際、首都から車で6時間程かけて訪れた病院でJICAが支援した母子健康手帳を大切そうにもつ妊婦に出会いました。人の命に寄り添う温かい支援を行いたいと思い、その後、保健医療分野に関心をもつきっかけになりました。

確かな実務能力とリーダーシップ
JICA職員の姿が印象的だった

フィリピンでJICA職員の方が活躍する姿を目の当たりにして心を動かされ、
私も同じように活躍したいと思いました。

フィリピンで知ったODAに関わる人々の思い
現場とのコミュニケーションの大切さを知った

JICA入構後は東南アジア大洋州部に所属、主にフィリピンの案件の監理や
防災対策事業などに関わりました。

やろうと思えば何でもできる
それがJICAの面白いところ

民間企業と連携し、フィリピンの政策課題に応える「防災」×「金融」の新規事業を立ち上げました。前例のない事業の企画であり、JICA理事長賞も受賞することができました。

金融リスク管理業務を通じて
JICAの財務運営方針策定にも関与

総務部金融リスク管理課に異動し、JICA業務の金融リスク管理について一から学びました。金融全般についての知識も蓄積することができました。

今後、目指すもの。

JICAの業務フィールドはとても広く、これまで身につけた金融の知識を活かして、新しいことに挑戦してみたいと思っています。将来は、公共政策か経営の修士号を取り、よりグローバルなフィールドに出ていける人材になることも目標です。国際機関への出向も希望しています。途上国政府のニーズやJICAを取り巻く環境は刻々と変化しており、今後JICAとしても事業メニューや事業の進め方、財務戦略等で変化が求められていくと思います。こうした中では、JICAを取り巻く状況を客観的に理解し、新しい環境に即した事業提案・組織運営ができる能力がますます必要になっていくと想像していますが、その一端を担えるようになりたい。また、女性として、ライフステージに応じて家庭と両立させながら仕事をしていける職員を目指したいと思っています。

2012年

JICAとの出会い

フィリピンでの台風災害の復興支援学生NGOの立ち上げに参加したとき、現地でJICA職員と出会いました。パッションだけでなく、確かな実務能力とリーダーシップで話をどんどん前に進めていく姿が印象的で、就職活動でJICAを候補に考えるきっかけとなりました。

2014年

日フィリピン経済政策会合の
企画・運営

マニラと東京で、日本とフィリピンの政策研究者や次世代の政策を担う関係者などと100人を超える規模の政策対話を開催しました。入構後間もない時期でしたが、フィリピン事務所のフィリピン人スタッフと連携しながら、会場の確保や備品の用意など、実施に関する業務全般を担当。無事終わったときには、大きな達成感がありました。政策対話に携わることで、JICA業務のダイナミズムを感じることができました。

2015年

世界銀行との協調融資案件形成

初めての円借款案件形成でマニラに出張し、融資条件や事業内容についてフィリピン政府や世界銀行と何度も交渉し、協議を重ねました。

中国政府系金融機関との協議

2016年

中国へ出張し「債権管理の観点から見た金融リスク管理」をテーマにプレゼンテーションを行いました。これを機に、他の国際機関や開発援助金融機関のプラクティスについても、アンテナを張りながら自分の業務に望むことを意識するようになりました。

公共性の高い仕事を探す中
JICAと出会う

学生時代に国際関係や貧困問題を学んでいましたが、先進国による「援助」にはやや疑問を感じていました。その誤解を解いてくれたのが就職活動時のJICA理事長、緒方貞子氏でした。

まずアフリカの農業・農村開発分野へ
エチオピアの緊急支援事業の立ち上げも担当

入構後の海外研修(海外OJT)で約半年間パラグアイ事務所に勤務。帰国後、初の事業担当時には、農業・農村開発の専門的な内容について行けず自信を失いかけたこともありました。

厳しい環境の中でまず築いた信頼関係
今も続くアフガニスタンの人々との交流

JICAでしかできない仕事を希望し、念願かなってアフガニスタン事務所に赴任しました。その後研修制度を利用しFAO(国連食糧農業機関)本部に勤務する機会を得ました。

「現地で本当に必要とされているもの」は何か?
事業形成に向け現場の観察を進める

現在はインドの農業と森林分野の事業形成を担当しています。「現地で本当に必要とされていることは何か」。この問いを常に頭に置き、業務に取り組んでいます。

今後、目指すもの。

私には農業の学問的なバックグラウンドはありませんが、これまで農業分野での業務経験を積んできた中、農業の持つ多面性に面白さを感じています。農業は、インフラ整備や栽培のような自然科学的な側面のみならず、その土地その土地で異なる文化、社会、経済を理解するための社会科学的な側面も持っています。また、国境を越えて取り引きされる農産品、食品については、グローバルな視点を持つことも重要です。今後も引き続き農業分野に携わり、現場の課題、求められているものを見極められる分析力と、解決のための事業構想力、実現力を高めていきたいと思っています。また仕事の場所や規模にかかわらず、目の前の仕事にのみとらわれて自分や組織の都合の押し付けや思い込みにならないように、また、最終的な仕事の成果を届ける相手を見失わないように意識しながら、常にそういった人たちが希望している世界がどんなものなのか、より深く理解し、その実現に繋がる仕事をしていきたいと思っています。

パラグアイ事務所での海外OJT

2008年

海外OJT(On the Job Training)という研修制度で、6ヶ月間パラグアイ事務所に勤務する機会を得ました。契約事務やJICA本部からの出張者の受け入れなど、様々な業務を担いました。元々関心のあった農業分野では、現地の日系人の方と共に農家インタビューを行い、JICAの今後の事業についての提案も行いました。

2012年

アフガニスタンの農業農村開発プロジェクト

JICAでしかできない仕事をと思い、アフガニスタン事務所を希望し、農業農村開発分野を担当しました。まずアフガニスタンの関係者と信頼関係を構築すべく、治安に気をつけながらできる限り担当省庁に通い、率直に向き合うよう心がけました。今でも、当時のアフガニスタン関係者との付き合いは続いています。不安定な治安と脆弱な行政機構という環境下でどう成果を出すか、悩みつつも充実した勤務経験でした。

私が受けた恩恵を
社会に返したいと思った

私はたまたま生まれ育った環境のおかげで多くの選択肢に恵まれて育ちました。その恩恵を社会に返すため、国際的な途上国支援の現場で働きたいと思っていました。

金融リスク管理課でゼロからのスタート
自分自身の可能性に気づくきっかけに

入構後に北アフリカを担当した後、全く畑違いの総務部金融リスク管理課に異動。
新しい環境でゼロから学び、自分にも色々な成長の可能性があることを実感できました。

モロッコ事務所でプロジェクトを監理
現場で築いた信頼関係が生きた

インフラと教育分野の円借款プロジェクトの実施を監理。相手国政府の上層部から現場スタッフまで幅広く接するJICA職員ならではの仕事の価値を改めて自覚しました。

職場結婚を経て夫が赴任するペルーへ
事務所のチーム力向上のため組織強化を実践中

結婚後に夫がペルー赴任となり、私も希望してペルー事務所に異動。ナショナルスタッフを含めた事務所のチーム力向上のため、コーチングに着手しています。

今後、目指すもの。

JICAの仕事は、協力する側である私たち自身の人間性の「Development」が求められる仕事だと思います。大規模なインフラプロジェクトであれば、資金提供者としてのモラルや立ち位置を信頼関係に基づき的確に構築することが必要ですし、技術協力プロジェクトであれば、カウンターパートの行動変容を促進するため、信頼と協働が欠かせません。逆にいうと、JICA職員一人ひとりが、公式な肩書は何であれ、優れたリーダーに成長し、組織内外で自律的に動くチームを作ることができれば、JICAが目指すゴールに到達できる確率は大きく上がると思います。私はポテンシャルの非常に高い職員の集まったJICAという組織と、そのJICAが関わるプロジェクトにおいて、個人とチームの力を最大化できる仕組み作りに携わりたいと思っています。まずはその背景となる組織開発理論やコーチングの知識や経験を深め、JICA内で実践したいと思います。そして、開発途上国でのプロジェクトにおいて、組織や人間の行動に関する深い理解をもとに、意識して効果的な介入をできるような人とチームの創造に挑戦したいと考えています。

JICA(当時JBIC)との
出会い

2004年

就職活動を始めた頃は、まだ国際協⼒銀⾏(JBIC)を知りませんでした。就職の相談をするために某銀⾏に勤める先輩を訪問した際に、国際協力に関心があると伝えたところJBICを紹介されたのがきっかけでした。当時金融に興味を持っていたので、金融というツールを切り口に国際協力に携わることができる組織に魅力を感じ、志望することを決めました。

JBIC時代には事務所がなかったモロッコへ赴任。ナショナルスタッフの交代もあり、最初の仕事はナショナルスタッフ2名の採用からでした。また、円借款業務の経験がある職員は所内で私1人だったため、業務における一つひとつの判断の重さを感じる日々でした。

ペルー事務所へ

2016年

JICA職員と結婚した後、夫がペルー事務所へ赴任となったため、私もペルー事務所での勤務を希望しました。同事務所での勤務が認められ、半年ずれたものの夫婦そろっての駐在が実現しました。

