協力隊は一度きり。やり切って、キャリアに活かす(前編)

2022年1月13日

第16回:二村 元基さん
(村落開発普及員、2012年度3次隊、任地:ミティアナ県)

20周年企画 隊員OVインタビュー

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【二村 元基さん プロフィール】
大学卒業後、スポーツメーカーで勤務。3年半の勤務後、退職し青年海外協力隊に参加。現地ではシングルマザーを雇用し、収入向上活動に従事。帰国後はSOLTILO株式会社に勤務し、「スポーツを通して子どもたちに夢を提供する」という企業理念の実現を目指し活動中。

ケニア・ウガンダ・ルワンダの機会の不平等に直面する子どもたちに、「サッカーを通して人生の選択肢を提供する」というAFRICA DREAM SOCCER TOUR のプロジェクトを立ち上げ、現在もスポーツを通した国際開発にも関わられ、ウガンダとも深い関わりのある二村さんにインタビューしました。

(JICA)まずは二村さんが青年海外協力隊に参加されたきっかけを教えてください。

(二村さん)新卒で入社した会社を3年で退職し、スポーツ関係の仕事に就く予定であったのが頓挫してしまい、ライフプランを見直したのがきっかけです。私自身が母子家庭出身だったため、母子家庭支援をしたいという気持ちが強くなり、方針転換しました。その際、日本でやるのか、外国でやるのかを比較検討し、まずは開発途上国と呼ばれる国で経験をしてみたいと考えました。それを実現するための手段として、青年海外協力隊が最も適していると考え、志願しました。

(JICA)青年海外協力隊の派遣実績がある国は、世界で80か国以上ありますが、ウガンダに派遣が決まった時は、ウガンダにどんな印象がありましたか?

(二村さん)派遣前は、ウガンダの印象としては、特に何もなかったと思います。発展途上国=アフリカという漠然としたイメージでした。当時の自分のスキルで、母子家庭に近い形で携われる職種というのは、村落開発普及員(現在のコミュニティ開発)でした。特にその中でも生活に必要な「水」に関係する活動であれば、困っている家庭の支援になるのではという発想でしたので、その希望に該当する要請があった国がウガンダでした。

(JICA)今までの経緯を聞くと、スポーツ分野での支援を志されたのかと思いましたがスポーツを切り口にではなく、母子家庭への支援に着目されたんですね。「水」に関係する活動というのは、具体的に、どのようなことをされていましたか?

(二村さん)派遣された要請は「水の防衛隊(注)」としての活動だったので、派遣後半年間ほどは村を回り、井戸の修理などしていました。2~3基ほど修繕作業をしたと思います。その後は、井戸の修理だけでなく、地域の女性グループの収入向上支援の活動をしようと思い、ウガンダ産レザー(革)とチテンジ(アフリカ布)を使用したハンドメイドレザークラフト製品を開発しました。地元のシングルマザーを雇用し、技術移転し、製作した商品をウガンダ国内や日本のクラフトショップ、アフリカ雑貨店で販売しました。

(注)「水の防衛隊」とは2008年5月、横浜で開かれた第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)で、日本は、「アフリカでの安全な水へのアクセス向上や衛生状態の改善などに寄与する人材を派遣する」と表明したのをきっかけに、青年海外協力隊として派遣されている隊員も、アフリカで「水と衛生」に関する課題に取り組む隊員が「水の防衛隊」と位置付けられました。

(JICA)二村さんが考案したクラフトは今も受け継がれて女性グループが作られてますよね?私もキーホルダーや革小物をもっていますが、二村さんが支援したグループの方の作品だと聞いたことがあります。「水の防衛隊」としての活動からクラフト製作による収入向上とは、大きな方向転換にも思えますが、もともと、クラフト製作が得意だったとか、何かアイディアはお持ちだったんですか?それとも何かきっかけがあったのでしょうか?

(二村さん)クラフト製作は全くの未経験でした。モノづくりは当時も今も苦手ですね。きっかけについては、派遣当初やることもなく時間があったので、現地紙をたくさん読んでいました。そこで「ウガンダは牛皮が豊富にあるが、製品化する技術が無く、牛皮を輸出(原材料/低価)⇒牛革製品(完成品/高価)を輸入という構図により、貿易差損が生じている」という記事があったんです。であれば、牛皮を牛革製品にすることができればビジネスになるし、ウガンダという国の課題解決の一助にもなるのではと考えたことがきっかけでした。ウガンダ国内で革の仕入れが出来る工場を探しながら、日本からクラフト製作のための工具/テキストを取り寄せ、独学でモノづくりを勉強しました。シングルマザーを雇用するまで3か月程かかったと記憶しています。

(JICA)任国にいるとつい目の前の現状を見て、課題を分かったような気になりますが、現地紙をたくさん読まれていたことがきっかけで、課題解決につながったんですね。今はネットの情報が氾濫していますが、参考になる情報も多いですし、いかに情報を収集し、それを実際の活動に落とし込むかが重要ですね。モノづくりは当時も今も苦手と言うものの、そこに自ら飛び込んでいく、そういう行動力も協力隊員には必要ですよね。苦労も多かったと思いますが、隊員活動で、特に印象に残っているエピソードはありますか?

(二村さん)クラフト製作を始めた当初は、カッターの持ち方すらわからなかった女性が、何度叱られても、追い返されても、それでも諦めずに食らいついてくれて、一人前のクラフト職人に成長したことです。今では首都カンパラで自立し、立派に生計を立てているとのこと、人の強さを感じることができました。

(JICA)二村さんの活動がきっかけで、関わった方の人生が大きく変わり、立派に生計を立てるまでに至ったというのは、嬉しい変化ですね。その時のグループのメンバーの方に今、伝えたいことはありますか?

(二村さん)元気でいてくれれば、それでいいです。周りの方への感謝の気持ちを忘れずに。お互い精一杯、一度きりの人生を楽しみましょう。その当時、現地で雇用したシングルマザーのナジュマさんに会うことが出来たら、そう伝えたいです。

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クラフト商品製作の様子

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製作した商品と共に

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ナジュマと息子

(JICA)モノづくりが苦手だった二村さんがクラフト製作を始め、シングルマザーの生活に大きな影響を与えることになった隊員活動ですが、隊員の活動は基本2年間で終了です。活動を経て、どんな変化があったのか、そして現在どのような道を歩まれているのか、後半でお聞きします。(後編に続く)