貪欲に学ぶ現地の大学生を知り
学び合う国際協力の必要性を痛感

研究で訪れたインドネシアで多くの人に出会い、お互いが学び合う国際協力の大切さを実感しました。またその帰国直後、アジア各国に未曾有の被害をもたらしたインド洋大津波が発生し自分が滞在していたインドネシアも甚大な被害に見舞われたことを目の当たりにし、自分の専門性を活かした防災を通じた国際協力を志すようになりました。

スリランカでのOJTで学んだ
国際協力の最前線

海外研修(海外OJT)で訪れたスリランカでは、JICA事務所だけでなく、さまざまな国際協力機関にも派遣され、視野を広げることができました。

念願の防災協力のための部署へ異動
多忙だけれど最高に充実した日々

防災の先進国である日本には、すでに多くの知見が集積されています。防災は日本の国際協力の重要なメニューとして注目されており、防災の考え方を途上国に根付かせていきたいと思っています。

防災は国際協力の大きなテーマ
日本だからできることがたくさんある

阪神淡路大震災20年記念イベントや第3回防災世界会議の開催を通して、防災は日本が世界をリードすべき大きなテーマであることを改めて感じました。

今後、目指すもの。

現在、2回目の防災第一課に勤務しています。これまでの経験を踏まえて、改めて日本が実施する防災協力の重要性を感じるとともに、世界的な防災の重要性の高まりを実感しています。防災分野は、日本では当たり前のように取り組まれていますが、途上国では、取り組みはもとより、防災に対する意識が十分ではありません。2015年に第3回国連防災世界会議で採択された「仙台防災枠組」は最も重要な国際的防災指針であり、また東日本大震災という歴史的な災害の被災地で制定されたという意味で日本にとっても重要な枠組みです。さらに私自身にとっても、学生まで過ごし、また防災協力を志し始めた地である仙台の地名が防災の国際的指針に記されているという意味で非常に感慨深いものがあります。この指針を柱に、今後一層、日本が防災先進国として途上国を中心に防災能力の強化を進めていくと共に、災害による被害を少しでも減らすことができるよう、JICAの一員として貢献したいと思っています。

JICAとの出会い

2004年

初めての海外旅行として研究テーマの対象国であるインドネシアを訪問したとき、現地の大学生が貪欲にどんなことも学習し成長しようとする姿勢に驚き、同時に自分を含めた日本の将来に危機感を感じました。このことをきっかけに、これからの日本は開発途上国と学び合う国際協力が必要と考え、JICAのことを意識するようになりました。

2007年

海外派遣前や派遣中の
ボランティアサポート

青年海外協力隊などのボランティア事業のうち、派遣前、派遣中のボランティア活動をJICA本部からサポートしました。主に派遣計画の策定、ボランティアの活動内容、候補者の選定などを担当。国際協力に携わる人々の熱い想いや、様々な国際協力の携わり方を学びました。

東日本大震災が
発生

2011年

防災第一課にて勤務していた時に、東日本大震災が発生。途上国における防災協力を進める上で、改めて日本の防災のあり方が注目され、防災協力の重要性とともに今後の防災協力のあり方を考え直すきっかけとなりました。

インドネシア国
「気候変動対策能力強化プロジェクト」業務調整員

2011年

JICAの海外事務所の所員ではなく、JICAが実施するプロジェクトの業務調整員としてプロジェクト現場に配属されました。インドネシア政府関係者等との日々の協議に加え、日本人専門家の調整役及びプロジェクトにおけるインドネシア人スタッフの取りまとめなども担当、国際協力の現場活動を肌で感じました。

多面的な視点を持つ国際協力に感銘を受け
私もその担い手になることを決意

高校時代のベトナム訪問や大学時代のイスラエルとパレスチナ訪問でJICAの事業に触れ、
国際協力を志すようになりました。

信頼関係を築きながらニーズをくみ取る。
国際協力の基本姿勢を学んだ

スリランカ事務所で専門家と農家を一軒一軒訪ね、必要な支援は何かを聞き取っていきました。信頼関係を築きながらニーズをくみ取っていくJICAの仕事の基本を学びました。

