再びこの地を踏むとき-システムに依存しない「システム」構築を目指して-

2019年9月19日

富田 裕美(コンピュータ技術)
医薬・医療用品サービスセンター

1.はじめに

私は2017年10月より、東ティモールの医薬・医療用品サービスセンター(通称SAMES・サメス)にコンピューター技術隊員として、在庫管理システムのサポートや業務改善の要請で派遣されました。

実は私にとって東ティモール渡航は2回目。

初めての渡航から、さらに2年間の協力隊活動を経て見えた「東ティモール」についてお伝えしたいと思います。

2.初めての東ティモールの印象

最初に東ティモールを訪れたのは2012年。東ティモールが独立から10年目を迎えた年でした。そのときはまだ大学生で、(財)日本国際協力センター(JICE・ジャイス)が主催するJENESYSプログラム(21世紀東アジア青少年大交流計画)に応募したことがきっかけで、この地を訪れることになりました。当時の首都ディリには未だPKO(国連平和維持軍)が駐在していて、「UN」と大きく書かれた国連の車が走り今よりも物々しい雰囲気だったと記憶しています。

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当時のJICA東ティモール事務所長との記念撮影

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JENESYSのプログラム中の一コマ(ティモール人の一般家庭の見学)

3.転機

協力隊に参加する前は、システムエンジニアとして銀行や保険会社のシステムを作る仕事をしていました。大学時代は文系で、コンピューターやITなどとは全く無縁の世界だと思っていましたが、そんな私がIT業界に入ったのは、何を隠そう、東ティモールでのある出来事がきっかけでした。

JENESYSプログラム中、NGOの見学でロスパロスという地方の都市を訪れた際、現地住民と話す機会があり、疑問に思っていたことを質問してみました。私が「東ティモールは(例えばシンガポールのような)経済的に豊かな国になるべきだと思いますか?」と問いかけると、その女性は「そこがどんなところなのかが分からない」と答えました。これが7年前だったとしても、その国の様子なんてシンガポールに行かずとも調べればすぐに分かる時代です。私は女性の回答に衝撃を受けましたが「でも、これってITで解決できるんじゃないの?」と思い(とっても安直ですが)その後に新卒でIT企業に就職しました。

それから5年後、ITの技術者として再び東ティモールに舞い戻ってくるとは当時は夢にも思っていませんでした。

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プログラム中に、ロスパロスを訪問し、地元住民の方々からお話を聞きました

4.この国で「暮らす」ことで見えたもの

協力隊として東ティモールの人々と一緒に働くことで、最初に訪れた時とは違う「問題」が見えてきました。

まずは「人」について。
東ティモールの人たちは「調べる」「探す」ことが非常に苦手で、もちろん、現地語「テトゥン語」での情報量の少なさもありますが、それ以上に粘り強く物事に取り組む力の弱さが根底にあるように思われます。
システムエンジニアの仕事の大半は「調べる」ことに費やされます。その「調べる」作業には、答えを突き詰めることへの「根気」が必要ですが、その能力はやはり学校教育で培われるものではないかと思います。東ティモールの教育は、教師が黒板に書いて、生徒たちがそれを板書するのが一般的。学校において、自分で「調べる」「考える」ということは少ないようです。この問題には、東ティモールの「国」としての教育問題が深く絡んでいると分かりました。

また彼らの「仕事」は政治の影響をダイレクトに受けます。
例えば、私の配属先では国連機関の援助の元に医薬品の在庫を管理するシステムが導入されていましたが、「何を使うのか」は大臣や予算によって変わり「今日まで使っていたシステムを明日からはもう使わない」「国の予算がないのでシステム開発が終了した」ということもしばしば。その際にデータの引継は行われないため、数年間かけて貯めたデータは一夜にして無くなりゼロに…。
このように政府の方針によって「システム」は変わり、「システム」が変わるとそれを使う「人」たちもまたそれに適応しなければならず、ずっと振り回され続けてしまいます。

7年前、ロスパロスの女性の答えに、私は「テクノロジーが行き渡れば、問題は解決する」と考えていましたが、しかし実際に暮らしてみるとその本質は違うのだと気が付きました。そして、彼らに本当に必要なのは、誰かが作ったコンピューターシステムではなく、人やモノに振り回されることのない普遍的なシステム(=仕組み)なのではないかと思ったのです。

5.「5S・KAIZEN」導入の取組み

このような環境下で「取り巻く環境に左右されず」「お金をかけずに」「誰でもできるシンプルなこと」はないか模索した結果、「5S・KAIZEN」の導入を思いつきました。

5S・KAIZENとは、主に日本の産業界で用いられてきた職場環境改善、品質管理の手法で、今日の日本の製造業の発展に寄与してきました。5Sとは、整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字をとって名付けられた標語ですが、不用品を置かず(整理)、物品の置き場所がすぐに分かり(整頓)、常に清潔に保たれて(清掃・清潔)、それが継続される(躾)ことで業務効率や安全性を向上できるため、製造業のみならず多くの病院、医療現場でも取り入れられています。とてもシンプルな方法ですが、職場で5Sを行うことで、在庫状況の把握がしやすくなり、また欠品防止や誤発注といったトラブルの防止にもなります。

配属先に初めて5Sの導入の提案をした際「時間がないからできない」「日本とは違うからできない」などと反発を受けました。そのため、職場での実践例を自分で作りながら推進を行っていったところ、少しずつ配属先の職員からも理解が得られるようになりました。また最近では、我々の活動を知った他の職場のティモール人からも「自分のところに導入したい!」「5Sについて教えてほしい!」という声もあり、少しずつですが支持する人が増えてきています。

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5S・KAIZENのワークショップを定期的に開催しました

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5S・KAIZEN活動の実践例を紹介しています

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5S・KAIZEN活動の実践例を紹介しています

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同僚が自ら5S活動に取り組んでくれています

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同僚が自ら5S活動に取り組んでくれています

終わりに

この原稿の執筆にあたり、7年前に初めて東ティモールを訪れた際に書いた報告書を読み返しました。内容は「数日しか滞在していないのに、分かったような口をきくなー!」と思うような、とても生意気でお恥ずかしい内容でしたが、それと同時に昔の自分とは違った目線でこの国を見ていることに気が付きました。

協力隊で来て間もない頃、何事も日本のようにいかないことは頭ではわかっていたのですが、いざ直面するとイライラしてしまい「なぜ約束を守らないのか」「なぜできないのか」と職場の人に文句ばかり言っていました。しかし、ティモール人とこの二年間を共に過ごしてみて、様々な問題の奥深くにはこの国の辿った歴史や政治、教育や社会保障政策など、彼らでもどうすることもできない大きな問題が潜んでいることが分かりました。もちろん、この二年足らずで「東ティモール」のすべてを理解することはできませんでしたが、そこに目を向けるようになった自分は、少しは彼らに近い目線で寄り添えたのではないかと思います。

最後になりますが、この2年間の活動を支えてくださいました、JICA東ティモール事務所の皆様をはじめ、日本大使館や在留邦人のみなさま、そして東ティモール隊員に深く感謝いたします。ここで得た経験を生かし、また数年後、数十年後に、再びこの地を踏むまで精進したいと思います。どうもありがとうございました。