-モンゴルの障害者雇用の現場から-優良事例を訪ねて

2023年3月24日

2009年に障害者権利条約に批准し、障害者の権利保障と社会参加を促進する施策が強化されているモンゴル。2016年には障害者の権利を定めた「障害者権利法」が制定され、翌17年には障害者の就労促進が国家目標に掲げられるなど、法制度の整備も進む中、2021年からはモンゴルの労働社会保障省とJICAが技術協力「モンゴル国障害者就労支援制度構築プロジェクト」を実施しています。
このコラムでは、障害者の雇用を進めるモンゴル企業を訪ね、関係者への多角的なインタビューを通じて、障害者と企業双方が笑顔になれる就労の実現を考えます。

【CASE 6】地下資源開発でモンゴル経済をけん引するオユトルゴイ社「一人一人の特性に応じて専門性を生かせる活躍の場を提供」

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モニターで地下の採掘現場の様子を見守りながら指示を出す視覚障害のあるツォグトエルデネさん。妻と3人の娘たちはウランバートルで暮らし、ツォグトエルデネさん自身は月の半分は南ゴビの採掘現場で単身赴任、残り半分はウランバートルで家族と過ごしている(本人提供)

事故後に新たなポジションを創設

首都ウランバートルから約550キロメートル南下したオユトルゴイ鉱山。世界で4番目の大きさを誇るゴビ砂漠に囲まれ、中国との国境まで70キロメートルに迫るこの鉱山には、世界最大級の銅や金、さらに銀やモリブデンなど莫大な鉱物資源が埋蔵されている。特に、銅の産出量は年間45万トンから50万トンに上り、文字通りモンゴル経済をけん引する事業だと言える。
そんなモンゴル史上最大の鉱山開発を前線で進めているのは、オユトルゴイ社だ。鉱業・資源分野の多国籍企業グループであるリオ・ティントとモンゴル政府が合弁で設立した。正社員は2022年8月時点で4,000人。さらに、150社を超える提携会社や関連企業で働く人々も合わせると、事業関係者は常に1万9,000人を超え、文字通りモンゴルの経済と社会のけん引役として圧倒的な存在感を誇っている。
オユトルゴイ社もまた、障害者の雇用を積極的に進めている。なんらかの障害がある職員は8月時点で28人、事業全体では150人近い障害者がさまざまな形で働いている。

その1人、ツォグトエルデネさんは、地下の坑道で働く作業員たちを地上からモニター越しに見守りながら、リアルタイムで指示を出すコーディネーターとして、南ゴビの鉱山事務所で働いている。今はオユトルゴイ社の社員だが、以前は、提携会社のレッドパッド社で約9年間にわたり働いていた。
ウランバートルで生まれ育ったが、夏休みには毎年、考古学者の父と兄に連れられて、地方の発掘現場に通っていたため、気付けば自分も「掘る」ことに関心を持つようになっていたというツォグトエルデネさん。大学では鉱山学を専攻し、卒業後は鉱山会社に就職を果たしたものの、おりからの経済不況のあおりを受けて1年足らずで倒産。2010年3月からレッドパッド社で働き始めた。世界に冠たるオユトルゴイ鉱山の開発に従事していることへの誇りを胸に、地下800メートルの採掘現場で精を出していたツォグトエルデネさんは、ほどなくシニア職員に昇進して作業員たちの統括を任されるなど、充実した日々を送っていた。
しかし2017年2月、ツォグトエルデネさんを不運が襲う。不慮の事故に巻き込まれて片方の視力を失ったのだ。レッドパッド社はインドで受ける緊急手術費を寄付してくれたり、速やかに休職の手続きを取ってくれたりしてあたたかく支援してくれたが、ツォグトエルデネさんは失意のどん底にたたきつけられ、「鉱山でのキャリアはおしまいだ」と将来に絶望し、療養期間中もふさぎ込んだまま過ごした。
気分が晴れないまま復職した日、人事から思いがけないオファーがあった。地上の事務所からモニター越しに地下の採掘現場に指示を出すコーディネーターとして働いてほしいと提案されたのだ。鉱山の仕事は、長年培った勘と技術頼みの部分が大きく、体系化が難しい。レッドパッド社はそのことを熟知しているからこそ、ツォグトエルデネさんが豊富な経験を今後も生かせるように、以前と変わらない待遇で新たなポジションを作ってくれたのだ。「今まで頑張ってきたあなただからこそ、できることがある」という人事部の言葉にこみ上げた熱い感情は、今もツォグトエルデネさんの胸に鮮明に刻まれている。
その後、2019年5月にはオユトルゴイ社に入社。この時も、レッドパッド社の全面的なバックアップを受け、コーディネーターというポジションのまま移籍が実現した。