就職活動の挫折が私の人生を変えた
JICAで世界中の「国創り」に携わりたい

就職活動で挫折したことがきっかけで、偶然JICAと出会うことができました。その出会いは私の人生観を変え、都市づくりよりももっと大きな「国創り」の仕事に魅力を感じJICAへの志望を決意しました。

インフラ開発の様々な可能性や
重要性を改めて気づかされた

経済基盤開発部(当時)で、国境を越えたインフラ開発(クロスボーダーインフラ)や運輸インフラの枠を越えた物流計画の調査を担当。知識も経験もないゼロからのスタートでしたが、日々学びながら業務を進めるなかで、国創りの難しさや面白さを改めて実感することができました。

育児休業後、1年ぶりに復職
現場との信頼関係の大切さを再確認した

第一子の育児休業を経て、1年ぶりにフルタイムで復職したのは、初めての建設フェーズでの実施監理。難航しているプロジェクトの状況把握のためフィリピンへ出張し、厳しい環境の下で進められている工事や現場の人々の生の声に接し、本部と現場の連携の重要性を改めて学びました。

海外の国際会議で初めてのパネリストに。
新しい経験が次の目標を示してくれた

第二子を出産後は育児と仕事を両立しながら、新しい経験にも挑戦しています。これまでの運輸インフラ、都市開発の現場での経験を活かしながら、他セクターへの視野を広げ、国際会議でのパネリスト経験なども積んでいます。

今後、目指すもの。

約10年のキャリアで様々なセクター、スキームを多角的に見ることができ、国創りには運輸・都市インフラのみならず、農業や電力、水といった生活の基盤となる重要なセクターをかけ合わせながらダイナミックに事業を進めていく必要性があると感じました。そのスキルをもっと身につけるために、今後も自分自身が得意とする分野以外の業務にも積極的に携わり、視野と知見を広げて深めていきたいと思います。幸運なことに、新しく着任したケニアでは初めての農業セクターの担当となりました。JICAが推進しているケニア・ウガンダを跨ぐ北部回廊開発においては、物流インフラのみならず農業セクターの開発も重要とされているため、農業の側面からどのような貢献ができるかということにチャレンジしていきたいと思っています。
そして、ケニアでの業務を終えた後は海外長期研修制度を利用して、アフリカの回廊開発による経済インパクトについて学術面から研究し、JICAがアフリカでの回廊開発を国際社会へもアピールしてリードできる素地をつくっていきたいと考えています。育児をしながら働いていると、同僚や上司に助けられることが多くなります。しかしながらその分、私が今できることを真剣に考え、積極的に取り組む気持ちを今後も強く持ち続けていきたいと思います。

就職活動(JICAとの出会い)

2006年

都市計画を専攻してこともあり、都市開発に携われるゼネコンへの就職を第一希望。しかし、内々定を確信していた第一志望の企業の最終面接で落ちてしまいました。その企業以外は頭になかったので途方に暮れてしまいましたが、気を取り直して就活サイト内をネットサーフィン。そして偶然JICAのページにたどり着きました。本当に偶然の出会いでした。

ラオス物流計画の開発調査

2008年

ラオスの物流計画策定は、運輸インフラという枠を越えて、産業開発にも貢献するためのプロジェクト。私自身その知識も経験もなく、一体何をどうすればよいのか困り果てていました。ただ、これからは運輸交通といった視点だけではなく、その先の国土開発や産業開発を見据える広い視野が求められ、その時どのようなスキルを持っているべきなのか、ということを考えさせられたよい機会でした。

2013年

出産・育児休業

サブサハラアフリカにおけるインフラ開発

2016年

アフリカ部において、複数セクターに跨る開発全体の戦略策定や実施促進に携わることで、運輸インフラ開発や都市開発以外のセクターも同じように重要であることを痛感しました。今後、自分自身の視野を運輸インフラや都市開発からもっと広げていかなければ、本当の意味での国土開発は実現できないという問題意識を持つきっかけとなりました。

誰もが最低限の選択肢を持てる、
そんな世界にしたいと思った

高校時代に家族旅行でペルーに訪れた際、とある場所で絶対的貧困の環境とそこで物売りをする子供たちと遭遇。その光景にショックを受け、その経験から誰もが生きていくうえで最低限の選択肢を持てる世界にしたいと漠然と思うようになりました。

入構後3ヵ月の海外OJTでインドネシアへ。
考え方の違いや論理的思考の重要性などを学ぶ

インドネシア3ヵ月間の海外研修(海外OJT)。電力案件に従事しながら、さまざまな立場のアクターの存在や論理的な思考の重要性などを学びました。ロンボク島での一週間のホームステイでは、ホストファミリーと生活を共にし、何をもって発展と考えるのか、その本質も考えさせられました。

発電所の建設業務を担いながら
国創りの本質を改めて実感する

インドネシアで新たな発電所の建設プロジェクトを担当。インフラ事業では、環境面や社会面への影響、その緩和策など多面的な検討やその実施が必要となります。そして、その事業が「誰の何のために必要なのか」という国創りの本質を意識する重要性を改めて実感できました。

ネパール地震災害の復興支援から
改めて業務の重要性とその価値を実感

2015年4月に発生したネパール地震の復旧・復興支援プロジェクトを担当。山岳部の厳しい自然環境のなかで懸命に支援活動を続ける人々や笑顔を取り戻す被災者に、改めて業務の存在価値やそのかけがえのないやりがいを実感しました。

今後、目指すもの。

端的に言えば、「個」と心で繋がり、「個」として戦える人材になりたいと思っています。そう思うようになったきっかけは、インドネシアでのNGOへの説明対応やネパール震災復興案件の経験を通じて、統計的分析に加え、「個」に焦点を当てて考えることで、より親近感がわき、具体的な課題や解決策も見えてくることに気づいたからです。「個」としての想いを互いに感じることは、信頼関係の強い原動力にもなります。JICAの仕事は、一人で出来ることはなく、各ステークホルダーとの連携・協力が不可欠です。そのなかで付加価値を出していくためにも、私自身も業務経験や研修等で「個」の力をより高めていく必要があります。
また、私は首都偏重型の開発に起因する課題は多いと感じており、「地域開発政策」に関心を持っています。幸いにも現在その分野の担当案件がありますが、日々知識不足を痛感しているため、研修への同行や有識者との面談等を通じて、専門分野の基礎知識をさらに高めていこうと思っています。後々はJICAの海外長期研修制度を活用し、もっと専門性を深めたいと考えています。そして、「地域開発政策分野なら髙橋に相談だ」と言われる人材となることが夢です。

ロンボク島での
一週間のホームステイ

2014年

経済的には裕福とは言えないホストファミリーでしたが、毎日孫や兄弟が集って寝食を共にし、子供たちは自信を持ってロンボク島を自慢していました。この島は高層ビルもなければ、モールも小規模なものが一か所だけ。しかし、渋滞はなく人柄も穏やかで、非常に綺麗な景色が点在する島。何が幸せなのか、何をもって発展しているといえるのか、国創りの在り方を考えさせられました。

一国の首相と握手

2017年

社会基盤・平和構築部で衛星活用案件の協議及び都市交通マスタープラン策定案件を担当。現地視察のため、人生初のアフリカ訪問でコンゴ民主共和国キンシャサへ出張した際に、首相を表敬訪問し握手するという人生に二度とないかもしれない貴重な機会を得ることができました。

途上国の成長に欠かせない法整備、
その新たなる使命を求めてJICAへ

前職で、途上国の企業との業務提携を法務担当として携わった際に、途上国の法体系を含めた事業環境の整備に課題を感じていました。そのなかで、JICAによる途上国の法整備や民間セクター開発の支援を知り、開発協力の分野で新たなキャリアに挑戦をすることを決意しました。

JICAのリソースに大きな可能性を感じ、
民間連携事業に志を持ってJICA職員に

JICAの海外事務所員として中国事務所に赴任し、JICA事業と現地企業の橋渡しを担い、民間企業との連携に大きな可能性があることを実感しました。その可能性に本格的に取り組みたいと思いJICAの社会人採用を受け、2012年に正職員として新たなキャリアをスタートしました。

アフリカでJICA事業の貢献度の高さを実感。
大臣との協議では国創りのダイナミズムを知った

アフリカ、アジアなど世界各国の無償資金協力によるインフラ建設プロジェクトの監理を担当。JICA事業の広がりの大きさと貢献度の高さを改めて知りました。

念願の民間連携事業部で、
多くの民間連携事業の実施に関わる

当初の希望が叶い民間連携事業部への異動。ビジネスを通じて低所得者層(BOP層)が抱える課題を解決する「BOPビジネス」の取り組みを支援する制度の総括を担当しました。多くの日本企業と連携し様々なプロジェクトの実施に携わることで、開発とビジネスの両立を目指す民間連携の醍醐味を実感しました。