母子健康手帳を持つ妊婦に出会い
命に寄り添う支援に関心を持った

セネガルを訪ねた際、病院でJICAが支援した母子健康手帳を大切そうに持つ妊婦に出会ったことが、保健医療分野に関心を持つきっかけになりました。

今後、目指すもの。

JICAへの入構時は教育分野に特に関心がありましたが、前部署で保健医療分野に携わったことがきっかけとなり、この分野への関心が非常に強くなりました。一方、文系大学出身であることから、日々の業務のなかで保健医療分野の専門性が不十分であると感じることもあります。今後は国内長期研修等の社内制度を活用し、より保健医療分野における専門性を育んでいきたいと考えています。また、将来的には在外事務所等で経験を積み、より現場に近いところで調整力を磨いていきたいと思っています。

就職活動

2014年

幼い頃から将来国際協力に携わることが夢で、就職活動では国レベルと現場レベルの双方から開発途上国の国創りに関わることのできるJICAが第一志望でした。学生時代は民間ユネスコ活動に関わっていたことから、とくに教育分野の支援に関心がありました。

2016年

南アジア地域の
JICAボランティアを担当

 

初の海外出張はマレーシアでした。2015年に青年海外協力隊事業が50周年を迎え、最初の派遣国の一つであるマレーシアで記念式典を開催しました。ボランティアのOBやOGが当時の同僚や仲間と再会を喜ぶ姿が印象に残っています。

2017年

保健・医療分野の
JICAボランティアを担当

保健医療分野の協力隊員の活動現場の視察にセネガルを訪れた際、首都から車で6時間程かけて訪れた病院でJICAが支援した母子健康手帳を大切そうにもつ妊婦に出会いました。人の命に寄り添う温かい支援を行いたいと思い、その後、保健医療分野に関心をもつきっかけになりました。

確かな実務能力とリーダーシップ
JICA職員の姿が印象的だった

フィリピンでJICA職員の方が活躍する姿を目の当たりにして心を動かされ、
私も同じように活躍したいと思いました。

フィリピンで知ったODAに関わる人々の思い
現場とのコミュニケーションの大切さを知った

JICA入構後は東南アジア大洋州部に所属、主にフィリピンの案件の監理や
防災対策事業などに関わりました。

やろうと思えば何でもできる
それがJICAの面白いところ

民間企業と連携し、フィリピンの政策課題に応える「防災」×「金融」の新規事業を立ち上げました。前例のない事業の企画であり、JICA理事長賞も受賞することができました。

金融リスク管理業務を通じて
JICAの財務運営方針策定にも関与

総務部金融リスク管理課に異動し、JICA業務の金融リスク管理について一から学びました。金融全般についての知識も蓄積することができました。

今後、目指すもの。

JICAの業務フィールドはとても広く、これまで身につけた金融の知識を活かして、新しいことに挑戦してみたいと思っています。将来は、公共政策か経営の修士号を取り、よりグローバルなフィールドに出ていける人材になることも目標です。国際機関への出向も希望しています。途上国政府のニーズやJICAを取り巻く環境は刻々と変化しており、今後JICAとしても事業メニューや事業の進め方、財務戦略等で変化が求められていくと思います。こうした中では、JICAを取り巻く状況を客観的に理解し、新しい環境に即した事業提案・組織運営ができる能力がますます必要になっていくと想像していますが、その一端を担えるようになりたい。また、女性として、ライフステージに応じて家庭と両立させながら仕事をしていける職員を目指したいと思っています。

2012年

JICAとの出会い

フィリピンでの台風災害の復興支援学生NGOの立ち上げに参加したとき、現地でJICA職員と出会いました。パッションだけでなく、確かな実務能力とリーダーシップで話をどんどん前に進めていく姿が印象的で、就職活動でJICAを候補に考えるきっかけとなりました。

