第25回 ラオスのケンポンさんと車椅子バスケットボールの出会い

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白熱する車椅子バスケットボールの試合

前回ご紹介したラオス帰国研修員のケンポンさんは、障害者の手工芸ワークショップの指導者という立場以外に、違った顔も持っています。それは彼女がラオスにおける女子車椅子バスケットボールの初代プレーヤーであるという輝かしい一面です。才能豊かな障害者リーダーのケンポンさんは、JICAでの研修から溯ること7年、2000年にある“スポーツの祭典参加”の機会を得ることができました。それは「タイ・パタヤにおける車椅子バスケットボール国際クリニック」という国際車椅子バスケットボール親善大会への参加でした。当時タイは、既に障害者スポーツが大変盛んな国の一つであり、障害者スポーツの中でも特に花形競技である車椅子バスケットボールは、自国のナショナル・チームも結成されており、アジアの国々の中では強豪チームとして名を馳せていました。

ここで車椅子バスケットボールの歴史について少し触れましょう。先進国(アメリカ、オーストラリア、カナダなど)では、車椅子バスケットボールは既に50年の長い歴史を持ち、その実力や妙技は芸術の域に達しています。「華やかな障害者スポーツ」としても大変有名で、国際車椅子バスケットボール連盟による国際試合が世界中の都市で行われております。日本でも車椅子バスケットボールの歴史は東京オリンピックの頃から始まり、既に40年以上に及んでいます。我が国は、近隣のアジア諸国へ車椅子バスケットボール振興のための様々な国際協力を率先して行っており、大ベテランの車椅子の日本選手がコーチとして途上国に派遣されてきました。タイやマレーシア、ベトナム、中国、そしてシンガポールなどの国々の選手育成には長い間携わってきており、たくさんのアジアの国で優秀なプレーヤーが生まれてきています。残念ながら、ラオスではこのような国際振興支援の輪があまり届かず、ごく最近まで、隣国であるタイが主にラオスへの車椅子バスケットボール振興支援を行っていました。

そんな中で、ラオスの障害がある若者たちにチャンスが訪れたのです。「タイ・パタヤにおける車椅子バスケットボール国際クリニック」参加の招待を受けたラオス障害者協会は、続々と選手候補を招へいしました。その中に若きケンポンさんも女子プレーヤーとしてエントリーされました。「バスケのバの字も知らないような状態でした。でもタイに行ける!仲間の障害者の人たちと出会うことができる!そのことが何よりも楽しみでしたね。」そんな思い出を語ったケンポンさんでした。

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ケンポンさんと女子バスケプレーヤー

タイのトレーニングと車椅子バスケットボールの国際試合は若いケンポンさんにとって言葉では言い表すことの出来ないような新鮮な衝撃を与えました。パスが回り、シュートが決まり、歓声が沸きます。選手は皆、輝くような笑顔で力強くボールを追っています。それも車椅子に乗りながら、です。若いケンポンさんは車椅子バスケットボールを観戦し、驚愕しました。

「障害を持っていてもこんなに活き活きとスポーツを楽しめるなんて。私たちにもきっとできる!練習をしたい。ラオスの私たちも練習をすればきっとタイやマレーシアの選手のようになれる!」障害者にとってスポーツは彼らの自立を促し、何よりも自信と生きる喜びをもたらします。バスケが楽しくなれば、生活に張りが出ます。仲間と協力して何かをやろうという前向きな気持ちになります。そして、社会的自立の原動力ともなるのです。

ケンポンさんは言います。あれから7年。車椅子バスケットボールが今、再びラオスで盛り上がりを見せています。「私の進めたいアクションプラン、それは障害者の就労機会を作ることです。しかし就労だけでは障害者の本当の生きる喜びは生まれてこないと思います。スポーツを通して、社会に向けて、私たちの存在を、可能性を観てもらいたい!それには車椅子バスケットは素晴らしい魅力のあるパワーを持っています。就労とスポーツ振興!私はこの2つを車の両輪のように、若い障害者のために進めていきたいと思っています。」 “今こそがタイミング”という確かな感触。それが、彼女にはよく分かると言います。ケンポンさんは今、若者たちのマネージャーのように忙しく動き回っています。

ラオスが今、障害者スポーツ振興へ動き出してきました。縁の下の力持ちとして、JICA東京の研修員が、少しづつ前へ前へとこのプロジェクトを進めていくのだと考えると、それだけでも嬉しくなります。


(財)日本国際協力センター(JICE)研修監理員 前島由希