今後、目指すもの。

先進国から途上国に流れる資金は、ODAなどの公的部門が多くを占めていましたが、企業活動のグローバル化に伴い、今では民間部門が大部分を占める状況にあります。また、経済界においては、持続的な企業価値向上のため、ビジネスを通じた社会経済的な課題解決への関心が高まっており、2015年に国連において持続可能な開発目標(SDGs)が採択されたことで、その変化はより加速しています。こうしたなかでJICAは、長年の途上国支援を通じて培ったネットワークや協力実績を活用し、途上国と日本の結節点として、民間企業をはじめ、大学、NGO、自治体、他の開発援助機関などを巻き込み、様々なアクターと開発援助を進めていくことが一層期待されていると感じています。10年前は個別企業のビジネスとの連携に慎重な部分もありましたが、今では、企業からビジネスモデルの提案を受けて案件形成する制度も整備され、これからもっと増えていくと思います。今後は、民間連携をJICA事業における”本流”とするべく、日本企業の優れた技術と途上国の課題を結びつけ、開発とビジネスを両立する事業のよきパートナーとなるべく、組織内外に働きかけていきたいと思います。

JICAとの出会い

2008年

カンボジアを旅行していた際に、何気なく立ち寄った大学で、学生に英語で話しかけたところ、日本語の返答があり、驚きました。学生に教室の中へ案内されると、そこにいた先生は青年海外協力隊の日本語教師の若者でした。その先生は翌月で離任するとのことで学生たちがとても惜しんでおり、草の根レベルの途上国支援の素晴らしさを感じました。

インドでのホームステイの経験から
開発協力に携わりたいと考えるようになった

大学1年生のとき初めての海外渡航で訪れたインド。電気・水道・ガスのない環境でのホームステイは非常に刺激的で、自分自身の人生観を大きく変えた出来事でした。それから自然と国際協力への分野に興味を持つようになりました。そして就職活動では、日本における国際協力の主要なプレイヤーであるJICAを志望しました。

民間連携の可能性を実感した
ガーナ初のパブリックビューイングプロジェクト

アフリカ部計画課所属時に、第4回アフリカ開発会議(横浜)の準備・運営を経験。そしてアフリカ部中西部アフリカ一課所属の際、民間企業とJICAが連携したパブリックビューイングの実施に携わり、民間連携の大きな可能性を肌で感じました。

エチオピアでのプロジェクト監理や
産業政策対話で国創りの本質を掴んだ

アフリカ部での国担当業務から、エチオピアの在外事務所に赴任。保健医療、水、行財政管理等の様々な分野のプロジェクト形成・実施監理を担当しました。また、民間セクター開発分野では産業政策対話を担当し、経済成長期を迎えるエチオピアの今後の中長期的な政策作りという国創りの中枢部分の業務を経験。インフラ整備とは違う、政策部分からのダイナミックな国創りの醍醐味を実感できる機会となりました。

民間連携の可能性をひろげ、
今までにない開発協力の道を拓く

中小企業の海外展開支援事業を担当後、九州で企業の海外展開支援事業の発掘・形成に当たっています。エチオピアでの経験も活かし、民間連携事業の拡大に努めています。

今後、目指すもの。

挑戦したいことは2つあります。1つは、途上国の課題と、その解決策とを繋ぐオープンなプラットフォームづくりです。JICAはこれまでODA実施機関でありましたが、途上国の課題も多様化する中、JICAだけで提供できるソリューションには限りがあり、今後ますます民間企業等によって提供されるソリューションが及ぼすインパクトは大きくなると考えています。その中でJICAは、より効果的なソリューションを引き出すための「触媒」としての機能を強化し、そのプラットフォームを形成していくことが必要と考えています。JICAはこれまでの途上国での様々な事業実施の経験やネットワーク等を活かし、途上国が抱える課題が何なのか、その原因は何なのか、ソリューションありきの課題発見でなく、本当のボトルネックを冷静に分析し抽出する課題創出に注力し、その課題に合致したソリューションプロバイダーの参画を呼び込むためにオープンに発信していくことが、SDGsをはじめとする世界の課題解決により貢献できると考えています。
もう1つは、地域課題解決と途上国開発をより直接的に繋げた事業の開発です。九州での経験から、国内地域が抱える課題と開発途上国が抱える課題に共通する部分も多いことを実感しています。将来的には開発途上国の開発事業に繋げることを見据えつつも、地域が抱える課題解決に実証的に取り組むことで、当該地域の課題解決や地域活性化に貢献すると共に、これまでにない国内リソースの発掘・創造に繋がることで、新たな課題解決の可能性が広がり、開発協力の厚みが増すと考えています。JICAの強みや特徴を生かし、国内地域と開発途上国との関係性の構築を模索したいと考えています。

JICAとの出会い

2001年

大学1年生の夏休みにスタディツアーに参加。初めての海外でインドを訪問し、電気・水道・ガスがない地域でホームステイを経験しました。この経験を原点に「開発協力に携わりたい」という強い動機となり、ODA実施機関であるJICAに関心を持ちました。

アフリカ部計画課でTICAD IVの補助

2007年

主にアフリカ向けの予算管理・計画を担当。2008年に横浜市で開催された第4回アフリカ開発会議(TICAD Ⅳ)では、新人ながら大規模な国際会議の準備・運営を経験しました。

アフリカ部中西部アフリカ一課で、ガーナ、シエラレオネ、リベリアを担当。主にガーナ円借款再開に向けた調整や案件形成に携わる。想い出に残った案件は、ソニーと連携しガーナ初のパブリックビューイングを実現したことです。これはJICAでも民間連携の走りとなる事例になり、大きなやりがいになりました。

2011年

エチオピア事務所でプロジェクト監理

保健医療、水、行財政改革等の分野で、技術協力や無償資金協力の実施に携わりました。複数分野の案件監理及びドナー会合への参加等を通じてプロジェクトマネジメントの本質を掴むことができ、情報収集力や企画力も磨くことができました。

エチオピア事務所で新たに民間セクター開発分野を担当することとなり、主に産業政策対話に携わりました。日本側とエチオピア側の政策担当者を含めた調整や事前準備に苦心しましたが、エチオピアの産業振興の一翼を担っているという実感を得ることができました。

国内事業部中小企業支援事業課

2015年

JICAの中小企業海外展開支援事業の開始2年度目から参画し、個別案件の実施監理に加え、同事業を軌道に乗せれるよう制度設計を担当。個別案件では、開発途上国の課題解決に資する事業内容に仕立てることに加え、企業目線で収益モデルを検討しビジネスプランに落とし込む作業を通じ、「ビジネスマインド」も学ぶことができました。

国内事業部中小企業支援事業課での経験をもとに、九州7県の企業発掘やコンサルテーション、案件形成、また支援機関との関係構築のため、各県に足しげく営業活動を展開しています。日本国内において、JICAが企業の海外展開を支援しているとの認知度は決して高くはない状況ですので、支援機関等とも連携し企業等に対して積極的にJICA事業の紹介等を通じ利活用促進を図っています。

子供の頃に目にした貧富の格差、
途上国のために働きたいと考えた

小学時代を過ごしたバンコクで見た大きな貧富の格差が、途上国支援に興味を持ったきっかけでした。そして大学時代にガーナでボランティア活動を経験したことで、より大きな視点で途上国の開発に関わりたいと思い、JICAを志望しました。

何が相手国のニーズなのか、
その見極めの難しさを痛感した

最初の配属はモンゴル担当。3ヶ月間の海外研修(海外OJT)でモンゴルに赴任し、政府高官から現地の人々、協力関係者などさまざまな人と出会い、話を聞きながら「開発ニーズ」とは何か、そもそも「ニーズ」とは何か、その本質について改めて考えさせられました。

これからのモンゴルを支える
質の高いモデルとなる教育をつくる

モンゴルの首都ウランバートルの教育環境を改善するため、学校建設の無償資金協力の案件形成に携わりました。これまでの協力とは一線を画した今後の教育環境のモデルとなるような質の高い施設をつくるプロセスは大きな経験となりました。一回きりの支援で終わらない、現地の人々が将来的に長く活用していくことができる協力が重要であることを実感しました。

現地で多様なアクターの橋渡しをする
在外事務所としての役割を体感

現在、セネガル事務所に赴任し、保健セクターを担当しています。初のフランス語圏での仕事、かつ多様なアクターの橋渡しするチャレンジングな経験を積んでいます。また、兼務しているギニアビサウは最貧国の一つで、限られた環境でどのように相手国のニーズに応えていくかを常に考えています。

今後、目指すもの。

入構以来、モンゴル・セネガル・ギニアビサウという国を担当してきましたが、それぞれの国の事情は全く異なることを日々実感しています。日本側から見た相手国の位置付け・二国間開発協力の文脈も然りですが、何より経済・社会構造はそれぞれ異なり、開発ニーズの所在も様々です。協議を重ねながら開発ニーズを抽出し、事業を形成・実施する過程は「国創り」そのものであるように感じており、JICA職員には担当する事業が相手国の発展にどのように貢献するのかを考える力が求められていると思います。そのため、相手国の経済状況・開発戦略・優先課題・必要なインプット等を分析できる人材になることが目標です。将来的には、JICAの留学制度である海外長期研修等を活用し、公共政策学を学びたいと思っています。

JICAとの出会い

2000年

小学生の5年間をタイ・バンコクで過ごし、圧倒的な貧富の格差を目の当たりにして、漠然と「途上国の人のためになることを仕事にしたい」と思うようになったことを記憶しています。開発協力への関わり方を調べるなかで、JICAは真っ先に出てきた選択肢でした。