2014年

日フィリピン経済政策会合の
企画・運営

マニラと東京で、日本とフィリピンの政策研究者や次世代の政策を担う関係者などと100人を超える規模の政策対話を開催しました。入構後間もない時期でしたが、フィリピン事務所のフィリピン人スタッフと連携しながら、会場の確保や備品の用意など、実施に関する業務全般を担当。無事終わったときには、大きな達成感がありました。政策対話に携わることで、JICA業務のダイナミズムを感じることができました。

2015年

世界銀行との協調融資案件形成

初めての円借款案件形成でマニラに出張し、融資条件や事業内容についてフィリピン政府や世界銀行と何度も交渉し、協議を重ねました。

中国政府系金融機関との協議

2016年

中国へ出張し「債権管理の観点から見た金融リスク管理」をテーマにプレゼンテーションを行いました。これを機に、他の国際機関や開発援助金融機関のプラクティスについても、アンテナを張りながら自分の業務に望むことを意識するようになりました。

公共性の高い仕事を探す中
JICAと出会う

学生時代に国際関係や貧困問題を学んでいましたが、先進国による「援助」にはやや疑問を感じていました。その誤解を解いてくれたのが就職活動時のJICA理事長、緒方貞子氏でした。

まずアフリカの農業・農村開発分野へ
エチオピアの緊急支援事業の立ち上げも担当

入構後の海外研修(海外OJT)で約半年間パラグアイ事務所に勤務。帰国後、初の事業担当時には、農業・農村開発の専門的な内容について行けず自信を失いかけたこともありました。

厳しい環境の中でまず築いた信頼関係
今も続くアフガニスタンの人々との交流

JICAでしかできない仕事を希望し、念願かなってアフガニスタン事務所に赴任しました。その後研修制度を利用しFAO(国連食糧農業機関)本部に勤務する機会を得ました。

「現地で本当に必要とされているもの」は何か?
事業形成に向け現場の観察を進める

現在はインドの農業と森林分野の事業形成を担当しています。「現地で本当に必要とされていることは何か」。この問いを常に頭に置き、業務に取り組んでいます。

今後、目指すもの。

私には農業の学問的なバックグラウンドはありませんが、これまで農業分野での業務経験を積んできた中、農業の持つ多面性に面白さを感じています。農業は、インフラ整備や栽培のような自然科学的な側面のみならず、その土地その土地で異なる文化、社会、経済を理解するための社会科学的な側面も持っています。また、国境を越えて取り引きされる農産品、食品については、グローバルな視点を持つことも重要です。今後も引き続き農業分野に携わり、現場の課題、求められているものを見極められる分析力と、解決のための事業構想力、実現力を高めていきたいと思っています。また仕事の場所や規模にかかわらず、目の前の仕事にのみとらわれて自分や組織の都合の押し付けや思い込みにならないように、また、最終的な仕事の成果を届ける相手を見失わないように意識しながら、常にそういった人たちが希望している世界がどんなものなのか、より深く理解し、その実現に繋がる仕事をしていきたいと思っています。

パラグアイ事務所での海外OJT

2008年

海外OJT(On the Job Training)という研修制度で、6ヶ月間パラグアイ事務所に勤務する機会を得ました。契約事務やJICA本部からの出張者の受け入れなど、様々な業務を担いました。元々関心のあった農業分野では、現地の日系人の方と共に農家インタビューを行い、JICAの今後の事業についての提案も行いました。

2012年

アフガニスタンの農業農村開発プロジェクト

JICAでしかできない仕事をと思い、アフガニスタン事務所を希望し、農業農村開発分野を担当しました。まずアフガニスタンの関係者と信頼関係を構築すべく、治安に気をつけながらできる限り担当省庁に通い、率直に向き合うよう心がけました。今でも、当時のアフガニスタン関係者との付き合いは続いています。不安定な治安と脆弱な行政機構という環境下でどう成果を出すか、悩みつつも充実した勤務経験でした。

