2008年に「障害者のスポーツを通じた社会参加」コース(現在は「障害者スポーツリーダーの養成」とタイトルを変えて実施中)にフィジーから参加した帰国研修員の、イリエサ・デラナ(Iliesa DELANA)さんがロンドンで開催のパラリンピックでなんと金メダルを獲りました!
彼がロンドンから持ち帰ったのは、フィジーにとって初めてパラリンピックで得た金メダルというだけではありません。小さい国が多い太平洋のすべての島国にとっても、オリンピック、パラリンピックを通じて初めての金だったのです。一夜にしてフィジーの国民的英雄になったデラナさんは、ロンドンからの帰国の際には国家元首クラスの栄誉で出迎えられ、首都スバのメインストリートで勝利をたたえるパレードでの歓迎を受けました。
子どものころに事故で片足を切断する怪我を負ったデラナさんは現在27歳。障害の種別ではF42というクラスでハイジャンプに挑みました。「F」はフィールド競技の略で、42は片方の足を膝上で切断されている、または同等のハンディキャップを意味します。義足を装着したまま行う競技もありますが、彼が出場したこのF42は義足なしで競うクラスです。
皆さんはこの競技の様子を想像できるでしょうか?
デラナさんは片足で「ケンケン」しながら助走をし、174センチメートルを跳んで優勝したのです。彼のその競技スタイルは2008年に研修で来日した時とまったく変わりません。このとき彼は、障害者スポーツを一般の人たちに広める「スポーツ大使」として来日しました。
障害者がスポーツを使ってどのように社会に参加できるか、障害を持たない人とどうしたら共にスポーツを楽しめるかを模索する研修の研修員としてはピッタリな人材でした。研修中の実技でも片足の義足を外し、見事なジャンプを披露し、周囲の人を驚かせました。帰国後も多くの普通学校を訪問したデラナさんは、障害を持たない子供たちに障害があってもスポーツが楽しめるということを教え、障害のある子供たちには能力を発揮する勇気を与えてきました。
それだけではありません!デラナさんをコーチしたのは、なんと彼の前の年同じコースにフィジーから参加した研修員、フレッド・ファティアキさんです。彼はパラリンピック陸上のヘッドコーチですが、彼自身も脳性麻痺という障害を抱えており、軽い言語障害もお持ちです。研修当時から「フィジーの特別支援学校で、障害のある子供たちがもっとスポーツに親しむ環境が必要です。そのためにはもっとコーチが必要であり、教員の理解も欠かせない」と訴えてきました。
パラリンピックのような競技スポーツの頂点を極めることも重要ですが、この二人の活躍が、より多くの障害を持つ子供たちがスポーツを楽しめ、周囲の人と共生する社会作りの手助けとなれば、こんなにうれしいことはありません。
JICA東京 人間開発課 定家陽子 (2012年)