ボツワナでの活動を終えるにあたり 中村藍子(2016年度3次隊ソフトボール)

2019年7月8日

2年半前にボツワナに降り立ち、それから現在に至るまで「私は青年海外協力隊員である」という意識はそれほど強く持ったことはなく、自分の信念が留まるべき位置は最初となんら変わらずここまできました。これは自己紹介の時に言っている「国際協力に興味があったのではなく、ソフトボールで海外活動がしたかった」という個人の正直な動機から始まっていることであり、その動機は決して間違ってはいないと思っています。まずは自分の「意志」が無いと始まらない、そう思うからです。

2017年1月に着任後、ボツワナ・ソフトボール連盟に所属して、その同僚とともにボツワナ代表チームのアシスタント・コーチとしての指導と、ソフトボール普及活動を行ってきました。その2年半の中で、一番の苦労は私の性格が「正義主義」であるところにありました。ボツワナ人が時間に遅れること、約束を守らないこと、すぐ「何かちょうだい」と言ってくること、「ニーハオ!」と声を掛けてくること、アドバイスをすぐ忘れること、道具が盗難に遭っても仕方ないとすること、他にもたくさんの「日本ではあり得ない」こと全てを「正したい」と思い、日本と同じようにすべきだと思ってしまうことがその原因になります。どうしてもそれを許せない、と自分自身を苦しめていました。そしてその態度は現地人にも伝わり、気まずい雰囲気や同僚とも会話をしない日も続きました。それでも、活動終盤に近付けば多少はその「正義主義」から解放され、来ボツ当初よりはだいぶ自分自身を許せるようになりました。時間に遅れる原因が「渋滞」だとしてもそれは国の事情柄仕方ないと思えるようにもなりました。道路が少ないのだもの、仕方ないと思うしかありません。母にも「穏やかになった」と言われ、最後に仕事をした日本人の方からも「現地人の流れにうまく適応していますね」と言って頂いたくらいに、どうやらかなり自分自身を許せるようになったようです。

活動の半分以上はストレスを溜める(特にボツワナ代表チームと合宿したり海外遠征に出たりする時。)と思えましたが、それでも、この地で学んだことや自分が成長していると思えることも数えきれません。地方巡回指導へ行けば、新鮮な面持ちで参加してくる選手にパワーを貰い、こちらが心を開けば相手も同じように。いくら嫌な印象を引きずっていても、ボツワナ人は全く意に介さず、翌日は気持ち良いくらいに普通に話しかけてくるその対応に自身が救われたりもしました。相手に対し常に心を開く準備のある(それが彼らにとっては自然なのでしょうが。)ボツワナ人には、日本人が持っていないものがあると感じます。それに対して日本での、あの、ほぼ100%下を向きスマホをいじる電車の空気、もしその時仕事が無くても「しているように」装わないといけない職場の空気、見知らぬ人に挨拶した時の「誰?」という空気、すれ違っても会釈もしない近所の空気。ボツワナに比べ「日本は寂しい」と感じることがますます増えました。

帰国後、日本で働けるのか不安になるくらいこちらの働き方には余裕があり、時間に追われません。ただし、日本人である以上は忘れてはいけないと思う文化もあります。それは「心配り。気遣い。礼儀。」です。私が人生の師から教わったことです。故に、いかに有名なテレビの取材依頼であっても無礼と感じた時はバッサリお断りしました。もしかしたらそれはソフトボールを普及するためや自身にとっての良い機会を逃しているのかもしれません。でも、そういう対応しかできない人にはそれなりなものしか作れない、そう思います。そこには縁がなく、他にチャンスはある。そういうものと切り替えました。逆に、かの有名な松岡修造さんのインタビューを頂いた時は、あの画面を通して伝わってくる熱量(良い意味での「暑苦しさ」)を直で受け取ることができ、テレビで見たまま、感じるまま、もしくはそれ以上の目には見えないプラスのパワーを頂きました。いや、実際は見えていたかもしれません、そのオーラが。そのくらいの素敵な空間でした。修造さんが出没するとその地域が暑くなるというのもあながち嘘ではない気がしました。

私が今回海外へ出たのはもちろんソフトボールの普及の為ですが、それと同じく「日本の素晴らしさを知るため」にわざと日本を離れたという目的がありました。日本は何でも揃う。何でも食べられる。便利。それは日本に居たままでも十分感じられることです。でも、なぜか確かめたかったのです。だから外へ出ました。そして改めて思うことになります。

「日本は素晴らしい。」

ただ、私には物足りない。私が生かされる場所はきっと日本ではない。日本は充電するために帰る場所であり、行くべき場所はそこから繋がる未開の地なのだろうと想像しています。

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