変化の
とき

美術系やデザイン系の大学を志すが様々な事情で工業大学へ進学。せめてグラフィックに関わるためCG分野を志す。広告やデザインは趣味でやりつつもCG分野の魅力にものめり込み、就職は教授の紹介でCGシミュレーターの開発会社に内定。しかし、ちょうどニューヨークテロがあった時期で、報道など伝えるべき使命に興味を抱く。また、卒業旅行ではとにかく知らない場所、文化が感じられる場所へと思い、身近な東南アジアのなかで、タイとカンボジアを巡る。そして、安全な範囲で少しでも現地の人々に触れ合うため、大手ツアーなどは使わず現地の小さいツアー会社で観光。今までの自分の環境は恵まれていることを実感しつつも、知らないことの多さ、そして人にもっと伝えたいことが多いことを実感。就職先を変更するまでではないが、どこか広告などの仕事への想いを持ち始める。

変化の
とき

入社2年目に転機が訪れる。一つ下で入社後輩が入社半年で退職し、幼い頃から志していたハリウッドでの映像制作、その時はCGアニメーターになるために渡米。それをきっかけに、生涯かけて本当にやりたい事を徐々に考え始める。また、当時の先輩社員の開発者としてのプロ意識やCG業界のめまぐるしい技術変化に対応するための業界調査などを目のあたりにし、何となくCG分野を選択した自分との差を感じ始める。そして、幼い頃に見たCMやこれまでの好きなこと、人生をかけて学びたいことなどを振り返り、グラフィックデザイナーになって、多くの人に物事を魅せる仕事をしたいと決意する。

利用した制度

社内公募制度

入社3年目くらいから社内のメンバーで公募コンペに取り組む。会社の許可をいただき、通常業務に影響させないことを条件に、業務時間内や残業時間で作品を作り始める。そして、2010年にエコジャパンカップという公募コンペで特別賞をいただき、そのお披露目の会場で某出版社より商品化のお誘いを受け2012年に商品化となる。

変化したこと

業務と並行しての取り組みで大変ではあったが、普段接しない人からの評価やそこから人脈が繋がっていったことにやりがいと達成感を感じることができた。自分の考えたアイディアが商品化するというこの上ない評価を受け、制作に携わる人間として今後のキャリアを磨くきっかけとなる。

変化の
とき

マイナビでの大きな経験としてはJICA様を担当できたこと。2015年の入札から担当。国際協力業界について全く知識がないなか、協力会社の方々の助けもいただきながらどうにか落札。このとき実は入札日の2週間前が結婚式(沖縄)で、これまでの人生で一番バタバタしたことを今でも鮮明に思い出します(汗)そして、初年度から入構案内、採用ホームページ、社員密着映像の制作に伴い、多くの職員の方々に取材に同席させていただき、その仕事内容や仕事への使命感などに大変刺激を受けました。また、社員密着映像ではバングラデシュで活躍する職員に密着。撮影期間は3日間で、ほぼ時間的無駄のないハードスケジュールで撮影を敢行。職員の方々も時間の許す限り、途上国の現場(発電所や省庁、現地電力会社、ファストファッションの工場から出される大量のゴミ処理場など)を案内していただき、就活生用の制作物の仕事ではありますが、私個人としても非常に貴重な体験をさせていただきました。その後も継続して担当させていただき、少しずつ世界の課題やその解決に向けて取り組む世界の動きなどを学ばせていただいています。そして、少しでも多くの学生にその「使命感」を伝えるべく、より一層魅力的な企画・広報に取り組んでいます。

変化の
とき

インドネシアの訪問は3週間程度の滞在でしたが、現地の人々といろいろ話す機会があり、初めての海外、途上国訪問の経験を通じて、将来の職業として国際協力を志すきっかけになりました。帰国して3日後、アジア地域に未曾有の被害をもたらしたインド洋大津波がインドネシアを襲いました。現地で出会った人々に被害はなかったものの、直前まで訪れていた国が災害により大変な状況になっている事を目の当たりにし、防災の重要性、そして防災大国である日本発の防災分野の国際協力の重要性を実感しました。もともと防災分野に関連が深い気象、気候分野を学生時代に専門にしていたこともあり、JICAの仕事を通じて防災協力に携わりたいと考えるようになりました。

