エチオピアはこんな国

2019年4月22日

2016年度3次隊 コミュニティ開発 工藤幸介

「そこはアフリカではなく、エチオピア。」と巷で密かに囁かれる国、エチオピア。僕は青年海外協力隊のコミュニティ開発隊員としてそんな国で2年間を過ごした。今回は初回ということで、まずは僕の派遣されていた国エチオピアとはどのような国なのか?に焦点を当てて紹介してみたい。

エチオピアはアフリカ大陸の東に位置し、その地域は「アフリカの角」と呼ばれ、隣国にはエリトリア、ジブチ、ソマリア、ケニア、南スーダン、スーダンと、日々の国際情勢の紙面を賑わせる国々が名を連ねる。日本の3倍ほどの大きさの土地に1億人以上の人々が寝起きし、見た目と酸味の特徴的なインジェラなるものを主食とし、食後はポットで煮出したコーヒーを大量の砂糖とともに消費する。ちなみにコーヒーを煮出す時に使う陶製の黒いポットはジャバナと呼ばれ、アディスアベバの博物館に展示されているものとデザインも配色もさほど変わらないタイプのものをエチオピア人たちは今日も愛用している。ちなみにエチオピアは現在2011年であるが、それは決して彼らが過去に生きているということではない。ただ、使用している暦が違うだけであり、エチオピアでは西暦でいう9月に新年を迎え、1年を13ヶ月として生活する。したがって、エチオピア人と約束を取り付けるときはエチオピア暦なのか西暦なのかを確認することが必須で、さもなくばとんでもなく待ちぼうけをくうことになる。これを聞いてエチオピアはなんて変な国なんだと思うかもしれないが、日本だって今年は令和元年である。

エチオピアでは「アフリカ」の代名詞でもあるサバンナの動物たちは見る影もなく、街ではウシ、ニワトリ、ヤギ、ヒツジといった家畜の代名詞たちが土埃を立てながら闊歩する。もちろん、エチオピアには野生のライオンがいると言い張る現地人もいるが、その根拠は彼がライオンの鳴き声を聞いたことがあるからだ。エチオピアの大半は高地で、首都アディスアベバの標高は約2,400mにもなる。そのためかアベベ・ビキラを始めとした世界的なマラソンランナーを輩出している。最近ではハイレ・ガブルセラシエが抜群の知名度を誇り、そのレース終盤の力強い走りを買われてか新聞ではガソリンを宣伝し、その走る姿の優美さを連想させるようにエチオピアのリゾート開発事業にも力を入れている。そんな高地トレーニングに適したエチオピアでは「アフリカは暑い」という固定概念すらもことごとく覆される。年間の平均気温は約18℃で、エチオピアに桜があれば通年で満開かもしれない。これはレザージャケットを羽織るのがちょうどいい涼しさでもあり、ゆえにエチオピア人の好むファッションでもある。

さてここで特筆すべきは、エチオピア人のプライドが概して高いことである。それはエチオピアがアフリカの国では珍しく、一度も植民地化されたことがないという歴史的背景と大いに関係している...はずである。エチオピアの人々は「我々はあのイタリアすら打ち負かしたのだ」というかつての栄光を肴に今日も昼からビールを飲む。ただし、6年間ほどそのイタリアに占領されていた時期があることもまた事実で、それを証明するように街中ではパスタやピザを提供するレストランが未だに多い。また、エチオピアは地理的にアラブ圏にも近いこともあり、肌の色も他のアフリカ諸国の人々と比べると浅黒いと言われる。エチオピア人たちは自身の肌の色について「我々の肌は赤いのだ」と自慢気に語る。さらには、エチオピアの主な宗教であるエチオピア正教の「我々エチオピア人は、あのソロモン王とシバ女王の末裔なのだ。」という一種の選民思想も彼らのプライドの高さに磨きをかけている。

以上、僕個人の偏見が満載ではあるが、これがざっくりとしたエチオピア像である。こんな国エチオピアで僕はコミュニティ開発隊員として2年間を過ごした。次回はコミュニティ開発隊員とは現地でどのようなことをするのか、その実態に迫っていきたい。

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