2021年2月19日
2021年1月20日の座談会(前編・後編参照)に事情によりご参加がかなわなかった矢澤佐太郎さんより、1960年代より続くJICA筑波との縁・絆や、JICA筑波が目指すべき姿についての貴重な示唆をお寄せいただきました。
東京都出身。1966年、フィリピン初の青年海外協力隊員として派遣され、野菜隊員として活動。帰国後の1968年にJICA前身のOTCA(海外技術協力事業団)内原国際農業研修センター(JICA筑波前身組織。以下、「内原センター」)で勤務を開始。野菜生産関連の開発途上国人材向け研修コースの実験・実習指導・通訳などに携わる。
1972~76年の技術指導専門家としてのネパール派遣後も、内原センターでの研修指導、内原センターのつくば市への移転準備業務に従事し、開発途上国の農業分野の実践力を伴った人材育成の場としてのJICA筑波の構築・蓄積に貢献。1998年の退職後、茨城県内で雨水と堆肥のみの野菜栽培に20年以上取り組み、NPO「あしたを拓く有機農業塾」の顧問としてJICA研修員受入事業にも貢献。
内原センター設置当時は、途上国の農業発展の夢が膨らんでいた時代。世界の食料不足や貧困に我々が取り組むのだ、という気概が、途上国からの研修員、OTCAスタッフの双方に満ちていました。
内原センターは、実践的な研修の効率的な実施のため、実験・実習棟と圃場の配置、スタッフと研修員との円滑なコミュニケーションに配慮して設計されました。1981年の内原からつくば市へのセンター移転後も、そのコンセプトは変わっていません。野菜園芸関連施設1つをとっても、当時の大学・試験場と比べても遜色のない設備・施設だったと思います。この施設を研修に十分に活用するために、試験研究機関で実績のある研究員経験者を研修指導者として迎えたり、青年海外協力隊経験者を中心に途上国農業を経験した若い人材をスタッフに迎えたりしました。また、スタッフ自らが関連学会に積極的に参加・発表するなど、専門技術分野を高めることに努めました。それぞれの専門分野にスタッフ自身が夢中になって取り組む姿勢が、研修員にとっての刺激となり、研修効果を高めたと思います。
JICA筑波で研修を受け帰国した開発途上国の人材(以下、「帰国研修員」)の活動状況を把握し、フォローアップ指導を行うため、アフリカ数か国を巡回したときのことです。西アフリカのとある国の大使がおっしゃいました。「JICA帰国研修員の集まりに出るといつも思うのだが、JICA筑波から帰国した者は、皆日本が大好きになっている。大変ありがたいことだ」。研修の技術的な効果は、研修員により個人差があると思いますが、JICA筑波での研修・生活が、多くの研修員に日本そのものへの好意・感謝を高めたのだ、と知り、とても嬉しく思いました。
約2年前、NPOの活動でアフリカ・エチオピアの山地に行ったとき、電気もない村で普及員がスマートフォンで調べものをしている姿を見ました。農村をとりまく環境もグローバルに変化し、どこでも情報が入手できる時代です。これに合わせ、研修のあり方も変えていかざるを得ないと思います。
ネット・遠隔で情報を得られても、それを理解し、現場に役立つ技術に消化するのは困難です。マンツーマンの人間の触媒があってこそ、開発途上国の現場と技術が結びつきます。情報と途上国の現場を結び付ける触媒機能を、JICA筑波の研修が持つことができれば素晴らしいと思います。具体的には、「生」の人間、対面でのみ伝えられる(研修)部分を洗い出し特化し、インセンティブのある技術習得カリキュラムにするのです。
JICA実施する研修事業の見直しについて、有識者を招いて検討会議を開催したことがありました。そのとき、有識者から「筑波センターの農業研修は、海外の農業開発にかかわる日本人人材の育成の場でもある。多くの人材を輩出している」との指摘をいただきました。JICA筑波が、「日本人材の育成」という重要な機能を強化し、より広い視野を持って前進されたらよいと思います。
これからの最大の課題は気候変動による生態系の崩壊だと考えます。これはグローバルな課題であり、その一因は農業とも関係します。世界の農業者と連携し、危機感を共有することがより重要になるでしょう。この観点で、JICA筑波が、途上国の草の根レベルの農業指導者と双方向で議論・検討し、実践的な方法を生み出す場として機能することはできないだろうか、と考えます。一方的に日本側から教えるのではなく、日本側と開発途上国側が共に問題解決に向け共創する未来志向の場を、JICA筑波が提供できたら、素晴らしいことでしょう。