変化の
とき

新人研修として、8ヶ月間スリランカ事務所に配属となりました。研修中は事務所への配属だけではなく、JICAが関連している各組織(大使館、JBIC(当時)、プロジェクト現場、青年海外協力隊)の活動現場などで研修を行う機会も多くありました。JICA職員としては経験できない各組織での業務を通じて、国際協力の現場での幅広い視点を養うことができました。さらにJICA入構当初から、現場の様々な関係者と話をし、一緒に活動する経験を得たことで、JICA職員としての国際協力に対するあるべき姿勢を学び、また本部など途上国の現場から離れた場所での業務においても途上国の様々な状況をイメージしながら業務を進めることができるようになりました。

変化の
とき

念願叶って防災第一課に配属となり、防災プロジェクトを担当することになりました。しかし、当時の防災課はまだ新しく、若手が中心のチームでした。またJBICとの統合による有償資金協力の追加や科学技術協力という新しい協力メニューの開始も重なり、防災分野の知識だけではなく、JICAの事業を幅広く学習する日々でした。非常に忙しい時期でしたが、新しいプロジェクトを立ち上げるために、対象国の災害状況、防災体制を調べ、必要な防災協力の内容を検討する過程において、防災の重要性や防災協力の必要性を改めて学ぶことができ、充実した日々を過ごすことができました。

変化の
とき

JICA関西ならびに兵庫県と共同で設立した国際防災研修センター(DRLC)に配属となり、2015年にDRLCが主催した阪神淡路大震災20年記念シンポジウムの業務に、企画から関係者の出席調整、当日の運営まで主担当として携わりました。この業務を通じて、兵庫県、神戸市の地元の方々の防災に対する熱い気持ちを感じ、日本の防災の真髄を垣間見ることができました。また同じ年に自分自身の地元の仙台において、防災の世界規模の会議である第3回国連防災世界会議が開催され、会議運営やJICAイベントにJICAの防災メンバーの一員として携わり、国際的防災指針の策定プロセスや世界の防災の潮流を間近で見ることができました。このような日本や世界の防災の重要イベントに携わったことで、防災協力を中心としたJICAでのキャリア形成をますます志すようになりました。

変化の
とき

高校1年の夏に神奈川県の代表としてスタディツアーで訪れたベトナムのJICA事務所がJICAとの初めての出会いでした。その後、大学2年の夏にイスラエルとパレスチナに短期留学をした際に、JICAパレスチナ事務所やJICAの支援によって誕生した太陽光発電システムを見学したり学校を訪問する機会がありました。多面的な視点をもって政府や住民の意向をくみとり、支援を形にしていくという日本の国際協力の姿勢と規模に感銘を受けました。また、訪問した学校でパレスチナの未来を真剣な眼差しで語る子供の姿に心を打たれ、将来国際協力に携わりたいと決心しました。

変化の
とき

入構後、国内での研修を経てスリランカ事務所で3ヵ月の海外研修(海外OJT)を経験しました。まだ国際協力の右も左も分からなかった頃、JICAが派遣している農業の専門家の方と一緒に農家を1軒1軒訪ね、どういった支援が必要か、聞き取りを行う機会がありました。開発現場の最前線で活動する専門家と行動を共にするなかで、何度も家を訪問し信頼を構築しながら相手のニーズをくみ取っていくその姿から、国際協力の大切な基本姿勢を学ぶことができました。日々の業務では、常に現場の近くにいることはできません。様々な関係者の意見を聞くことで現場を想像し、より良い支援につなげていくことが大切だということを、海外OJTを通して知ることができました。

