どこまでも前向きに挑戦を続ける研修員

—8年ぶりの帰国研修員との再会—

2016年2月1日〜12日まで開催されたコロンビア国別「障害のある紛争被害者のソーシャルインクルージョン」という研修の中に、ある一人の研修員の名前を見つけました。Mr. Juan Pablo Salazarさん(35)。なんと彼は過去にJICA東京で開催されていた「障害者スポーツを通じた社会参加」コースの2007年の帰国研修員だったのです。
しかも現在の彼のポジションは大統領府の「障害者のインクルージョンプラン」の代表であり、障害に関する特別顧問だったのです。スポーツコースで来日した時はアークエンジェルスという障害者のリハビリを中心としたNGO団体の代表でした。この8年の間に何があったのだろうと早速彼にインタビューを行いました。

—障害を抱えながらもどこまでもポジティブに生きる姿勢—

車いすカーリングの実習(2007年)

Juanさんは、自らも頚椎損傷による四肢麻痺という障害を持ちながらも、介助者のサポートを得ながら自立した生活を送っています。
彼が障害を負ったのは24歳の時でした。家族でボート乗りに出かけたJuanさんは誤って水中の深みに転落し、頚椎に損傷を負いました。すぐにアメリカ・デトロイトのリハビリテーションセンターで機能回復と自立生活のためのリハビリを開始しました。その時に出会ったのが障害者スポーツでした。
「どんなに重い障害があってもスポーツを楽しむことができる」とJuanさん。
「リハビリとしてではなく、障害を持つ人の社会参加の機会にはならないだろうか」と考え始めました。
コロンビアに帰国後、アークエンジェルスというNGO団体を設立し、
リハビリテーションを中心に障害当事者の就労の機会や、スポーツ活動などすぐにいろいろな取り組みを開始しました。
「障害者スポーツが多くの障害を持つ人に「自分でもできる。他の人たちとも共に楽しむことができる」という社会参加の手段になり得ることはわかっているがどうすればいいんだろう」とJuanさん。
そんな時、彼の眼に飛び込んできたのがJICAで実施していた「障害者スポーツを通じた社会参加」(2005〜2009年実施)という研修コースでした。
彼が重度の障害を負ってからわずか3年、27歳でのことでした。
この研修は様々な障害者スポーツ競技や障害のない人たちと共に楽しめる「バリアフリースポーツ」を紹介しながら障害があってもスポーツという手段を通して社会に参加することを学ぶものでした。また、障害のある人とない人がともにスポーツを楽しむためのルールの工夫や道具の配慮、スポーツ大会の実施方法などを学びました。
介助者同伴で来日した彼は様々なスポーツに挑戦しました。
身体に障害のある人が床に座った状態でボールを転がしながらゲームをする「シッティングバレーボール」や視覚に障害のある人がネットの下を音のするピンポン球を使って楽しむ「サウンドテーブルテニス」、そして車椅子の人たちも楽しめるカーリングなどほとんど自らの障害を理由に実習を見学することはありませんでした。

また、研修が終わった後でも他の9人の研修員達と共にさまざまな場所へ出かけました。
一番驚いたのは築地市場でした。朝なんとなく疲れているような研修員達に
「どうしたの?」と尋ねると「3時に起きて築地に行ってきた」というのです。
「今考えるとJICAでの研修は多くの力と勇気を与えてくれた。障害があってもスポーツという手段で社会に出ていくことで自分にも自信ができた。」と語ってくれました。
「日本には障害があってもスポーツを楽しめる、そして周囲がそれを受け入れる文化のようなものがある」と。

—帰国後の活動でスポーツを拡大—

帰国した彼はすぐに活動を開始しました。
競技スポーツからレクリエーションスポーツまで様々な活動をアークエンジェルスで始めました。
中でも車いすラグビーを中心にラテンアメリカ9ケ国に対し障害者スポーツの普及と啓発を開始したのです。
同時にコロンビアパラリンピック委員会の団長や、身体障害者スポーツ連合の代表としても活躍し、アークエンジェルスもリハビリを中心とした団体から障害当事者の自立生活と意識啓発の団体へと成長していきました。そして現在では国際パラリンピック委員会のコロンビア代表として引き続き障害者スポーツの推進に尽力しています。

−自らが動きだし国を変えようとする力−

2016年「障害のある紛争被害者のソーシャルインクルージョン」研修で再来日したJuanさん

そんな彼の活動に目をとめたのは大統領でした。2014年に国の政策に障害当事者を巻き込むためにJuanさんをアドバイザーとして指名したのです。
コロンビアには内戦によって地雷で障害を負った「紛争被害者」が多く、彼らの問題は深刻です。また、2013年に国連の障害者の権利条約を批准したものの、雇用、教育、各種法整備、そしてスポーツなどの余暇活動の充実は立ち遅れており、Juanさんの力が必要とされたからです。
政府の代表としてコロンビア障害者評議会の議長を務めるとともに大統領府直轄の「障害者のインクルージョンプラン」の代表として地雷による紛争被害者をはじめとする全ての障害者のための社会参加の実現と、権利条約の遂行のための任務を命じられました。
「コロンビアの障害者の社会参加のための法整備、雇用や教育そしてスポーツの推進はとても重要なことでやらなければいけないことだと思っています。それとは別に日本からの学びとして、前回の研修でも今回の国別研修でも印象に残ったのは公共交通機関をはじめとするアクセシビリティーの充実です」とJuanさん。
「コロンビアではこの公共交通機関のアクセスがないために外に出ていくことができない障害者が多くいます。帰ったら是非この課題にも取り組みたい」
とやりたいことはたくさんあるようです。
どこまでも前を向いて自分の信念を貫くJuanさん。
今後の活躍が期待されます。

(2016年2月)