モンゴル事務所での海外研修

2015年

最初の部署ではモンゴルの国担当になり、新入職員が経験する海外OJTで、モンゴル事務所にも3ヶ月赴任しました。国担当として「開発ニーズ」を見つけるべく、ニュースや町中で見るものにアンテナを張る癖をつけるよう努めました。他方で、協議・出張・サイト視察等において中央省庁の役人、地方政府の役人、地方の学校の先生、NGO団体の職員、ゲルに住む住民など様々な人々と話す機会を得るなかで、何をもって「ニーズ」とするのか、その難しさも思い知りました。

モンゴルの地方出張で、一国の開発に携わるJICA職員として欠かせない視点に気づかされました。

高等専門学校に関する
情報収集・確認調査

2015年

モンゴルでは、日本の高等専門学校(高専)をモデルにモンゴル版のKOSENが設立されましたが、国の教育政策のなかでの高専の位置づけが明確化されていませんでした。モンゴル政府からモンゴルにおける高専教育のロードマップ策定支援を要請されたため、国立高等専門学校機構(高専機構)と連携し、JICAで調査を実施。その一環としてモンゴル関連省庁の高官の日本への招聘も実施しました。この過程で、高専機構やコンサルタントの方々とともに、政策決定を担うハイレベルな政府関係者とモンゴルにおける高専の意義・位置づけ・役割をじっくりと一緒に議論し、一つの文書にまとめる経験になりました。

モンゴルの経験を経て、2部署目にセネガル事務所に赴任、初のフランス語圏での仕事を経験しています。セネガルは第6回アフリカ開発会議(TICAD Ⅵ)において、全ての人が保健医療サービスを享受できるUHC(Universal Health Coverage)重点モニタリング国に選ばれたこともあり、UHC達成のための協力プログラムの下包括的な協力が展開されていることから案件数も多く、日々の案件監理に奮闘中です。

2017年

ギニアビサウ国担当

ギニアビサウは現地にJICAの駐在事務所がなく、セネガル事務所が所掌している西アフリカの最貧国の一つです。政情不安が続いてきたためJICAとしての大きな投入は難しく、事業規模が比較的大きいモンゴルやセネガルとは事情が異なりますが、毎年日本への研修員の派遣等の協力を実施しているため、人脈形成や情報収集は国担当としての重要な仕事です。限られた投入をいかに有効に活用するか常に意識をするようになりました。

相手の将来を真剣に考える
そのJICAの本質に惹かれた

高校時代から「国際的で人を豊かにする仕事に就きたい」と思っていました。そして、大学の就活時にその1社としてJICAを志望。海外での就活で、国際機関、NGO、シンクタンク、民間企業等の就活やインターンを経験。職員の皆さんが、面談で訪れた学生の将来を真剣に考えて助言する真摯な姿勢に惹かれ、入構を決意しました。

自分の姿勢と力量そのものが国の開発に影響する
それがJICAの仕事

JICAの仕事は、自分が決めたことがその国で有形無形のかたちになって実現される仕事です。はじめに配属されたアフリカ部は、アフリカ諸国で実施する案件を、相手国と共に決める部署。その国と分野をどれだけ深く理解し、行動力をもって実行に移せるか。自分の姿勢と力量が案件の実現に直結する、ダイナミックさと緊張感のある仕事でした。

国創りの中枢ともいえる、
ガバナンス分野に挑み続ける

法制度や放送局運営、警察行政、選挙・議会制度などのガバナンス分野は、その国の骨格を形づくる、国創りの中枢機能に関わる協力とも言えます。だからこそ一方的かつ断続的な協力よりも、相手国を深く理解し、相手国が納得して継続できる協力を追究する必要があります。

今後、目指すもの。

ガバナンス分野の案件を担当し、特に刑事司法に関心を持ちました。日本や各国の刑事司法関係者と話すなかで、何のための刑事司法なのか、刑事司法の本質を考えるようになりました。誰しもが加害者・被害者になりえ、両者ともに社会の構成員でもあります。事件に関わったら“一般の人”とは異なる世界の人なのではなく、同じ社会の構成員として、事件を経て、その後どのように生きるかを考えて刑事政策を立てる必要があると思っています。“人”の人生に影響を与える刑事司法について、どのような制度を取り得るのか、各国で考えていきたいです。
そのためにはこれからも刑事司法の案件を担当し、知識と経験を積みたいです。また、JICAは公開レポート作成や論文執筆も推奨されているため、実務で得た経験をもとにそうした報告書を作成し、対外発信もしていきたいと考えています。刑事政策は各国の政治体制や文化とも密接に関係していて、日本も例外ではありません。法整備支援を通じて他国と日本の刑事司法制度への理解を深め、各国の刑事政策を分析し、それぞれの国に合った刑事司法の案件づくりができる人材になりたいと考えています。

JICAとの出会い

2005年

高校生の頃に漠然と「国際的で人の人生を豊かにするような仕事に就きたい」と思い、それができるキャリアパスは何かと探すなかでJICAを知りました。

変化の
とき

インドネシアの訪問は3週間程度の滞在でしたが、現地の人々といろいろ話す機会があり、初めての海外、途上国訪問の経験を通じて、将来の職業として国際協力を志すきっかけになりました。帰国して3日後、アジア地域に未曾有の被害をもたらしたインド洋大津波がインドネシアを襲いました。現地で出会った人々に被害はなかったものの、直前まで訪れていた国が災害により大変な状況になっている事を目の当たりにし、防災の重要性、そして防災大国である日本発の防災分野の国際協力の重要性を実感しました。もともと防災分野に関連が深い気象、気候分野を学生時代に専門にしていたこともあり、JICAの仕事を通じて防災協力に携わりたいと考えるようになりました。

変化の
とき

新人研修として、8ヶ月間スリランカ事務所に配属となりました。研修中は事務所への配属だけではなく、JICAが関連している各組織(大使館、JBIC(当時)、プロジェクト現場、青年海外協力隊)の活動現場などで研修を行う機会も多くありました。JICA職員としては経験できない各組織での業務を通じて、国際協力の現場での幅広い視点を養うことができました。さらにJICA入構当初から、現場の様々な関係者と話をし、一緒に活動する経験を得たことで、JICA職員としての国際協力に対するあるべき姿勢を学び、また本部など途上国の現場から離れた場所での業務においても途上国の様々な状況をイメージしながら業務を進めることができるようになりました。

変化の
とき

念願叶って防災第一課に配属となり、防災プロジェクトを担当することになりました。しかし、当時の防災課はまだ新しく、若手が中心のチームでした。またJBICとの統合による有償資金協力の追加や科学技術協力という新しい協力メニューの開始も重なり、防災分野の知識だけではなく、JICAの事業を幅広く学習する日々でした。非常に忙しい時期でしたが、新しいプロジェクトを立ち上げるために、対象国の災害状況、防災体制を調べ、必要な防災協力の内容を検討する過程において、防災の重要性や防災協力の必要性を改めて学ぶことができ、充実した日々を過ごすことができました。

変化の
とき

JICA関西ならびに兵庫県と共同で設立した国際防災研修センター(DRLC)に配属となり、2015年にDRLCが主催した阪神淡路大震災20年記念シンポジウムの業務に、企画から関係者の出席調整、当日の運営まで主担当として携わりました。この業務を通じて、兵庫県、神戸市の地元の方々の防災に対する熱い気持ちを感じ、日本の防災の真髄を垣間見ることができました。また同じ年に自分自身の地元の仙台において、防災の世界規模の会議である第3回国連防災世界会議が開催され、会議運営やJICAイベントにJICAの防災メンバーの一員として携わり、国際的防災指針の策定プロセスや世界の防災の潮流を間近で見ることができました。このような日本や世界の防災の重要イベントに携わったことで、防災協力を中心としたJICAでのキャリア形成をますます志すようになりました。

変化の
とき

高校1年の夏に神奈川県の代表としてスタディツアーで訪れたベトナムのJICA事務所がJICAとの初めての出会いでした。その後、大学2年の夏にイスラエルとパレスチナに短期留学をした際に、JICAパレスチナ事務所やJICAの支援によって誕生した太陽光発電システムを見学したり学校を訪問する機会がありました。多面的な視点をもって政府や住民の意向をくみとり、支援を形にしていくという日本の国際協力の姿勢と規模に感銘を受けました。また、訪問した学校でパレスチナの未来を真剣な眼差しで語る子供の姿に心を打たれ、将来国際協力に携わりたいと決心しました。

変化の
とき

入構後、国内での研修を経てスリランカ事務所で3ヵ月の海外研修(海外OJT)を経験しました。まだ国際協力の右も左も分からなかった頃、JICAが派遣している農業の専門家の方と一緒に農家を1軒1軒訪ね、どういった支援が必要か、聞き取りを行う機会がありました。開発現場の最前線で活動する専門家と行動を共にするなかで、何度も家を訪問し信頼を構築しながら相手のニーズをくみ取っていくその姿から、国際協力の大切な基本姿勢を学ぶことができました。日々の業務では、常に現場の近くにいることはできません。様々な関係者の意見を聞くことで現場を想像し、より良い支援につなげていくことが大切だということを、海外OJTを通して知ることができました。