変化の
とき

アンゴラ保健省の関係者ら7名を日本に招へいしました。アンゴラでは2017年から「母子健康手帳を通じた母子保健サービス向上プロジェクト」が開始されています。この招へいは日本の母子保健の歴史や取り組みを学んでもらうことなどが目的でした。アンゴラでは母子健康手帳の改訂を行っていますが、子供の成長曲線に、体重に加え身長も記載することについて関係者の意見が分かれていました。今回の来日で助産院や病院、行政機関等を訪ねることを通じて、体重・身長の両方を記載することで同意を得ることができました。自国の価値観を押し付けるのではなく、双方の関係者が直接議論を行うことが、よりよい支援につながることを改めて感じました。

変化の
とき

フィリピンでのNGO立ち上げに参加した際、草の根活動の良さも感じる一方、草の根からは届きづらい領域があることも知りました。責任をもって経済社会開発を進めるためには、課題を捉える「虫の目」に加え、全体を見る「鳥の目」と「魚の目」を持つことが必要です。JICAはそれが養える場であり、同時にグローバルなフィールドで日本のプレゼンスを上げられるダイナミズムが魅力的で、入構を志望しました。一年目から現場に出て、案件形成に主体的に携わる機会がある点も魅力的でした。実際、入構後に、学生の時に携わったNGOが活動する地域で、JICAの職員という立場で円借款案件の形成に携わったときは「ここまで来た」という深い感慨を覚えました。

変化の
とき

入構後の海外研修(海外OJT)でフィリピン事務所に勤務し、防災事業を中心に、首都マニラと地方のプロジェクトサイトを行き来しました。日本と同様、大きな自然災害に見舞われることの多いフィリピンですが、私は、巨大台風の被災地での復興支援事業や、マニラ首都圏を流れる大河川の洪水対策事業の案件監理の補助や調達業務等に携わりました。日本がODAを通して今まで行ってきた事業の長い歴史とフィリピンとの信頼関係を感じたことに加え、ODAに関わる様々な関係者がどんな気持ちで業務に携わっているかを直接知る貴重な機会になりました。プロジェクトサイトから離れている東京のJICA本部においても、現場とのコミュニケーションや様々な関係者の立場を考える姿勢が大切であることを実感しました。

変化の
とき

この調査は、民間企業と連携して、災害の多いフィリピンにおいて「防災」と「金融」を組み合わせて、より災害リスクに強い国づくりを促進する資金のメカニズムを提案することを目的としたもので、JICAでも前例のない取り組みでした。新しいニーズに応じた新しい事業のあり方を提案している点を評価いただき、2016年度のJICA理事長賞を受賞しました。フィリピンの政策課題に対し、日本のしかるべき関係者を繋げて新しい事業を作ることは、まさにJICAの"resource mobilizer"(資源の動員者)としての役割を体現していると思います。前例のない事業を立ち上げるのは一苦労でしたが、やろうと思えば何でもできるのがこの組織の面白いところだと思いました。また、この分野は、世界銀行等の国際機関が多くのナレッジを持っており、国際機関の職員と一緒に仕事をしたことも印象に残っています。

変化の
とき

JICAでは、円借款や海外投融資を通して、開発途上国の発展への取組みを資金面から支援しています。金融リスク管理とは、日々のリスクのモニタリングや中長期的な収支見込から、こうしたJICAの金融業務を適切に行うため、どのリスクは取れるのか、どのリスクは取れないのか、という視点で、JICAの経営戦略全体を捉える業務です。金融知識は十分ではありませんでしたが、職場の支援も得て金融講座に通い、また、日常業務では先輩から指導いただき、徐々に金融リスク管理や金融市場の動き、国際援助機関の財務運営等、金融全般についての知識を蓄えることができました。自分の作った数字を根拠に組織全体の財務運営の方針が決まることもあり、入構4年目ではありますが、役員の意思決定と組織運営を日々身近に感じながら仕事をしています。

利用した制度

語学検定受験料補助制度

英語その他の言語の語学検定受験料を補助する制度。その他、英語及び他言語(フランス語、スペイン語、中国語等)の自己研鑽を補助する制度(語学学校の受講料・教材費等の一部補助)なども整備されています。

