本番は帰国してから~ドミニカ共和国で学んだ価値観~(前編)

【写真】桂浦 美紀(愛媛)平成20年度4次隊/ドミニカ共和国/観光業
桂浦 美紀(愛媛)

yoga studio COLMADOにて

 ドミニカ共和国から帰国して10年経った今。振り返ると、ライフスタイルも仕事も働き方も随分変化してきたけれど、私のテーマは何一つ変わっていないし、これからもきっと変わらない。10年前にドミニカ共和国で触れたあの「心の豊かさ」をこれからもたくさんの人とシェアしたい。

天職だと思っていた仕事を退職した日

【画像】 新卒、第一志望で入社した旅行会社での仕事は、仕事内容・お給料・福利厚生など全ての環境に恵まれていた。海外旅行課に配属され、たくさんの国をめぐることができ、仕事もとても楽しくて、この仕事は自分の天職だと思い込んでいたほど。
 一方で、入社して4年経った頃、休暇の度に世界遺産を巡り、記念写真を撮って、お土産を買って・・・こんな旅行を繰り返していて、その先になにがあるのだろうかと考えるようになった。十分に恵まれた環境でのOL生活、何か大きな不満があるわけではなかったものの、その当時の自分の生活を続けていった延長に、何年か先の自分の未来が想像できなくなっていた。
 気軽な気持ちで「世の中には他にどんな仕事があるのだろう」とインターネットで検索しているうちに、JICA青年海外協力隊に観光業という職種があることを知った。観光業には「営業」以外にも「観光開発」という分野があることを見つけて興味を持った。
 興味本位で青年海外協力隊に応募し、受験。合格通知を受け取ってからすぐに出国に向けて準備を始めることに。退職して半年後には出国前の訓練を受け、派遣国のドミニカ共和国へ渡り、ドミニカ共和国プエルトプラタ観光省に配属された。そして華々しいOL生活から一転、電気も水も不安定な開発途上国で全く想像のできない2年間の生活と観光開発の活動が始まった。

ドミニカ共和国へ

プエルトプラタの街と海

 ドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ島国。私の住んでいた街はスペインの植民地時代の名残が強く残っておりビクトリア調のカラフルな街並みがとても美しかった。ホームステイ先の自分の部屋からはカリブ海の青い海が広がり、街中にはいつも陽気なラテン音楽が溢れていた。ビーチや公園では当たりまえのようにドミニカ人が楽しそうに踊っていた。
 一方で、道端にはドラッグで使われた注射器が落ちていたり、みんな護身用に銃を持っていたり、日本とはかけ離れた危険な一面もあり、安全面や衛生面には十分に注意を払いながらの生活だった。
 ビーチの前にホテルのようにそびえたつ豪邸もあれば、強い雨が降ると飛ばされてしまうようなプレハブの家もあり、想像以上に貧富の差がある国だった。
 街に日本人が住むのは私が初めてだったようで、道を歩いているとよく「中国人」と呼ばれ、「日本から来たよ」と伝えても「中国しか知らない」という返事も多く、日本自体の認知度も低かった。
 目の前に出されている食べ物が何なのか、一体誰を信用してよいのか、初めて聞く生のスペイン語にも混乱するばかりで、何もわからないまま現地での生活がスタートした。まるで身体だけ大人で、中身は一人では何もできない子どもになったような、そんな感覚だった。

幸福度ランキング世界2位のドミニカ共和国

ホストファミリーと

 私が派遣されていた当時、世界の幸福度ランキングでドミニカ共和国は2位だった。2年間彼らと一緒に過ごすうちに、物質的には決して豊かではない彼らの優しさや価値観に触れ、その理由を私なりに理解した。
 普段生活しているとこんな光景を目にすることがあった。お金持ちの人が貧乏な人を見かけたら、見知らぬ人でも道端でお金をあげていた。さらに驚いたのは、お金をもらった人はお礼も言わず立ち去っていて、そんなことがあるのかと私は不思議でならなかった。なぜ知らない人にお金をあげるのか聞くと「彼女は貧乏だから」と返事が返ってきた。お礼も言わないことに腹がたたないのかをたずねると「彼らは教育を受けていないから、『ありがとう』を知らないだけ」と言っていた。

 私が活動で長距離を移動する時は、安全を考慮して赴任先の観光省が運転手付きの車をだしてくれた。お天気も良く移動中に車の中で私がうたた寝をしてしまったことがあり、ふと目が覚めると運転手が車を日陰の涼しい場所で車を停めてじっと待っていた。「ガス欠?」と聞くと「みきが気持ちよさそうに寝ていたから。起こしてしまったらかわいそうだから車止めて目覚めるのを待っていたよ。」と笑顔で応えてくれた。
 日々の生活の中で、想像を超える彼らの「やさしさ」や新しい「価値観」に触れ、やさしさは想像力だと思った。彼らの優しさは何かをプレゼントしたり譲ったりする単純なものではなく、人間的で本質的なもの。自分と価値観や意見の違う人に対して攻撃したり嫉妬したりするのではなく、想像力を働かせて心地よくやり過ごす術を知っている、そんな風にも感じた。
 「思いやり」「やさしさ」これらの価値観を、私は学校で「道徳」という授業で教科書を開いてテストで答え合わせをしながら学んできたのかもしれない。この国でそれらは学ぶものではなく、日常生活の中に当たり前のように溢れていた。たくさんの価値観にふれる中で「こうあるべき」というものに自分が無意識に縛られて選択してきたことにも気づき、もっとクリエイティブに人生を楽しんでみたいと思えるようになった。


<後編に続く>