2024年5月20日
吉本 真子(広島県出身 2019年度1次隊、2023年度9次隊 青少年活動)
2019年の夏に始まった、5年近くになる私の協力隊活動がようやく終わりました。新卒で協力隊に参加して、派遣後すぐに新型コロナウイルスの世界的流行により緊急一時帰国。その後日本で初めて社会人として働いたのは、広島にあるJICA中国センター。仕事の中で自分と同じように一時帰国し再派遣を待ち望む隊員、派遣国に戻りたいが家族が出来たり、今後のキャリアを考え再派遣をあきらめた隊員たちと関わり、ボランティアとして国際協力に参加することの意味を考えさせられました。当時、派遣期間を長く残したまま帰国せざるを得なかった私たちには、希望すれば再度協力隊員として派遣されるという選択肢があり、私もその一人でした。しかし、再派遣が今の、そしてこれからの私に本当に必要なのか、さんざん悩みました。結果、再びキルギスに行くことは将来教員として働くという目標にプラスになると考え、また、大好きになったキルギスでもう一度生活したい気持ちもあって、JICA海外協力隊員としてキルギスに戻りました。
みなさんこんにちは。ユーラシア大陸のど真ん中、キルギス共和国のナリン州コチコル村に派遣されていた吉本です。大学3年の時の進路相談会で元協力隊の卒業生から話を聞いたことがきっかけで、もっといろんな経験を積んでから教師になろうと、自己成長のためにも参加を決めました。現地に派遣されてからは、派遣先から求められることに対し、教員としての勤務経験のない自分には正直難しいと感じることもありました。期待に応えるには知識や経験が不足していると感じ、自分の参加動機が如何に浅はかだったことか反省する日々。それでも何とか期待に応えようと、相手の求めること、また現地の人達にとって「幸せ」とはどんな事か、必死になって考える日々を過ごしたのが1回目の派遣でした。そして、満足のいく協力隊活動ができないままコロナで一時帰国、日本で改めて“社会人”として働きました。コロナに翻弄されつつもいよいよ再派遣を決めてからは、前回よりももっと成長して、もっと派遣先に貢献できるよう日本の学校で教員経験を積むことにしました。幸い期間限定でも採用して下さる学校があり、そこでの毎日は全てがキルギスでの活動に生かすことのできる、大変学びの多い時間になりました。授業をスムーズに進めていくには、授業準備だけではなく、周りの先生方との情報共有が大切だと学び、またJICA中国では、不測の事態への対応のコツを学びました。予想外の事態にはパニックにならず、まずは自分なりの対応策を考え、自分は何が分かっていないのかを整理した上で必要な人に相談する習慣がつきました。それらの経験のおかげで、2回目の派遣ではキルギスの職場で起こりがちなイレギュラーな事案にも、冷静に状況を観察して対応することができたように感じます。
キルギスへの再派遣を決めるにあたって、ひょっとしたら2回目の経験は無駄になるかもしれないという怖さがありました。6か月という短い期間でキルギスの人々のためにどれほどのことができるのか、日本で働く経験を重ねたはずが何も成長していなかったとしたら、2回目の協力隊経験を経て自分の中に1回目と違う何かが残るのか…。同い年の子達は当時すでに社会人5年目。1回目の協力隊参加で得られたものはたくさんありましたが、同世代がどんどんキャリアを積み、先のライフステージに進んでいく中で、私は一回りも二回りも遅れてしまうのではないかと不安でした。そして2023年11月、再派遣後の約4年ぶりのビシュケクは母国語の定着が進み、ロシア語よりキルギス語を話す人が増え、コチコル村もスマホを持つ子が増えるなど時の流れを感じました。それでも、久しぶりに会う当時の生徒や同僚たち、キルギスの人たちの温かさが変わっていなかったことが本当にうれしかったです。1回目の派遣の時は、派遣後しばらく村の食事に慣れず時に体調を崩していたのが、今回は嘘のように短期間でキルギスの環境に慣れていきました。4年の月日でキルギス語はだいぶ忘れてしまったものの、少し時間が経てば不思議と感覚が戻ってきました。
キルギスの学校でありがちな、突然変わる授業予定や急なイベントへの対応も、前回派遣時の経験のおかげで今回はすんなりと受け入れて必要な対応ができ、前回に比べてかなり活動がしやすいと感じました。以前、あれほど日本との考え方の違いに戸惑いを感じていたのが、今回の派遣では彼らに考えの背景を聞くことを心がけたおかげで、むしろ相手の言うことに共感することが増えました。今回、現地の人達との関わりで新たに学んだ事は、話している相手と意見が食い違ったときの心の持ちようです。日本ではどちらか一方の意見が通り、これにストレスを感じる事が多かったのですが、キルギスの人達から、違ったままの意見をそのまま受け入れることを学びました。お互いの主張がぶつかっても、「自分の意見とは違うけど、あなたはそう思うのね」と会話が終わります。意見の相違が解消されたわけではありませんが、“言いたいことは言った、違うならしょうがない”と、話がそれなりに丸く収まることで必要以上にストレスを溜めないコミュニケーションを取ることが出来ているようです。このメンタリティには驚きましたが、私の周りのキルギスの人々はとても正直で、思っていることが顔に出やすい方々が多く、この心の持ちようが故にキルギスの受け入れ上手であたたかく、大らかな性格が生まれたのかもしれないと思いました。
結果として、無駄になるかもしれないと恐れていた2回目の派遣は、新たな発見と自身の成長を感じることができる、かけがえのないものになりました。また、帰国する時に学校の同僚や生徒たち、そして日々の癒しと心の支えになっていたホームステイ先の家族から大変あたたかい感謝の言葉と、半分本気で「キルギスに残ればいいのに」と言われながら見送られ、私の中でキルギスへの感謝の気持ちと名残惜しさがとめどなく溢れてくるのを感じました。温かくて優しいキルギスの人達に支えてもらいながらではありますが、少しはコチコル村で草の根外交官としての役割を果たせたかなと思っています。