変化の
とき

アンゴラ保健省の関係者ら7名を日本に招へいしました。アンゴラでは2017年から「母子健康手帳を通じた母子保健サービス向上プロジェクト」が開始されています。この招へいは日本の母子保健の歴史や取り組みを学んでもらうことなどが目的でした。アンゴラでは母子健康手帳の改訂を行っていますが、子供の成長曲線に、体重に加え身長も記載することについて関係者の意見が分かれていました。今回の来日で助産院や病院、行政機関等を訪ねることを通じて、体重・身長の両方を記載することで同意を得ることができました。自国の価値観を押し付けるのではなく、双方の関係者が直接議論を行うことが、よりよい支援につながることを改めて感じました。

変化の
とき

フィリピンでのNGO立ち上げに参加した際、草の根活動の良さも感じる一方、草の根からは届きづらい領域があることも知りました。責任をもって経済社会開発を進めるためには、課題を捉える「虫の目」に加え、全体を見る「鳥の目」と「魚の目」を持つことが必要です。JICAはそれが養える場であり、同時にグローバルなフィールドで日本のプレゼンスを上げられるダイナミズムが魅力的で、入構を志望しました。一年目から現場に出て、案件形成に主体的に携わる機会がある点も魅力的でした。実際、入構後に、学生の時に携わったNGOが活動する地域で、JICAの職員という立場で円借款案件の形成に携わったときは「ここまで来た」という深い感慨を覚えました。

変化の
とき

入構後の海外研修(海外OJT)でフィリピン事務所に勤務し、防災事業を中心に、首都マニラと地方のプロジェクトサイトを行き来しました。日本と同様、大きな自然災害に見舞われることの多いフィリピンですが、私は、巨大台風の被災地での復興支援事業や、マニラ首都圏を流れる大河川の洪水対策事業の案件監理の補助や調達業務等に携わりました。日本がODAを通して今まで行ってきた事業の長い歴史とフィリピンとの信頼関係を感じたことに加え、ODAに関わる様々な関係者がどんな気持ちで業務に携わっているかを直接知る貴重な機会になりました。プロジェクトサイトから離れている東京のJICA本部においても、現場とのコミュニケーションや様々な関係者の立場を考える姿勢が大切であることを実感しました。

変化の
とき

この調査は、民間企業と連携して、災害の多いフィリピンにおいて「防災」と「金融」を組み合わせて、より災害リスクに強い国づくりを促進する資金のメカニズムを提案することを目的としたもので、JICAでも前例のない取り組みでした。新しいニーズに応じた新しい事業のあり方を提案している点を評価いただき、2016年度のJICA理事長賞を受賞しました。フィリピンの政策課題に対し、日本のしかるべき関係者を繋げて新しい事業を作ることは、まさにJICAの"resource mobilizer"(資源の動員者)としての役割を体現していると思います。前例のない事業を立ち上げるのは一苦労でしたが、やろうと思えば何でもできるのがこの組織の面白いところだと思いました。また、この分野は、世界銀行等の国際機関が多くのナレッジを持っており、国際機関の職員と一緒に仕事をしたことも印象に残っています。

変化の
とき

JICAでは、円借款や海外投融資を通して、開発途上国の発展への取組みを資金面から支援しています。金融リスク管理とは、日々のリスクのモニタリングや中長期的な収支見込から、こうしたJICAの金融業務を適切に行うため、どのリスクは取れるのか、どのリスクは取れないのか、という視点で、JICAの経営戦略全体を捉える業務です。金融知識は十分ではありませんでしたが、職場の支援も得て金融講座に通い、また、日常業務では先輩から指導いただき、徐々に金融リスク管理や金融市場の動き、国際援助機関の財務運営等、金融全般についての知識を蓄えることができました。自分の作った数字を根拠に組織全体の財務運営の方針が決まることもあり、入構4年目ではありますが、役員の意思決定と組織運営を日々身近に感じながら仕事をしています。

利用した制度

語学検定受験料補助制度

英語その他の言語の語学検定受験料を補助する制度。その他、英語及び他言語(フランス語、スペイン語、中国語等)の自己研鑽を補助する制度(語学学校の受講料・教材費等の一部補助)なども整備されています。

変化したこと

語学能力は将来のキャリアの幅を広げると思い、また昔から語学の勉強が好きだったこともあって、学生時代から勉強していた中国語の国際的資格であるHSKを受験しました。その際にこの制度を利用し、最上級の6級まで取得することができました。取得後、北京で開かれた中国の政府系金融機関との協議に参加する機会をいただき、中国語を活かしたプレゼンテーションや協議をすることができました。

変化の
とき

大学、大学院で国際関係論を専攻する中で開発経済や貧困問題を学び、JICAの名前も聞いたことがあったものの、「援助」にあまり良い印象は持っていませんでした。何か先進国の押し付けや、現地で求められていないものを先進国のエゴで提供しているように感じていたからです。しかし、就活時に初めて緒方貞子理事長(当時)のメッセージに触れ、途上国や国際的な課題に真剣に取り組んでいる組織なのではと感じ、興味を持つようになりました。その後JICAについて調べていくうちに、途上国への開発協力のために、自分もこの組織で働いてみたいと思うようになりました。

変化の
とき

パラグアイから帰国後、管理部門への配属を経てアフリカの農業・農村開発分野の技術協力を担当する部署に配属となりました。灌漑工事などのハードウェア、住民参加型開発といったソフトウェア、さらに農薬分析のような高い専門性が求められる事業など、農業・農村に関するものは何でも扱う部署であったため、専門的な内容についていけずに、当初は苦しみました。それでも業務経験を積み、周囲の専門家から学んでいく中で、それぞれの課題が農村開発の中でどう位置付けられるのか、徐々にわかってきました。担当していたエチオピアで干ばつが起こり、牧畜民を対象とした干ばつ対策の緊急支援事業の立ち上げを担当したときには、JICAとして未経験の分野であったものの、それまでの業務経験を活かし、対象地域の自然環境、社会経済に配慮した事業を形成することができました。

変化の
とき

JICAの「実務経験型専門研修」という研修制度を活用し、自分で研修先を見つけて勤務したのがFAO(国連食糧農業機関)のローマ本部です。FAOの本部は、国家間、また政府以外のNGOや民間企業など様々なステークホルダー間の調整や、ステークホルダーが共有・合意できる国際的な基準や原則の策定及び適用といった機能を持っています。それまでの業務では国単位で開発事業を見ていましたが、国際農業投資や食料問題、気候変動など、国の枠を越えて地球規模で捉えるべき課題について考えていく視点を得ることができました。また、外側からJICAという組織、引いては日本という国を眺められたことにより、JICAの、またその一員である自分の能力について、客観的に強みや弱みを分析することができるようになりました。

変化の
とき

FAOでの研修後、JICA本部でインドの農業と森林分野の円借款の事業形成を担当しています。インドでは事業形成に必要なデータは入手しやすい一方、円借款事業は規模が大きく、事業現場や関係する人々をイメージするのが難しいとも感じました。現地で本当に必要とされているものは何なのか、現地の人々の暮らしがどうなっているのかを理解するためには、現場の観察が重要だと感じています。今は全体像を掴むためのマクロのデータ、肌感覚で現場の状況を理解するための現場の観察、本当に求められているのは何なのかを聞き出すための現地関係者からの聞き取りなどを行い、総合的に分析した上で望ましい事業形成ができるよう日々業務に当たっています。

利用した制度

実務経験型専門研修

JICA外の組織(国際機関、大学・研究機関、NGO等)を職員本人が選択し、専門能力の向上に資する実務経験を得るための研修内容を提案する制度。組織ニーズや分野課題と提案内容との整合性などを踏まえ、実施可否が決定されます。

変化したこと

JICAで働いているだけでは得られない視点を持ちたい、自身の専門性を高めたいと思い、知人経由で勤務先となるFAOの部署に直接連絡を取り、この制度を利用して2015年から1年間勤務しました。専門性については常に向上させていかなければと思っていますが、FAOで意識するようになった食料や気候変動などグローバルな課題の中で一国を位置付けるという視点は非常に重要であり、現在のインドの業務でも役に立っています。

変化の
とき

恵まれた環境で沢山の可能性を与えられて育ったことを自覚する中、その恩恵を社会へ返すために、最も格差の大きい先進国と途上国の間をつなぐ国際協力の世界に入りたいと考えていました。当初は民間でスキルをつけてからいずれ開発に携わろうと思っていたのですが、最初からその世界に入れる可能性があるならまずは挑戦してみよう、と思いJBICを志望。大学最後の半年程、山梨県の南アルプスの麓にある集落で地域づくりに触れた際、日本にもこんなに課題がある中でなぜわざわざ海外で、と問われ、それでもやはり自分が価値を一番発揮できるのは途上国支援の場だと感じ、日本の地域に根差して課題解決に奮闘する人たちに胸を張れる仕事をしなければ、と決意を固めました。

変化の
とき

入構後に2年間担当した北アフリカ関連業務では、学生時代にフランス留学で培った語学力も活かすことができ、仕事もある程度想像していた内容に近かったのですが、3年目に全く畑違いの総務部金融リスク管理課へ異動。何をやる部署なのかも分からず、白紙の状態で仕事に取り組み始めました。日々の業務に必要なファイナンスの知識をゼロから勉強し、同じ時期に資金管理系の部署に異動した同期とランチタイムに勉強会をしたり、先輩に教わったりしながら、自分自身の頭で考えることを徐々に学んでいきました。そのプロセスは予想外に楽しく、それまで勝手に自分の得意分野は定まっているつもりでいましたが、20代後半でもまだまだ新しいことが学べるし、可能性も広げられると実感。「いつでもなりたい自分に変われるんだ」と気づいた2年間でした。