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2022年6月中旬にオユトルゴイ鉱山で開かれたセミナーに出席したツォグトエルデネさん(本人提供)

そんなツォグトエルデネさんが最近、力を入れているのが、障害者登録制度の広報活動だ。
実は、以前の職場にあたたかく受け入れてもらうことができたツォグトエルデネさん自身も、事故後すぐには障害者登録をする気になれなかったという。障害を負った事実を公にされ、労働損失という形で数値化されることが、「健常者よりこんなに劣っている」という烙印を押されるように感じられ、とても受け入れられなかったのだ。
葛藤を乗り越え、障害者手帳の交付を受けたのは2020年秋のこと。幼少期から片目が見えない友人と久しぶりに会ったことがきっかけだった。すでにオユトルゴイ本社に転職していたが、レッドパッド社で一緒に働いていた男性から「障害者登録すれば住民税の減免が受けられ、取得できる年次休暇も増える」と聞き、その足で人事部に相談に行ったツォグトエルデネさん。確かに当事者と企業双方にメリットがある制度だと納得し、事故から三年半近く経ってようやく障害者手帳を受け取った。
自分自身の経験から、障害者が働くことで企業と当事者にもたらされるメリットについて、ツォグトエルデネさんは一人でも多くの人に正しく知ってもらいたいと考えるようになった。最近、オユトルゴイ社が制作している障害者手帳に関する広報動画にも出演するなど、社内の意識改革に積極的に取り組んでいる。「障害があることを公言できず、隠そうとしている人はまだまだたくさんいるはず。その気持ちが分かる自分だからこそ伝えられることがあるはず」だと力強く話すツォグトエルデネさんの言葉は、使命感に満ちている。

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共に地下に潜り、採掘作業に汗を流した仲間たちと。左から2人目がツォグトエルデネさん(本人提供)

障害者が働くことで社会に伝わるメッセージ

一方、ウランバートル市の本社でも障害者が働いている。
子どもの頃、ポリオにり患した影響で下肢に障害があるエンフニャムさんは、企業や区役所で働いた後、2021年夏から経営管理部で働いている。
モンゴル西部のホブド県で生まれたエンフニャムさんは、学生結婚だった両親の代わりに、姉や妹とともに祖父母に育てられた。13歳からはダルハンオール県で両親と暮らしていたが、22歳の時にインドに留学したことが人生の転機となった。母親からは障害を理由に猛反対されたものの、以前からインドの教育制度の評判を聞いており、決意が揺らがなかったエンフニャムさん。黙々と学費を貯め、ビザを申請して手続きを進める娘を応援し、母親を説得してくれたのは父親だった。
IT都市として名高いインド南部の街、バンガロールで英語の集中クラスに半年入った後、人材育成と経営、財政を2年間学んでMBA(経営学修士)を取得。卒業して銀行で働いている時に地元出身で4歳年下のサムさんと結婚し、長女を授かったことが、エンフニャムさんの第二の転機となった。果敢にインドに飛び込んで積み重ねてきたキャリアを休み、祖国に戻る決心をしたエンフニャムさんは、夫のサムさんとともに家族でモンゴルへ移住し新しい生活を始める。二年後には、長男も誕生した。

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娘と息子と一緒にウランバートル市内の自宅でくつろぐエンフニャムさん(右端)

先にオユトルゴイ社に入社したのは夫のサムさんだった。学生時代の専攻を生かし、ITエンジニアとして南ゴビでひと月働いては、ウランバートルで家族と2週間過ごすという生活リズムが定着した頃、エンフニャムさんも同社の求人情報を見つけて応募。インド留学で磨いた英語力とビジネススキルを生かし、働き始めた。
エンフニャムさんの入社によって、経営管理部にも変化が生まれた。まず、自宅から車を運転して通勤し、車椅子に移乗してオフィスフロアまで上がるエンフニャムさんのために、外部の駐車場ではなく隣接する高級ホテルの地下駐車場を経営管理部が契約し、車からオフィスまでスムーズにエレベーターで上り下りできるように配慮してくれた。同僚のノミンさんも、「彼女が入社することが決まり、改めてオフィスを見直してみると、ウォーターサーバーの位置が高くて車椅子から届かないことなど、初めて気が付いたことがたくさんあった」と、振り返る。さらに、普段、何気なく歩いている道路も段差が多くていかにアクセシブルではないかということに意識が向くようになったという。
数年前にDPUB2の先行プロジェクトで「障害平等研修」に参加し、障害のある人とない人が分け隔てられることなく互いの人格と個性を尊重し合う共生社会の在り方について学んで以来、自分でもその理念をモンゴルに普及するために活動しているエンフニャムさん。「障害者が働かないと、社会にメッセージを伝えることができない」という信念に根差した彼女の行動は、着実に周囲の人々の意識を変えつつある。

