国造りの努力は、まずその国の人々で

JICAには、各国の開発の中枢を担う人材を養成する長期研修制度がある。
途上国で国造りに関わっている役人を2年間、日本の大学に留学させ修士、博士号を取ってもらう。

ネパールからの長期研修員Udhaw(ウッダブ)さんは、JICAが実施したネパール村落振興・森林保全プロジェクトのカウンターパートで森林保全局の職員である。信州大学森林科学科の植木達人教授の指導の下2年間、熱心に学ばれ、この度、修士号を授与され帰国した。信州大学では、JICAからの研修員の受け入れが初めてだったことから、大学内部での調整にあたって植木教授に大変尽力いただいたと伺っている。
この場をお借りして、植木教授始め関係された皆様に御礼を申し上げたい。

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JICA東京執務室にて。右から2番目がウッダブさん。

さて、ウッダブさんが帰国することになり所長室に挨拶に来られた。
まず、彼の流暢な日本語に驚かされた。敬語や丁寧語も見事に使い分け、おそらく電話で話したら、ネパールの人と話しているとは思わないだろう。
よく2年間でこれほどまでに上達されたと感心する。聞くと周辺に外国人は少なく、他の学生とも日本語での会話が主で、さらに、地域住民との交流も積極的に努められたそうだ。研究成果を学会で発表したが、これも植木教授の勧めで日本語で行ったというから驚きだ。

彼と話をしていて、ことさら嬉しかったことがあるので紹介したい。
実は、私自身、ネパール村落振興・森林保全プロジェクトを担当していたことがある。2001年には、共産党ゲリラがプロジェクト周辺の地域にも出没するようになり治安が悪化、プロジェクトの運営を変更せざるを得なくなりネパール側と現地で打ち合わせをした。結局、両国とも、協力の成果が着実に現れているという認識で一致。中断するのではなく、日本人専門家がオフィスに常駐しながら遠隔操作のような形で継続することで合意した。私も、このような形でうまくいくものかと悩んだが、結果的には、専門家と共に培ってきた経験を基に、ネパール側が自立的にプロジェクトを進行させたことで、成功裡に終了した。これは、山間部の環境の厳しい地域での住民参加を基礎においたプロジェクトの成功例として、JICAでも折に触れ話題になる。この交渉の際、ネパール側と大いに議論したのは、「日本がいなくなるとプロジェクトを広域に展開するのは難しいから、今後とも長く協力して欲しい」という熱心な要請に関してだった。それは、長年援助を受けることに慣れていたネパール側の援助への依存心に起因していると思われた。私がその時強調したのは、日本の協力は、それが終了しても、ネパールの組織が既存の予算、人員でも出来るようなモデルを作るために実施しており、ネパールの人が協力を通して経験を積み、自信を持って展開できるようになるためだということだった。

今回ウッダブさんともその時の事について話題になったが、彼はきっぱりと「国造りはその国の人々が自分達で出来る条件の中で、自国に相応しいやり方で行わないと駄目」ということを自然と口にされた。私としては、先のネパールでの議論があっただけに、彼は日本で単に学問上のことだけでなく、日本人の考え方についても、しっかり学んでくれたことに、一日中嬉しい気持ちに包まれた。やはり、2年も日本にいて学ぶという長期研修は、他の研修とは異なる優位性があることを教えてくれた。ウッダブさんは帰国後首都から離れた山岳地帯で勤務されることになるとのことであるが、既に心は赴任地にあるようで、希望に胸を膨らませ、ネパールに帰って行った。


JICA東京 所長 狩野 良昭