変化の
とき

担当していた地中海沿岸の道路拡張事業の現場は、首都ラバトから遠く、先方政府(運輸交通省)の高官も現場の状況を正確に把握できていませんでした。完工間近になって、同事業の施工監理を行う開発コンサルタントと運輸交通省の現場責任者との間で人員配置に関するトラブルが発生。双方から話を聞いた上で、運輸交通省次官へJICAも含めた3者会議を提案。会議の場では、次官から「(契約は運輸交通省とコンサルタントが結んでおり)JICAは契約当事者ではない」と言われつつも、JICAも事業が成果を発揮していくことに責任を持つパートナーであることを伝え、改善策の検討に努めました。結果的に運輸交通省側で改善策が取られることになりましたが、現場ではこの事例のようにJICAとしてどこまで介入すべきか悩む場面も多いです。しかし、中央政府の上層部から現場スタッフまで連携できることがJICAの強みであり、自分の動き次第で打開策が生まれるというJICA職員ならではのやりがいを感じた出来事でした。

変化の
とき

赴任当初から1年半程度、ペルー事務所の事業班(計12名)の総括を担当。当時のメンバーは円借款を中心に、これまで通りのやり方ではうまく行かなくなっていることを感じていました。そこで、自分たちで今のチーム状態を意識化し、強みを認識して改善に取り組むため、チーム・コーチングを導入。約1年弱にわたり、ペルー人コーチによるセッションを継続的に実施し、仕事の魅力、日本人とペルー人スタッフの考え方や立場の違い、衝突の乗り越え方など、日常の場面では正面から扱いにくいテーマを安心して話す場として機能させています。個人的にも関心のあるコーチングをJICA内での実践に取り入れ、興味深くチームと自分を俯瞰的に観察。プライベートの要素も含め、人間関係がうまく構築されることで、チームの力が増していくことを目の前で実感できるのは貴重な経験です。

利用した制度

国内・海外長期研修

専門分野の知識・能力の向上や人的ネットワークの構築等を図り、JICAの組織力強化や事業の質的向上に貢献する人材を育成するための長期研修制度。国内・海外の大学院での修士・博士課程、語学研修(フランス語、スペイン語等)が対象となり、学費や渡航費等が補助されます。研修テーマはJICAの事業及び組織運営に資するものであることを前提に、職員本人が選定します。各開発課題の専門性を向上させるテーマ(環境、保健医療、教育、都市・地域開発等)や、開発政策立案・事業実施運営に資するテーマ(経済、金融、公共政策、開発学等)などが想定されます。

変化したこと

モロッコ事務所で経済財政省次官らとやり取りをするなかで、相手国政府の公務員目線では物事がどう見えるのかを知りたいと思い、公共政策大学院を志望。2013年から1年間、ハーバード大学ケネディスクールのミッドキャリア向け修士プログラムを受講しました。世界中から集まった平均年齢39歳の同級生と交流し、いかにJICAに守られていたかを実感し、改めて個人として勝負できる人材になりたいと決意。留学中、近隣のMIT発祥の組織開発理論に触れた際、心に響くものがあり、今後のキャリアの軸として考えるようにもなりました。

変化の
とき

大学で都市計画を学んでいた理由は、「人々が幸せと感じる時間や空間を創り出したい」という想いからでした。国や地域、都市をつくりあげる要素は多岐にわたっていて、ハードの面としてインフラ開発もあれば、コミュニティ形成のようなソフトな面もあります。私自身は、そのどれか一つに深く携わるよりも広く様々な要素を繋いでいく役割を担いたいという想いがあり、それがJICAの業務と合っていると感じました。また、説明会である女性の先輩職員が、転勤のため今はご主人と離れて暮らしているという話を聞き、転勤がある仕事でも、女性が活躍している組織ということがとても印象的でした。それにより、私自身も仕事を続けているイメージをクリアに持つことができたので、JICAで働いてみたいと強く思ったのを覚えています。

変化の
とき

当時、アジアでは複数国に跨る「経済回廊」の開発が進められており、それらの重要性は注目されていました。今後JICAはアフリカにおいても同様の国境を越えたインフラ(クロスボーダーインフラ)開発を展開していくために、アフリカのクロスボーダーインフラプロジェクトの課題と重要性を整理する研究業務を担当。ひとつの国の国土開発や地域開発しか頭になかった私にとって、国境を跨ぐ開発をリードしていくことはまさに想定外でした。コンサルタントや学識者との議論を取りまとめ、私自身も日々学びながら、長期的かつより広い地域を包括した戦略や計画を立案していく難しさや面白さを知り、改めてインフラ開発の経験をさらに深めていきたいと思うきっかけになりました。

変化の
とき

担当プロジェクトで工事が難航している案件があり、状況を把握するため第一子出産後初めてフィリピン北部の施工現場に出張しました。山岳地の厳しい状況下で工事に携わる現場の方々、そして実際に建設されていくインフラ、現場で直面している問題を目の当たりにし、これまで携わった調査業務や東京本部で下す一つひとつの決断の大切さやその意味が、自分自身の実感として繋がった瞬間でした。そして何より、現地を訪れ、遠く離れた関係者やカウンターパートとの信頼関係を築いていくことが、プロジェクトマネジメントにおいて欠かせないということを改めて感じ、その後の全ての業務に対する姿勢にも影響したと思います。

変化の
とき

今までは現場に近い業務が多かったので、このような国際会議の場という仕事は初めての経験でした。しかも英語にあまり自信がなく不安でしたが、「自分が今できる出張業務は貴重な機会だし、失敗しても経験、行ってしまえ!」と腹をくくりました。
腰が引けそうな立派な会場、錚々たるパネリストとの事前の打ち合わせなど緊張しっぱなしでしたが、本番ではJICAの活動やその意義をしっかり伝えることだけに集中し、何とか役割を終えることができました。今までこのような業務には逃げ腰だったのですが、自分自身の作っていた殻を破ったことで、他機関の活動と比較したJICAの強みも知ることができ、将来はこのような国際的な場をリードできるような人材になりたいという気持ちが芽生えました。

産前産後休暇、育児休業

産前産後休暇、育児休業

出産前・出産後の産前産後休暇、及び、子どもが3歳になるまで(最大)の育児休業を取得できる制度。男性の育児休業取得も可能です。また、育児と仕事を両立する職員のため、短時間勤務の制度等も整備されています。

変化したこと

私が利用したのは2013年1月~2014年3月(第1子)、2015年12月~2016年3月(第2子)でした。出産と子育てで仕事を一旦離れた後、改めて仕事に戻ると、仕事から得られる喜びや面白さを更に感じるようになりました。また復帰後の育児では、保育園や近所のママ友を通して、この業界とは全く異なるフィールドで活躍されている方々と出会い、視野が広がるとともに刺激を受け、「自分もいい仕事をしなければ!」と仕事へのモチベーションにも繋がりました。
2017年から、2人の子供(4歳と1歳)を連れてケニアに赴任しています。小さな子供が居るとどうしても制約は出てしまいますが、まだまだこの仕事で実現したいことがたくさんあるので、諦めずに実現する方法を見つけて、前に進んでいきたいなと思っています。

変化の
とき

学部が建築学科であったこともあり、私は当初、不動産やゼネコンを中心に就職活動をしていました。しかし、成長意欲が高く、日本の明治維新や高度経済成長期のような熱い時代にある「途上国」に惹かれていたこともあり、商社や海外展開をするメーカーにも視野を広げていきました。その情報収集をするなか でJICAと出会い、「一組織のためでなく、相手国を第一に「国創り」という大きな使命に挑む」という想いに心を打たれ第一志望に。高校生の時に、家族旅行で出かけたペルーで、選択肢を持ち得ない絶対的な貧困のなかで物売りをする子供に遭遇してショックを受けた経験もあり、「国創りを通して、誰もが最低限の選択肢を持てる世界にしたい」という意志のもと選考に挑み、運よく内定をいただきました。嬉しくて即座に他の企業の選考も辞退し、入構を決意したことを今でも覚えています。

変化の
とき

新卒の入構職員が入構4ヵ月目から全員経験する3ヵ月間の海外OJT。私はインドネシアに赴任しましたが、海外生活どころか東京以外で生活したことがなく、且つ一人暮らしもしたことがなかったので、生活面や語学面での不安が期待と共にありました。滞在中の大半を、首都圏のインフラのボトルネックを解消することを目的とした技術協力プロジェクトの事務所で過ごしました。電力案件を中心にコンサルタント側の立場で日本人とインドネシア人コンサルと共に業務に従事。会議に同席するだけでなく、意見交換やプレゼンテーションを経験することで、大きく3つのことを学びました。1つ目は、一つの案件でも国や民間という立場により、また、長期や短期という期間により、利害や考え方が異なること。2つ目は、分かりやすい資料の作成とプレゼンテーション。3つ目は、論理的思考能力の大切さ。語学力はまだまだ成長が必要でしたが、海外での生活面では特に問題ないと自信を持てたのも大きな収穫でした。