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エンフニャムさんの自宅には、たくさんの家族写真が飾られている

人事部が率先して進める社内の意識改革

オユトルゴイ社では、ツォグトエルデネさんやエンフニャムさん以外にも、補聴器を利用している難聴者や、指を切断した人が、石炭を運搬するトラックの運転手や誘導員として働いている。
人事部で社員研修や人材育成を担当するツォルモンさんと、福利厚生関連の相談窓口を務めるオドゲレルさんは、「鉱山の仕事は、数百メートルから、時に1,300メートル以上も地下に潜って作業するため、地上とは環境が異なるうえ、重機も扱うため危険も多い」と指摘する。さらに、南ゴビはウランバートルから遠く、ひとたび鉱山に入れば月単位の出張を余儀なくされる。だからこそ、特に障害者を雇用する場合は、健康や衛生を担当する部署、労務管理の責任者など、関係者が部署を超えて密に連絡を取り合いながら選考し、配属を決めるという。
とはいえ、一筋縄ではいかないことも多い。障害への社内の理解を高めるための活動も、「自分が障害者であることを社内に知られたくない」という当事者を傷つけないよう、十分に配慮する必要があるためだ。「外見からは障害があることが分からない人もいるし、自分を障害者だと思っていない人もいるため、試行錯誤の連続だ」と打ち明けながらも、二人は「障害者の雇用を進めるためには、今後も社内の意識啓発と合理的配慮の推進が大切」だと口をそろえる。
その一環として、今年度は障害理解活動を行うNGOと連携し、社員向け研修や職場のアセスメントを実施する予定だ。また、社員から紹介があった場合は履歴書を免除したり、弁護士に確認しつつ障害種別に応じた人事選考基準を策定したりと、障害者雇用に向けた制度の整備も急ピッチで進めている。
さらに、事故によって働き方が変わったが、一貫して専門性を生かし活躍している前出のツォグトエルデネさんの力を借りて、その経験を社内に共有することで、障害者として名乗りを上げ、手帳の交付を受ける人も徐々に増えつつあるという。
モンゴル経済をけん引する同社が、鉱山開発という独特の労働環境下でさまざまな配慮が求められる中、安全管理に留意しながら、個々人のできることとできないことを検討し、専門性や特性を生かせる働き方を提案する姿勢は頼もしい。障害者に情報を届け、活躍の場を与えようと組織を挙げて取り組んでいる同社に対し、DPUB2が育成するジョブコーチが一人ひとりの特性に見合った業務を抽出し、マッチングする体制が整えば、同社の障害者雇用がさらに広がることは間違いない。

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本社の人事部で社員の人材育成を担当するツォルモンさん(左)と、福利厚生関連の相談窓口を務めるオドゲレルさん

【企業概要】

企業名 オユトルゴイ社
事業 鉱物資源採掘業社
従業員数(グループ全体) 約1万9,000人(2022年8月時点)
従業員数(オユトルゴイ) 約4,000人(2022年8月時点)
障害者数(グループ全体) 約150人(2022年8月時点)
(視覚障害、身体障害、言語障害など)
障害者数(オユトルゴイ) 本社8人、鉱山20人(2022年8月時点)
雇用のきっかけ モンゴルのけん引役としての社会的責務
雇用の工夫 ・障害に応じた配属や業務の割り振り
・障害の特性に応じた新しいポジションを創設
・NGOと連携した社員教育や職場アセスメントの実施

【ジョブコーチ就労支援サービスとは】
ジョブコーチを通じた障害者と企業向けの専門的な就労支援サービスのことで、モンゴル障害者開発庁が中心となって2022年6月から提供が開始された。
このサービスを通じて、今後、年間数百人の障害者が企業に雇用されることが期待される一方、障害者の雇用が難しい企業には、納付金を納めることで社会的責任を果たすよう求められている。