異国情緒漂うディレダワとインジェラのような酸味

2019年4月29日

2016年度3次隊 コミュニティ開発 工藤幸介

さて僕はディレダワという地方都市の市役所に、コミュニティ開発隊員として赴任した。個人的には「ディレダワ」という名前の響きが好きだし、英語表記だと「Dire Dawa」と2つに区切られているのも何だか良い感じである。地理的には首都アディスアベバから東へ約500km、飛行機で45分ほどの場所に位置する。標高は約1,200mとエチオピアの中では低地と言われ、気温も30℃前後の日が多いため、人々の職務怠慢の言い訳となっている。1902年にフランスの鉄道会社がエチオピア-ジブチ鉄道の中継地点として同地に駅を設置したことから開拓されきた町で、かつてはエチオピア第2の都市であったと言われるが、今は6番目くらいの大きさである。駅の周りは当時のフランス人たちの都市計画を物語るかのように碁盤の目状になっており、街路樹が心地よい木陰をつくっている。旧市街ではカラフルな建物が暑い日差しに照らされ、路上では行商に引かれたラクダの列が行き交う。どこかエチオピアではないような異国情緒が漂う街並みである。

また、ディレダワは地理的にアラブ世界に近いこともあってか、エチオピア正教の盛んなエチオピアでも珍しく、その人口の半分以上をムスリムが占めると言われている。そのため市内にはモスクも多く、バスで1時間程の場所には世界遺産にも登録され、イスラム第4の聖地とも噂されるハラールの城塞都市がある。その他の特徴として、ソマリアにも近いことからソマリ人も多く住む。彼らはエチオピアの伝統料理インジェラよりもスパゲッティやライスを好む。茹で過ぎないパスタや軽くスパイスの効いたコメを現地のレストランで食べることができるのは、ディレダワ隊員にとってはありがたい特典かもしれない。

さてコミュニティ開発としての仕事であるが、僕は都市雇用促進及び食料安全保障事務所という、なんとも気の遠くなるような名前の事務所に配属された。同事務所はディレダワの貧困削減のために、その主な原因の一つである都市人口、特に若年層の失業率を下げるという目的を掲げている。そのためのアプローチとして、市内の零細小事業のビジネス拡大支援や起業を目指す人々の育成などを通した雇用拡大を挙げている。したがって、ボランティアとしての僕に対する要請内容はビジネス拡大を目的とした各零細小事業に対してのマーケティングや新商品開発、品質改善、各企業間の協業機会創出のアドバイスであった。やはりこうやって書いていても、刺激的でワクワクする要請内容である。

しかし机上の空論とはよく言ったもので、エチオピアの現実はインジェラのように酸っぱかった。零細小事業の現状把握のためマーケティング調査を試みるも、住所のないエチオピアでは零細小事業の場所を見つけるだけで一苦労で、実際に事業を訪問することは困難を極めた。事務所スタッフに聞いても彼らは事業の位置情報を把握していないことが多く、結局は市役所の出先機関である各町の出張所に行き、そこの担当スタッフと予定を合わせて同行する必要があった。しかし、この担当スタッフたちとの日程調整もまた骨が折れるのだ。一応彼らは曜日を決めて担当事業を訪問しているとのことであったが、当日になって会議が入ったりしてキャンセルされることが多々あった。そもそも、アポイントの枠が「午前」か「午後」の2択というのはどうなのだろうかとも思う。「では明日の午前で。」と翌日の8時に行くとまだ早いと待たされ、11時に行くと別の会議で不在だと言われる。「では午後で。」と14時頃に行くと、今日は暑いからとお昼休憩から帰って来ない。そうこうしているうちに1週間が経ち、3週間が経ち、3ヶ月、6ヶ月なんて平気で過ぎてゆく。

もちろん僕はその間、マーケティング調査だけをしていたわけではない。事務所スタッフ向けにビジネス能力の向上を目的としたワークショップを幾つか企画し実施した。しかしその都度、自分たち自身の予定を把握できていないスタッフたちとの日程調整にとんでもなく労力を費やし、一体誰のためにやっているのかわからなくなった。そのため10回ほど開催した後に中止した。また、現地ではビジネス交流会なるものがないため、零細小事業間の協業を促すために交流会も実施した。交流会には40名ほどの参加者があり、それなりに好評ではあったが、後にそれは事務所から参加者にお金を払って参加を促していた結果でもあるということがわかった。というのも、実はエチオピアでは会議やワークショップ、講習会に参加すると参加手当がもらえるということが一般常識となっている。自らお金を払って講習会に参加する日本人とはまったく異なる感覚で、時には参加手当が少ないと喧嘩する人まで出てくる始末である。僕としては参加手当を渡して零細小事業者に交流会へ参加を促すというのは、特に商売に携わる彼らの、物事に対する価値判断能力を大いに阻害すると思い、彼らに参加手当はいらないと事務所に繰り返し交渉した。しかし、残念ながらこの思いは伝わらなかったため次の開催は取りやめることにした。費用対効果が悪すぎると思った。彼ら曰く「日本人は金持ちだから自分たちでお金を払って参加することができるが、エチオピア人は貧乏なので参加者に参加手当を払わなくては人は集まらない。」とのこと。「でもあの有名歌手、テディ・アフロのコンサートはみんなお金払って行ってますよね?何が違うんですか?」と僕は示唆してみたが及ばなかった。これだからエチオピアの会議や講習会は退屈なもので溢れているのだ。

僕はこのような日常を送っていた。そしてふと気づくと、僕がディレダワに赴任してから早くも1年近くが経とうとしていた。そして僕は思った。「この事務所で何かしらの成果を出そうと思ったら、あと10年あっても足りないな。」と。実際にこの1年、物事はほとんど進まなかった。憤慨する気持ちはもちろんあった。しかし、そもそもエチオピアの各市役所がしっかりと機能し物事がスムーズに進むのであれば、わざわざ日本からボランティアを要請する必要はないのだろう。その事実を改めて考えていると、「むしろ自分自身の活動は配属先の事務所に頼っていてはいけないのではないか」と思い始めた。僕自身、1年間遊んでいたわけではない。やれることはやってきたという自負はあったし、現地での常識や文化、そして問題点はより深く把握できていた。それに、この1年で地道に蒔いていた種が育ち始めていたのだった。

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ディレダワのカラフルな建物

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ディレダワの駅

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事務所スタッフ向けワークショップ

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噂のソマリ料理