変化の
とき

担当していた発電所の新設案件で、発電所の建設による環境及び生計手段への悪影響に関して案件中止を訴えるNGOと協議する場面がありました。特にインフラの事業では、環境面や社会面への影響やその緩和策を検討するのですが、一言で「相手国のため」と言っても、「相手国の、誰の、何のため?」というところまで検討する必要があります。またそのことによってどのような影響が生じ、悪影響が出るのであればその緩和策があるのか、というところまで広く考えた上で事業を検討・実施していかなければなりません。この経験を通じて、改めて、今自分がやっている仕事が「誰の何のための仕事なのか」ということを意識するようになりました。

変化の
とき

2015年4月にネパールで発生した大地震の復旧・復興のため、復興計画の策定や公共施設の再建、生計手段の再建、女性組合設立支援と多岐にわたる複合的な支援を行う技術協力プロジェクトを担当。2016年12月に震源地付近の激震地でありながら、標高1900mの急峻な山頂にあるバルパック村を訪問しました。この村は都市部からのアクセスが悪く、他の援助機関の支援も少ない状況でした。その厳しい自然環境のなか、懸命に公共施設の再建を進める日本人スタッフやネパール人スタッフ、そして、この支援プロジェクトによる生計手段の再建支援を通じて、被災前よりも収穫量が上がったと笑顔で話す被災者に出会い、それらの光景に心を打たれました。震災復興案件という特殊性もありますが、相手の顔が見える協力には心の琴線に触れるものがあり、大きなやりがいに繋がることを実感しました。

10%共有ルール

10%共有ルール

所属する部署の所掌外の業務であっても、職員本人の専門能力との関連が強く、本人の有する専門能力や知見を組織内で共有・活用、あるいは組織内外に向けて発信するような活動について、本人の業務量の10%以内を目安として携わることのできる制度。

変化したこと

2050年の世界を想定し、その時点でありたい世界や日本、JICAを実現するためには、現在からどのような取り組みをすべきかをバックキャストして考えるゼミ「北岡理事長と若手・中堅職員の白熱教室」に参加しました。理事長や同僚、有識者との議論や情報収集は、それ自体が刺激的で貴重な体験でしたが、政治・経済・技術の大きな変化のなか、先を見据えて行動することの重要性を再認識させられました。日々の業務に忙殺されることなく、物事を俯瞰して捉えることの重要性を知るきっかけとなりました。

変化の
とき

前職で、中国や東南アジアの企業との業務提携を法務担当として進めていた際、ビジネスの市場として途上国の可能性に魅力を感じるとともに、契約交渉で日本の常識が通用せず、商慣習の違いに戸惑うことがありました。日本企業が現地へ進出することは、新たな収益を生み出すとともに、現地にとっても雇用創出や技術提供など経済成長に資する部分もありながら、法体系を含め事業環境の整備が進まなければ、外資企業の進出は促進されません。そのような中で進出先のビジネス環境について調べていた際、JICAが途上国の各国において法整備や民間セクター開発を支援していることを知り、開発協力の分野でのキャリアに興味を持ちました。そうしたタイミングで、官民連携と法制度整備支援を担当するJICAの海外事務所員のポジションの募集があり、新たなキャリアに挑戦することにしました。

変化の
とき

前職で中国の法令を調べていた際に、和訳が見つからず苦労した経験がありましたが、中国事務所に赴任した時に、相手国政府に対する法整備支援のプロジェクトの参考資料として、JICA内に多くの法令が仮訳されていたのを目にし、企業の視点からJICAのリソースを捉え直すと、様々な可能性があるように思いました。現地では、JICA事業と企業のニーズを結びつけるべく、例えば、急速に高齢化が進む中国に進出を目指す介護関連の日系企業と、中国全土で活躍する理学療法士のボランティア隊員の活動を組み合わせたり、建議書などを取り纏めている日本商工会と法制度整備支援プロジェクトとの連携、さらには、絶滅危惧種トキの保護区等と旅行会社との連携なども企画したりしました。このような民間連携事業にさらなる可能性を感じ、JICAの本部側の立場で携わることを希望して、社会人採用を経て職員になりました。

変化の
とき

資金協力業務部でアフリカ、アジア、大洋州から中米に至る世界各国の電力、土木、通信等の無償資金協力によるインフラ建設プロジェクトにおいて、入札から完工まで一連のプロジェクト監理を担当。無償資金協力の対象国は、厳しい自然環境や不安定な現地の情勢などにより、想定外の問題が発生することがあるため、完工に至るまでしっかりと支援しなければいけません。また、アフリカのジブチやガボンというこれまで接点が無かった国に出張する機会があり、グローバルに展開するJICA事業の幅広さを実感しました。出張先では、太陽光発電システムによる電力供給施設の現場を訪問し、過酷な環境で生活する現地の方々の生活改善の効果を目にするとともに、エネルギー省の大臣と政策決定の協議に携わるという国創りのダイナミズムを感じることができました。

変化の
とき

異動の希望が叶い、ビジネスを通じて低所得者層(BOP層)が抱える課題を解決する「BOPビジネス」の取り組みを支援する制度の総括となり、多くの日本企業からの相談や、提案書の審査、プロジェクト実施に携わりました。例えば、ケニアに出張した際、JICAとの連携を目指すベンチャー企業の方から、ヘルスチェックなどのイベントを組み合わせた小売店舗「ヘルシーキオスク」の展開をJICAと連携できないかと相談を受けたことがありました。検討後、案件が採択されると担当者として事業展開を支援。またこの案件はTICAD Ⅵにおいて安倍総理のスピーチで紹介されるなど、様々な方面で注目を集めました。案件終了後に再び現地へ出張した際には、BOP層の方々が「ヘルシーキオスク」を実際に利用している姿を目にすることができ、開発とビジネスの両立を目指す民間連携の醍醐味を感じました。

他流試合(外部機関への出向)

他流試合(外部機関への出向)

JICAでは、組織の活性化とイノベーションの創造・促進を目的に、他機関・組織への職員派遣(他流試合)を推進しています。国内・海外の大学院での長期研修制度の他、国際機関や省庁・大学等への出向など、様々な機会を活用したキャリア形成を支援する取り組みを行っています。

変化したこと

民間連携の分野で先導的な取り組みをしている米国国際開発庁(USAID)に短期出向して、取り組み方の違いについて理解を深める機会をいただきました。JICAでは、自ら投入する資金支援を効率的・効果的に実施することを中心に考えることが比較的多いのに対して、USAIDでは自己投入を梃子に、外部の企業や財団、他の開発援助機関などの様々なアクターと共に開発課題の解決に取り組む”触媒”としての機能を重視している点が特徴的でした。こうした経験を活かしてより効果的な民間連携を実現できればと思います。

変化の
とき

人生初の海外渡航でインドを訪問し、電気・水道・ガスがない地域でホームステイを経験したことが、国際協力に従事したいと考えたきっかけです。生まれる環境に依らず、誰もが自分の可能性や能力を最大限に発揮できる環境を作りたいとの思いから、JICAや開発コンサルタント、メーカー、商社等を中心に就職活動を展開しました。JICAの最終面接で「JICAにずっといるつもりはないです。私が面白いと思わなくなったら辞めます。」と発言したにも関わらず、JICAから内定をいただき、他の内定先とも比較した結果、将来的な自分のキャリアを考え、若いうちに海外での経験を積め、日本における開発協力の主要なプレイヤーとして活躍できるJICAへの入構を決断しました。今でもJICAを辞めていないのは、面白いと思えることを作り出すことを許容してくれ、それに向かって最大限努力できる環境を提供してくれているからです。

変化の
とき

2012年南アフリカワールド・カップの前哨戦となるコンフェデレーションズカップが、2009年に開催され、当時FIFAのオフィシャルスポンサーであったソニーより、アフリカでパブレックビューイング(PV)を実施したいとの相談があり、JICAと連携して初めてガーナで実施しました。私は企画よりも調整業務をメインに担当しましたが、両者がWin-Winとなる事業モデルを模索する中、当時ガーナで実施していたHIV/エイズ啓発に関する技術協力プロジェクトとの連携で進めることが決定。PVの実施は集客力も大きく、効果的な啓発活動が実現できました。
この経験から、他の組織・企業との連携によって、より大きな効果を生み出す事業の可能性を実感しました。当時はまだ「民間連携」の取り組みはなく、全てが手探り状態でしたが、その中で企業との協働事業が進められたことは大きな経験になりました。その後も、メーカーや商社等からの相談に対応しながら、私自身のキャリアにおいても「民間連携」を軸にしていこうと考えています。

変化の
とき

当時、産業政策対話は年2回開催しており、エチオピア側閣僚を議長とするハイレベルフォーラムと、バイ(日本とエチオピア)対談の2階建ての構造で、在エチオピア日本大使館とも非常に密接に連携して企画・運営を行いました。成長期を迎えようとしていたエチオピアの更なる産業発展を支えていく政策を間近で考えることができ、国創りの本質を掴むことができました。ロジスティック面でも日本側の調整に加え、エチオピア側への事前の調整・交渉は非常に神経を使いながら進めました。これらの経験から、いかにキーパーソンを味方に付けられるか、そのキーパーソンに響く説明内容や方法等は何かなど、私たちの意図を適切に伝えるための交渉術を習得することができました。その術は他の案件でも同様に関係者間の協議・交渉においても効果的で、結果、円滑に事業を進められるようになりました。

