2019年度帰国 青年海外協力隊(JOCV) 棚原 直哉(那覇市出身)

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職種:青少年活動
派遣国:マダガスカル
配属先:ミアリナリブ市役所
派遣期間:2017年9月~2019年9月
略歴:琉球大学卒業後、宜野湾市教育委員会から現職参加制度を利用し、青年海外協力隊に参加。
マダガスカルでサッカークラブとバスケットクラブを作り、指導を行う。

インタビュー

1.任地の気候や食べ物、生活環境などを教えてください。
マダガスカルは、南半球のため、日本とは季節が真逆です。なので、8月に向けて冬になり、1月に向けて夏になります。また、マダガスカルは、乾季と雨季があり、乾季は、およそ4月~9月、雨季はおよそ10月~3月です。乾季時はほぼ雨が降らず、雨季は、毎日午後からはほとんど雨が降っています。雨季初めは、水道水が濁り、蛇口をひねると、茶色の水が出てきます。なので、水を利用する際は、浄水器が欠かせません。ただし、私が住んでいた市は、標高も高く(1400m程度)、水を汲み上げるのが大変だったからか、断水になることが多かったです(1年に6ヶ月は断水)。なので、断水時は、地域にあった水汲み場で水を汲んできて使用していました。
マダガスカルの食事は、沖縄ととても似ています。マンゴもパイナップルもパパイヤもありますし、サーターアンダギーと瓜二つの物も食べられていました。ちなみに、マダガスカルの主食は米で、日本の2倍(1日/人)消費されています
2.活動された内容を教えてください。
私はミアリナリブ市役所に配属されていました。そこで、市長とカウンターパート(活動パートナー)と相談をして、ミアリナリブ市役所が管理するサッカークラブとバスケットクラブを作り、そこで指導するという活動をメインでやっていました。サッカークラブは男女ともあり18歳以下の子達で構成されており、バスケットクラブは女子だけで、14歳~18歳の子達で構成されていました。
また、地域の人たちから要望が多かったということもあり、週2回日本語教室もしていました。その延長として、1年目には任地にて“日本祭り”という日本の文化を体験するイベントを開催しました。そして、2年目には、メインでやっているクラブの活動にも結びつけ、さらには、異文化交流も目的とした、“ミアリナリブフェスティバル”も開催しました。フェスティバル内では、日本の歌や踊りを現地の人たちと披露したり、現地のダンスを一緒に披露したりしました。
3.活動にあたり障がいとなったことやそれを克服していった事例があればお教えください。また活動はどうでしたか?
やはり、障がいとなったのは、言葉と文化の壁です。マダガスカルに着いてすぐに40日間の語学訓練を受けるのですが、やはり基本中の基本しか習わないため、配属されてからしばらくは、コミュニケーションを取るのがとても難しく、正直、最初は外出もしたくなくなりました。しかも、道を歩けば、「シノア(中国人)」、「チャンチュンチョン(話し方を馬鹿にした言い方)」と揶揄われることが多く、余計に外出が億劫になる事がありました。
しかし、私はあえて暇さえあれば、外出をし、近隣住民や市場の人たちとたくさん話すようにしていました。さらには、馬鹿にしてくる人がいれば、自分が日本人であることを説明し、日本語での挨拶を教えたりしていました。その甲斐もあって、徐々に認知度が上がり、みんながフレンドリーに接してくれるようになり、それによって、言葉の壁も埋まってきました。
4.失敗談や楽しかったこと、困ったこと、大変だったことは?
失敗談、困ったこと、大変だったことは、当時は数えきれないほどありましたし、正直、2年間の生活のほとんどはそればかりでしたが、私が帰る直前に開かれたお別れ会で、クラブの子達が、泣いて私に「帰らないで。悲しまさないで。会えなくなるのが嫌だよ。」と詰め寄ってきてくれたことが、一番嬉しかったし、一気に満足感を得ることが出来ました。
だからというわけではないですが、今思えば、楽しかった事は、そうやって、もがきながらクラブ活動をしていた事や、イベントを成功させようと、現地の人たちと、悩みながらも、意見のすり合わせをし続けた事だと思います。
5.2年間のボランティアを漢字一文字で!(その理由もお願いします)
“絆”です。きっとたくさんの絆を感じた2年だったと思います。まずは、現地で私の活動に粘り強く付き合ってくれたカウンターパートや同僚たち。そして、私の住むところに、活動できるようにと、物品を集め送ってくれた日本の仲間たち。さらには、私が辛い時に、電話やLINEなどで支えてくれた家族や友人たち。他にも、私の活動を手伝いに、わざわざ私の配属先まで来てくれたり、相談に乗ってくれたマダガスカル隊員たちなど、どれが欠けても、私の2年間の活動はなかったと思っています。そして、そういうたくさんの皆さんとの“絆”のおかげで、遠く離れたマダガスカルの子達とも、強い絆を築くことが出来たと思っています。
6.これから海外に出ようとしているウチナーンチュに一言。
『何が出来るかな~』、『出たところで何も出来ないだろうな~』なんて出る前から悩まず、まず海外に出てみてください。“海外に出たい!”という気持ちさえあれば、パスポートをも超える価値が、もうそこには宿っています。たくさんの感情を、目で、耳で、鼻で、手で、身体全体で味わい、楽しんできてください!!