結核との関わりが深い東京都清瀬市。現在「世界の結核医療の発展に寄与した町」としてユネスコの世界文化遺産登録を目指しています。この度、第2回KIYOSE国際会議が開催され、課題別研修「UHC時代における結核制圧」の研修員が市民へ向けて発表を行いました。
日本において結核は明治以降蔓延し、亡国病と呼ばれていました。当時結核は恐れられ、差別、偏見の対象となる感染症であったため、結核療養所のための土地探しは簡単なものではありませんでした。新鮮な空気が得られる静かな農村地域だった清瀬市に最初の結核療養所である東京府立清瀬病院が建てられたのが昭和6年です。その後、次々に結核病院が建てられ、昭和40年頃には15施設、約5000人分の病床ができました。
このように結核と関わりの深い街清瀬市に結核研究所があります。JICAが結核研究所と共に実施している課題別研修「UHC時代における結核制圧」には各国の省庁や、県で結核対策の中心的な役割を担う医師や行政官が参加しています。約2か月間の研修の間、研修員は清瀬市に滞在し、普段の生活だけでなく、清瀬市民宅などへのホームステイや清瀬国際交流会等を通じて日本の文化や生活に対する理解を深める機会にも恵まれています。
研修員が見た清瀬市はどのような街だったでしょうか?
ケニアから来日したキアリエ医師は「林があって自分が普段働いている地域のように感じました。でも、道路は舗装されているので、母国と違いますね。私の住んでいる地域は道路が未舗装なので雨が降るとぬかるんでしまいます。また、私はクリスチャンなので清瀬では教会へ行きました。スーパーでも交番でも人々はとても親切でした。」と発表しました。
ザンビアから来日したシカズウェ医師は「初めての日本でしたが、清瀬は人々が親切で、空気も綺麗、そして安全で良いところですね。」と感想を述べました。
フィリピンから来日したアンパトゥアン医師は「印象的だったのはごみの分別です。環境に対する意識がとても高く学ぶところが多かったです。また、清瀬市市長がとても良い人だった。清瀬は第二の故郷のようです。」と発表しました。
清瀬市の渋谷金太郎市長は、本研修の開講式・閉講式にも出席され、研修員に対して“愛にあふれた街清瀬”のメッセージを送ってくださいました。
さて、肝心の研修の内容はどうだったのでしょうか?
研修で学んだことを自国でどう活かすかといった質問に対し、
ケニアのキアリエ医師は、「疫学や研究手法など、エビデンスを基に結核対策の意思決定をしていくということの重要性を学びました。また、研修の中で日本のUHC(※注)について学べたこともよかったです。」
ザンビアのシカズウェ医師は「日本がどのようにUHCを達成し、結核の減少に繋げたのかは大きな学びだった。加えて、質の良いデータを収集し、具体的な対策へつなげていくことの大切さも学びました。8か国から参加した研修員それぞれの知識、経験から学べたこともよかったです。」
フィリピンのアンパトゥアン医師は「研修(Knowledge Co-Creation Program)を通じ、参加している各国から多くの事例を学んでいます。」
清瀬市で最新の結核対策を学んだ研修員達が、結核制圧へ向けて各国で活躍することを期待しています。
(※注)UHC(Universal Health Coverage):全ての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを支払い可能な費用で受けられること。本研修では日本のUHC達成と結核対策の歴史について学び、各国の結核対策がUHC達成にどう貢献できるかについて考える構成も含まれています。
【報告者】人間開発・計画調整課