キューバ日系人の歴史と今

2017年10月12日

2017年7月

日本とキューバの最初の出会いは、1614年に遡ります。伊達藩士支倉常長一行約180名が慶長遣欧使節の旅の途中にメキシコとキューバに立ち寄りました。ハバナ市旧市街に近いプエルト通りの海外公園には羽織・袴姿の颯爽とした支倉常長の銅像が立っており(2001年4月建立)、新たな観光名所として、多くの人が訪れています。

その後、両国間には際立った交流はなかったようですが、1900年に入り、世界的な砂糖需要に伴う砂糖ブームでキューバは大いに沸き、そのニュースは日本にも届き、にわかにキューバへの関心が高まりました。1908年に最初の日本人がキューバ本島から南へ約100キロメートルに位置する青年の島に入植した後も、昭和初期にかけて、多くの日本人がキューバを目指しました。第二次世界大戦中は、敵国民として日本人男性が強制収容された不幸な時期もありましが、現在、キューバ各地に約1000人の日系人が居住しています。青年の島には今も初期入植者の家族約200人が主に農業に従事しています。

キューバは社会主義国で結社の自由が制限されており、正式な日系人会や日本人会は結成・登録されていませんが、二世を中心とした日系人連絡会が日系人間の絆とコミュニケーションの維持を図っています。その大きな成果のひとつが1964年にハバナ市内のコロン墓地(19世紀後半に完成した世界的にも有名な墓地)に建立された日系人物故者の慰霊堂です。コロン墓地の正門を入り、中央の教会堂で右折し、約30メートルで左折し、しばらく進むと右角に地下4メートル、地上9メートルの威風堂々とした慰霊堂が現れます。正面左に奈良橿原神宮の宮司の揮毫による「キューバ日系人慰霊堂」と書かれた塔が建っています。この塔の下には皇居の土が埋められており、完成当時、大理石で覆われた堂内にキューバ各地で亡くなられた265名の日系人が祀られました。

近年、日本政府も海外日系人との一層の連携強化を表明しており、キューバにおいても日系人連絡会がそれに呼応すべく活発に活動しています。今後とも日本との繋がりが強化され、日系人の皆様が日本とキューバの架け橋になって両国の交流が一層進展することを願っています。(チーフアドバイザー:北中 真人)

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ハバナ市のコロン墓地内にあるキューバ日系人慰霊堂。
出典:キューバ国基礎穀物のための農業普及システム強化プロジェクト・チーム