変化したこと

語学能力は将来のキャリアの幅を広げると思い、また昔から語学の勉強が好きだったこともあって、学生時代から勉強していた中国語の国際的資格であるHSKを受験しました。その際にこの制度を利用し、最上級の6級まで取得することができました。取得後、北京で開かれた中国の政府系金融機関との協議に参加する機会をいただき、中国語を活かしたプレゼンテーションや協議をすることができました。

変化の
とき

大学、大学院で国際関係論を専攻する中で開発経済や貧困問題を学び、JICAの名前も聞いたことがあったものの、「援助」にあまり良い印象は持っていませんでした。何か先進国の押し付けや、現地で求められていないものを先進国のエゴで提供しているように感じていたからです。しかし、就活時に初めて緒方貞子理事長(当時)のメッセージに触れ、途上国や国際的な課題に真剣に取り組んでいる組織なのではと感じ、興味を持つようになりました。その後JICAについて調べていくうちに、途上国への開発協力のために、自分もこの組織で働いてみたいと思うようになりました。

変化の
とき

パラグアイから帰国後、管理部門への配属を経てアフリカの農業・農村開発分野の技術協力を担当する部署に配属となりました。灌漑工事などのハードウェア、住民参加型開発といったソフトウェア、さらに農薬分析のような高い専門性が求められる事業など、農業・農村に関するものは何でも扱う部署であったため、専門的な内容についていけずに、当初は苦しみました。それでも業務経験を積み、周囲の専門家から学んでいく中で、それぞれの課題が農村開発の中でどう位置付けられるのか、徐々にわかってきました。担当していたエチオピアで干ばつが起こり、牧畜民を対象とした干ばつ対策の緊急支援事業の立ち上げを担当したときには、JICAとして未経験の分野であったものの、それまでの業務経験を活かし、対象地域の自然環境、社会経済に配慮した事業を形成することができました。

変化の
とき

JICAの「実務経験型専門研修」という研修制度を活用し、自分で研修先を見つけて勤務したのがFAO(国連食糧農業機関)のローマ本部です。FAOの本部は、国家間、また政府以外のNGOや民間企業など様々なステークホルダー間の調整や、ステークホルダーが共有・合意できる国際的な基準や原則の策定及び適用といった機能を持っています。それまでの業務では国単位で開発事業を見ていましたが、国際農業投資や食料問題、気候変動など、国の枠を越えて地球規模で捉えるべき課題について考えていく視点を得ることができました。また、外側からJICAという組織、引いては日本という国を眺められたことにより、JICAの、またその一員である自分の能力について、客観的に強みや弱みを分析することができるようになりました。

変化の
とき

FAOでの研修後、JICA本部でインドの農業と森林分野の円借款の事業形成を担当しています。インドでは事業形成に必要なデータは入手しやすい一方、円借款事業は規模が大きく、事業現場や関係する人々をイメージするのが難しいとも感じました。現地で本当に必要とされているものは何なのか、現地の人々の暮らしがどうなっているのかを理解するためには、現場の観察が重要だと感じています。今は全体像を掴むためのマクロのデータ、肌感覚で現場の状況を理解するための現場の観察、本当に求められているのは何なのかを聞き出すための現地関係者からの聞き取りなどを行い、総合的に分析した上で望ましい事業形成ができるよう日々業務に当たっています。

利用した制度

実務経験型専門研修

JICA外の組織(国際機関、大学・研究機関、NGO等)を職員本人が選択し、専門能力の向上に資する実務経験を得るための研修内容を提案する制度。組織ニーズや分野課題と提案内容との整合性などを踏まえ、実施可否が決定されます。

変化したこと

JICAで働いているだけでは得られない視点を持ちたい、自身の専門性を高めたいと思い、知人経由で勤務先となるFAOの部署に直接連絡を取り、この制度を利用して2015年から1年間勤務しました。専門性については常に向上させていかなければと思っていますが、FAOで意識するようになった食料や気候変動などグローバルな課題の中で一国を位置付けるという視点は非常に重要であり、現在のインドの業務でも役に立っています。