変化の
とき

民間連携の可能性をひろげるため、企業を対象に開催される海外展開セミナー等において、JICA事業について紹介したり、個別に企業や支援機関を訪問したりして説明しています。セミナーでは参加者の属性等に合わせたプレゼン内容にするよう心掛けており、相手の関心をできるだけ惹きつけられる紹介ができるよう事前準備を大切にしています。また個別相談では、相手が直面している状況やニーズが何か瞬時に把握し、それに合った情報やコンサルテーションを提供し、次のアクションに繋げることを意識しています。現在は、九州7県における「産官学金報」の主要関係機関との関係構築を実現できています。このような経験から、まずJICA事業を知ってもらうよう「営業マインド」を強く持ち、能動的に対外折衝の機会を持つことで、更なる交渉術を磨けています。また、エチオピアで複数分野を担当した経験から開発途上国の「課題観」を身に付けることができ、中小企業が持つニッチな技術・製品が活かされる開発途上国の課題のイメージを共有して企業と一緒に案件の具体化を図るなど、案件形成の勘所を掴む上で、これまでの経験が活きていることを感じています。JICAだけでは対応できない開発事業でもあり、ビジネスマインドも更に磨かれていると感じます。

他流試合(外部機関への出向)

10%ルール

所属する部署の所掌外の業務であっても、職員本人の専門能力との関連が強く、本人の有する専門能力や知見を組織内で共有・活用、あるいは組織内外に向けて発信するような活動について、本人の業務量の10%以内を目安として携わることのできる制度。

変化したこと

「10%ルール」制度を活用し、JICA内でイノベーティブな新規事業を創造することを推進すべく、その事務局メンバーとして制度運営を担当し各種取組を実践。他機関・組織との協働は新規事業創造に不可欠なので、積極的に他組織との連携を進めています。自分自身も今までにない視野の広がりを感じています。

変化の
とき

大学3年生のとき、大学の交換留学制度を利用してイギリスに1年間留学し、途上国開発を学問的に広く学びつつ、休暇を利用してガーナの学校と孤児院でボランティア活動を行いました。そこで見た教育環境は想像以上に厳しいもので、ハード面だけではなく授業の内容や教員のモチベーション・指導能力の改善が必要だという問題意識を持ちましたが、ボランティアとしての一個人での関わり方に限界を感じ、政策レベルにも関与することができる二国間協力に魅力を感じるきっかけになりました。就職活動では総合商社やコンサルティング会社といった民間企業の選択肢もありましたが、JICAの「国創り」という言葉に惹かれ、より大きな視点で一国家の開発に携わることができる公的機関の一員として働きたいと考えるに至り、JICAへの就職を決めました。

変化の
とき

JICAがアルハンガイ県で実施している草の根技術協力の案件視察にNGOの方と一緒に出張した際、都市部から遠く離れたソム(郡にあたる行政組織)を訪れる機会がありました。県庁所在地から草原の道なき道を3時間走って辿り着くソムの中心部から、さらに遠く離れた大草原にゲル(移動式住居)を構えている遊牧民のお宅を訪問。もちろん生活インフラはなく、行政サービスへのアクセスも悪い場所ですが、4世代で暮らす大家族の曽祖父が、「自分のさらに4世代前から、秋はこの場所にゲルを建てて遊牧を営んできたんだ」と誇らしげな表情で話してくれました。モンゴルでは首都への一極集中が著しく、広大な土地に人口がまばらな地方の開発は容易ではありません。私はこの言葉を聞くまで、モンゴルの地方開発のためには公共サービスの効率化・合理化が重要だとしか考えていませんでしたが、一国の開発に携わる人間としての大切な視点が欠けていたことに気づかされました。中央省庁から地元の人々まで様々な立場の人々の言葉に直接耳を傾けることがJICA職員には必要であり、同時にこの仕事の醍醐味でもあると感じました。

変化の
とき

モンゴルの首都ウランバートルでは増加する人口に対して教育施設の整備が追い付かず、学習環境の悪化が課題となっていたため、学校建設の無償資金協力を実施することになりました。日本はこれまでにも50校以上の学校を建設してきていましたが、モンゴルの経済成長に伴い、今回の協力ではこれまでとは一線を画した、モンゴル政府が今後学校建設を進める際のモデルとなる質の高い学校を建設することが求められていました。学校の「質の高さ」「モデル性」を決める要素は沢山あるなかで、何に着目すればモンゴルのニーズに適う学校になるのかを見定めることは難しく、モデル性を確立する過程は一筋縄にはいきませんでした。コンサルタントの方々、モンゴル政府、他の技術協力プロジェクトの専門家等との間で協議を重ね、最終的に、障害児への合理的配慮、防災対策、環境配慮の観点から設計を工夫した「学校を訪れるすべての人々が使いやすい教育施設」を整備することで合意し、贈与契約の締結に至りました。その国が抱えている課題を分析し、それに対するアプローチを様々な関係者の意見に耳を傾けながら考え、一つの案件の形にしていくというプロセスは、大きな経験とやりがいになりました。

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とき

JICAではUHC指標のモニタリング体制強化のため、本邦大学、国際機関と連携した調査プロジェクトを実施しています。セネガル事務所では保健共済組合のマネジメント能力に関する調査を実施するため、ローカルコンサルタントを傭上しつつ日本側とセネガル側との調整役を担っていましたが、着任直後の私にはチャレンジングな仕事でした。日本側の求めるスピードと現地の動きがなかなか噛み合わないことも多々ありましたが、協議を重ねるうちに、JICA事務所員としての多様なアクターの橋渡しをするという役割を少しずつ習得し、無事調査を始動させることができました。実際に調査員と地方の保健共済組合を訪問し、ボランティアで共済組合のために働いている方々から実務上の困難・課題の聞き取りを行った時、地域のために奮闘している人々の声を政策に反映させるきっかけとなるこの調査の意義を実感しました。調査内容は、各国政府高官・国際機関等が集うUHCフォーラムのサイドイベントでも発表されました。

変化の
とき

JICAの面談で思い出すのが、学生を歓迎する雰囲気と明るさ、そして丁寧さと真摯な姿勢です。就活中にお会いした職員の皆さんが、相手の将来を真剣に考えて助言する姿勢に惹かれました。
そこまで自然に対応できるのは、おそらくJICAの仕事自体が「人の暮らしの改善を考える」ことだからだと思います。
ほかにもJICAの入構案内だけでなく、ご自身の部署の関係資料を用意して説明してくれる方もいました。また、現場での一般市民との対話から相手国政府との政策レベルの決定まで、幅広い層と関わる仕事はJICA特有のものだと思い、魅力を感じました。
また、JICA内でも勉強会を開催したり参加したりしている方が多く、好奇心と向学心の強い人が多いと思いました。この環境であれば、私も仕事をしながら自分の関心分野をより深められると感じて入構を決意。その印象は今も変わっていません。

変化の
とき

「最も貧困にあえぐ人が健康格差の最底辺にいる。健康が贅沢品であってはならない。」セネガル保健省(当時)の担当者の言葉です。彼はのちに2015年に新設された医療保健庁の初代長官になり、JICAと共にセネガル初の国民皆保険制度を築く案件の一翼を担います。「一つの教室に100人くらいの生徒がいる。これだけでは勉強する環境が足りない。放課後の補講の設置など、地域全体で学校運営を支えたい。」ブルキナファソで、地域住民から成る学校運営委員会の会議に来ていた男性の言葉です。自分の子供はすでに自立しているけれど、地域を大きな家族と捉えて学校運営に関心を寄せています。住民から政府要人まで、その国での暮らしに対する考えがあります。あらゆる層の人に会って話を聞けることがJICAの強みであり、これを最大限生かして、課題に対する処方箋をその国の人と一緒に作ることがJICAの仕事の醍醐味だと気づきました。

変化の
とき

法制度、放送局運営、警察行政、選挙・議会制度などのガバナンス分野は、相手国の政治体制、統治の仕組み、文化、思想など、“その国がどうしてその国たり得ているのか”、つまりその国の本質と向き合う分野です。JICAが担う事業分野のなかで、その国の在り方を形づくる場所に最も近づける分野だと思います。それ故に、やみくもに日本から見て最良だと思うものを強調するのではなく、相手国の在り方を傾聴して理解する力が必要とされます。
例えば、日本では法律をつくる際には運用後の問題も十分検証して制定しますが、ベトナムでも同様とはいえ、実務上は制定後の運用段階で問題を見つけて、改善に役立てる傾向があります。コートジボワールに設置したコールセンターは、コートジボワールが自立的・持続的に運営できる方法を考える必要があります。また、南スーダンやコソボのTVのゴールデンタイムが日本と同じとは限りません。これらは相手国と議論しながら分かってきたことで、相手国から「それは君たちのやり方だろう」と指摘されること、「それは役立つので導入したい」と歓迎されること、両方あります。議論を通じて相手国の理解に努め、こちらの意図も理解してもらう、この信頼関係のうえで協力は最良の効果を発揮します。この関係が希薄だと何を改善すべきかについて、同じ認識を見出すことが難しくなります。国創りの中枢に触れる分野であるからこそ、この姿勢が重要だと思い取り組んでいます。