マトケと命

マトケと暴力と死生観

氏名:鈴木 孝枝
隊次:2017年度4次隊
職種:看護師
任地:カボンド
配属先:カシプル・サブカウンティ保健事務所
出身県:東京都

「Oyawore」(おはよう)これはわたしの住むカボンドのルオ族の挨拶です。毎朝「Oyawore」から1日が始まります。
さて、私はナイロビから西に8時間ほど行ったカボンドという穏やかな農村部に住んでいます。所属事務所はカボンドサブカウンティ病院の保健事務所で、看護師として活動を行なっています。活動は主に5S-KAIZEN、地域住民健康増進活動、HIVサポートグループの収入向上支援です。

私の任期は一年と8ヶ月すぎました。この中でケニアのいろいろな問題や良いところを感じてきました。私の好きなケニアの良いところといえば、愉快でフレンドリーなところ。ちょっかいをかけてくる日常、日本に帰ったら寂しくなると感じている隊員も多いのではないかと思います。

任地での生活を通して、今まで色々なことを受け止めてきました。しかし受け入れられない部分もあったりします。
今回はその中でも1つ、私の印象に残っている出来事についてお伝えしようと思います。

ある日私が事務所に行くと、大きいマトケ(緑のバナナでケニアの主食にもなっている食材)が2房置いてありました。何だかみんな騒がしい様子。外来に行ってみると1人の患者さんが処置を受けていました。頭はオノか何かで叩かれた様子で血まみれ、耳は左右とも切られていました。
「この人は何があったの?」と尋ねると、「この人はマトケを盗んだんだよ、だから畑の主が叩いたんだ」
と準医師は言いました。
「なんで耳を切り落としたのか」尋ねると、
「耳を切れば、この人は盗人である事が、みんなが分かるから耳を切るんだ。」と。
この病院では手当てできる状態ではないため救急搬送しようと準医師は試みましたが上からの指示は下りず、結果的にこの患者さんは数時間後に亡くなってしまいました。
このことについて、どのように認識しているのか同僚たちに尋ねてみると「盗んだ本人が悪い、仕方がない」とみんな口を揃えて言います。
確かに盗んでいなければこれは起きなかったこと。
もちろん救えなかったこと、人が亡くなってしまったことに悲しい気持ちになっている同僚もいましたが、物を盗むということは、亡くなったことを人々に納得させる程のとても重い罪である、という風に感じました。

また限られた設備と技術、緊急時の対応、罪人に対する医療者のモチベーション、他の病院に搬送しないと決断したことなど、これらが地域医療の現実だと感じた瞬間でした。これがナイロビだったら、もっと大きい病院だったら、助かったのかもしれません。

ここでひとつ疑問に思ったのは行政の役割でした。罪を犯した場合、警察ではなく住民が制裁を与える。たとえ結果が「死」でもこれがあたり前、仕方がないという認識が普通である状況。ここでの警察の役割は一体なんなのだろう、シートベルトの確認だけか?と、警察の意義が分からなくなると同時に、死生観の違いを感じました。宗教も関係してくると思いますが。
暴力以外のことで、罪を犯した人を償わせる。それが行われていないのは、今までの習慣によるものだと思っています。小さい頃から悪いことをしたら叩かれる習慣。もちろん叩くことは良くないことと感じている人もいます。しかしこれが今のケニアの一般的なしつけの仕方。日本も昔はそうでした。しつけの形は色々かもしれない。暴力は何が良くない事なのだろうと考え直すこともありました。しかし暴力は暴力しか生まない。暴力は心や体を破壊することだと私は思っています。

今私自身何ができるのかと考えると未だに答えは分かりません。考えを伝えてもここでは私の考えが一般的ではなかったりします。

しかし、人間として医療職として命の尊さだけは持ち続けて欲しいと思っています。それがたとえ罪人であろうと。

その日の帰りに見た、水タンクの横に置かれていたマトケを、私は忘れることはないでしょう。

この内容に関して様々な考えがあると思っています。1つの事実1つの意見として受け止めていただければと思います。

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健康増進活動の一環として、フィールドワークの際に生活指導をしている様子

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HIVのサポートグループとの写真です。主に養鶏の支援及びお金の管理を行っています。

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5Sの指導を行なっている診療所のメンバーとの写真です。