2020年11月20日
「参加型地方復興プロジェクト」では、2015年ネパール大地震の被害が特にひどかったゴルカ郡とシンドパルチョーク郡のうち、4つの市・村を対象に活動を実施しています。
これから、このプロジェクト・ニュースを通じて、これらの地域の魅力をシリーズで紹介していきたいと思います。
2015年4月の震災の震源の村として有名になったバルパック村(正式名称:バルパック・スリコット村)は、首都カトマンズの北西に位置し、カトマンズから車で約8時間の道のりです。
ゴルカ郡位置図。出典:Wikimedia Commons(注1)
バルパック・スリコット村位置図。出典:Wikimedia Commons(注2)
(注3)転載にあたり、バルパック村の位置に赤丸を表示しています。
前半の4時間はカトマンズから西に走る幹線道路ですが、後半は舗装されていない凸凹道を、4時間進み、雨季には車で通れない部分もあるほどです。村役場近辺は標高約2000メートルの山岳地帯であり、天気の良い日にはバルパック村の中心にあるバザールの目の前にブッダヒマル山(6692メートル)をはじめとする雄大な山脈をのぞむことができます。バルパックは、ブッダヒマルを含むマナスル山脈へのトレッキングルートの入り口でもあり、その風光明媚な景色と山岳民族の伝統的な暮らしを目にしようと多くのネパール人が観光に訪れる地でもあります。
市街地から臨む雄大な山脈
生活用品を担いで運ぶ人々の姿は村でよく見られます。
バルパック・スリコット村の住民の7割近くはグルン族というチベット系の少数民族で、チベット文化の影響が人々の暮らしや街並みにも感じられます。また、ゴルカのこの地域に多い石積みの伝統的な街並みが多くの観光客を魅了していましたが、残念ながら耐震性を持ち合わせていない構造のために、震災で多くの家屋が崩壊し、バルパックの観光の目玉の1つであった美しい街並みも失われてしまいました。
村までの道のり。日々整備・拡張が進むものの、まだまだ険しい。
震災直後の村の様子
JICA支援により完成した新校舎
2015年の震災の被害は大きく、約7千世帯の家屋が全壊または半壊した他、学校の建物も140棟が被害を受けました。JICAは住宅再建のための耐震基準の遵守、住宅や校舎などの再建支援を行いました。震災から5年経った現在、バルパックの住宅は95%が再建され、多くの子供達も新しい校舎で勉強ができるようになっています。バルパックのシュリ・ヒマラヤン学校の生徒達は、トタン屋根の仮校舎でまたいつ地震が来るかと毎日怯えていたけれど、新しい校舎では地震の恐怖を感じずに勉強できて嬉しいと口々に語ってくれました。
ビデオで詳しく!:ネパール地震復興5年間のあゆみ(外部サイト:Facebook)
災害によって失われた町並みは観光業へも大きな損失をもたらしましたが、災害に強いコミュニティの再建のため、現地の人々は日々たゆまぬ努力を続けています。
また、バルパック・スリコット村では、人口の8割が農業に従事しているものの家族単位の小規模農業が大半で、国外に出稼ぎに行く若い男性が多いことも震災前からの課題でした。震災復興を考える際には、地震で壊れない建物を作れば終わりではありません。震災の影響を受けた村の経済も、長期的な視点から住民の経済的安定と幸福を考え、持続可能性の高い構造に再建して行く必要があります。そのため、プロジェクトでは、バルパック・スリコット村にて被災地の人々と共に震災後の新しい観光業のあり方を模索すると同時に、今後村の特産品を増やしていこうとしています。こうした努力を支援することも、このプロジェクトの1つの柱となります。
再建が進むバルパックの町並み
スタッフに手を振る村人
今後、バルパック・スリコット村での活動の様子などもお伝えしていきますので、ぜひご覧ください。